旧千国街道・塩の道
Chikuni Kaidou/Sio no Michi

親の原 
  現在の栂池高原付近のことである。この左下を旧千国(ちくに)街道が走っている。難所親坂を上り切った所である。
  千国街道はここから現在の白馬駅に抜け、仁科3湖(青木湖、中綱湖、木崎湖)を経て大町方面に伸びている。
  今回は、白馬駅から栂池高原行きのバスに乗って、ここに来て宿を取った。
千国街道・塩の道
  白馬駅からのバスは、すれ違いがままならぬほどの狭い旧千国街道を八方口石仏群から、松川橋、観音原百番観音、切久保、姉川、落倉、そして松沢口を経て、終点が栂池高原となっている。
  左の写真は栂池高原の松沢口から百体観音を経由して旧千国街道を通り、沓掛の牛方宿を見下ろした所である。
塩の道・道標
  旧千国街道は新潟県の糸魚川から姫川の谷沿いに走る街道で、小谷(おたり)村に千国(ちくに)の番所があったのでこの名がある。
  しかし一般には信州側では糸魚川(いといがわ)街道、越後側では松本街道と呼ばれていた。越後からは塩や海産物が多く運ばれ、信州側からは、大麻、タバコなどが越後に運ばれ、大いに賑わった街道であった。  
沓掛・牛方宿
  沓掛・牛方宿で、旧千国街道と舗装された千国北城街道(県道433号線)が交差しており、バス停もある。
  左写真は牛方宿として現存する唯一のものだ。中を見学することも出来る。土間に牛を繋ぎ、牛方と牛が一緒に泊まった所である。 
塩の道・自然歩道
  大町と糸魚川の間は牛で運ぶことが多かった様だ。一人の牛方が、多い時で7頭も引いたとのこと。塩魚などは、人が背負って運んだ(歩荷、ぼっか)。
  ここより、再び、県道より旧千国街道に入る。この辺は自然歩道・塩の道として整備されており、分かりやすく道標等が多数設置されている。道祖神や馬頭神などの多く残されている所でもある。
  なお、塩の道とは、最近(1970年代)になって、旧千国街道沿いの市町村が、観光資源の一環として特に命名したものである。   
  旧千国街道は、小石が踏み固められていて、如何にも古道という感じの道となっている。この千国街道の終点が松本盆地南端の町、塩尻(市)である。
  塩尻が、北塩と南塩の終着地であったことから、この地名が残されている。太平洋側から入ってくる塩を表塩または南塩と呼び、千国街道経由のものを裏塩または北塩と呼んで区別していたとのこと。
弘法の清水
  包装も異なり、南塩が俵であったのに対し、北塩は雨水が浸透しにくい叺(かます)であったいう。叺とは、藁筵を二つ折りにして作った袋である。
  塩の需要は、殆どが漬物と味噌醸造用が多かったので、ニーズは秋口に集中した。この時期は、日本海側は時雨の季節でもあるので、雨水の浸透しにくい叺が利用されたとのこと。   
親坂
  弘法の清水(写真左上)は人と牛の水飲み場。苔生した石舟があり、牛用が下で、人用が上となっている。今でも清水が湧き出ている所だ。
  この辺を親坂といい、上りきったところが前述の親の原の松沢口である。街道一の難所として知られていた所である。今回は下りのコースを通ったので、楽ではあったが、上りは結構きつそうであった。  
牛つなぎ石
  牛を繋ぐための穴があけられた石が残されている。ここで休憩したという。
  沢伝いの急峻な道であるが、牛馬が歩きやすいよな石畳も出来ており、トレッキングシューズ(軽登山靴)を履いていれば、結構歩きやすい。
親沢
  親坂沿いの渓流。沢は途中何箇所も滝となって流れ落ちている。それだけ、この沢沿いの道が急峻であることが分かる。
  この先に、「ここより親坂」と書いた道標がある。親の原に向かう坂という意味で、呼ばれたのであろう。不思議なもので、こう道標に書いてあると、もう少しで親の原に到着するのではと、元気になる。実際は険しい、辛い坂である
親坂石仏群
  親坂石仏群。立ち並ぶ馬頭観音(牛馬の保護神)は昔の人々が、この難所を歩かさせざるを得ない牛馬に対する心遣いが伺える。それだけ厳しい道程であったと言うことなのであろう。
  ここで自然歩道と、県道千国北城街道とが合流している。なお、北城とは、白馬村(白馬駅付近の)の字名である。
  沢に架かった橋を渡ると、県道千国北城街道に出る。橋を渡ったところの写真が左下である。視界が開け、新潟方面の山々が視界に入る。
  街道沿いに宿場があり、千国番所のあったところだ。千国庄史料館、千国諏訪神社が、直ぐ下にある。
  この地にあった民家を移築した千国庄史料館には、いろりや居間が保存されてる。その隣には復元された千国番所がある
千国 
  左下の写真は、現千国街道(国道148号)が、姫川沿いのJRの大糸線とほぼ平行に走っているところだ。
  千国街道が走っている、この辺一帯は小谷(おたり)村である。長野県の北西端にあり新潟県に接する豪雪地域の村である。冬季は5,6mも積雪するという。おたり村の「たり」は、断崖状の深い谷地形の意味。谷と言う字は宛字である 
現千国街道
  地名からして、難所を想像させる。鎌倉時代以前は「於他里」と表記されていた由。
  千国街道は、この村の中央部に北流する姫川沿いを通っている。またフォッサマグナ(大きな溝)上で、古くから地すべりの多い所としても知られている所だ。
  姫川というと大人しそうな呼称であるが、実際は稀有の暴れ川で、氾濫を繰り返していた様だ。そのため、糸魚川をもじって、姫川のことを「厭い川」とも呼んでいたそうである。  
千国駅付近
  なお姫川は、越(新潟)に住んでいた沼河比売(ぬなかわひめ)(古事記神話)に由来するという。この姫の気性が荒かったので、その姫にあやかったのであろうか。
  写真は現千国街道から撮ったものだ。丁度姫川を挟んで対岸の写真である。小谷村の名前の所縁が想像されよう。



ルート


JR大糸線 白馬
〜バス 千国街道
〜栂池高原〜松沢口〜沓掛
〜牛方宿〜弘法清水
〜牛繋ぎ石〜親坂石仏群
〜千国〜姫川〜JR千国駅
〜白馬村

歩行 2時間
(途中バス、車利用)


駐車場

牛方宿、親坂入り口 駐車スペースあり


休憩所・トイレ

なし


0408/0409
TOP 北海道 東 北 関 東 中 部 近 畿 中国四国 九州他

Hitosh