写真:佐賀県佐賀市 佐賀城 鯱の門と続櫓 |
佐賀城は、龍造寺氏が村中城を築いたのが そのはじまりです。 今見ることのできる城郭は、領地を継いだ鍋島 氏が慶長7年(1602年)から慶長16年(1611年) にかけて整備・拡張したものです。 ※現存する鯱の門と続櫓は国の重要文化財に 指定されています |
江戸時代、大川内山には佐賀藩直営の藩窯が あり、鍋島焼の生産が行われていました。 鍋島焼は伊万里焼のひとつで、将軍家や諸 大名への贈答品にあてられた高級品でした。 |
写真:佐賀県伊万里市 大川内山 |
写真:佐賀県伊万里市 伊万里焼 |
古伊万里は江戸時代に伊万里港から積み出さ れた磁器のことで、主に有田で焼かれたものを 指します。 写真の皿は大川内山の窯元が製作した古伊万 里文様式の伊万里焼(骨董ではありません)で す。 |
虹の松原は、唐津藩初代藩主の寺沢志摩守 広高が防風・防潮のために植林した松林で、 日本三大松原のひとつとして知られています。 日本三大松原 ・三保の松原(静岡県) ・気比の松原(福井県) ・虹の松原(佐賀県) |
写真:佐賀県佐賀県唐津市 虹の松原 |
写真:佐賀県唐津市 唐津城(模擬天守) |
唐津城は慶長13年(1608年)に寺沢志摩守広高 (唐津藩初代藩主)が築いた平山城です。 天守台は築かれましたが、天守閣は廃城に なるまで存在しなかったと言われています。 今見ることのできる天守閣は、昭和に入って から建てられた模擬天守です。 |
名護屋城は天正19年(1591年)に豊臣秀吉が 朝鮮征伐(文禄の役・慶長の役)の軍事拠点と して築いた平山城です。 慶長3年(1598年)に秀吉が没すると、日本は 明と和議を結んで朝鮮から撤退、名護屋城は 廃城となりました。 ※国の特別史跡に指定されています。 |
写真:佐賀県唐津市 名護屋城跡 |