岡山・後楽園
Kourakuen


烏城
  明治維新までは、備前31万石の城下として繁栄した。今の岡山県は備中、美作を含んでいる。
  烏城(天守閣の下見板が黒いためそう呼ばれている)は戦後再建されたものであるが、旭川を挟んで対岸にある後楽園は江戸時代を代表する回遊式庭園として残っている。  
後楽園
  城は城郭を中心に、第一閣は大身の侍屋敷、第二閣は中心的な商業区とその四周はある中身の侍屋敷、閣外に寺社、および一般町屋、職人街が並んでいて碁盤目型の市街地となっていた。
  後楽園は、金沢の兼六園、水戸の偕楽園とともに、日本3大名園の一つと言われている。
庭園
  岡山は、このとき始めて訪れたが、その後ここで学会があり何度か訪れた。また、瀬戸大橋が出来てからは、四国への入口として何回か通過する事になった。瀬戸大橋が出来るまでは飛行機であったが、それ以降の出張は、JRの世話になるようになった。
  岡山で、学会のあった夜、街の小料理屋で、生ガキを肴に、備前焼のぐい飲みで飲んだ地酒の味は今でも覚えている。
築山
  この写真は30年前のものである。
今はどうなっているのであろうか。学会で行った時は仕事であったので、車での移動だけであった。昼は仕事、夜はおつきあいがあり、散策どころでは無かった。


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