和歌山県田辺市本宮町 熊野本宮大社 |
熊野三山のひとつ熊野本宮大社。 本宮大社の社殿は崇神天皇の時代に創建され たと伝えられています。 もともとは大斎原(熊野川の中洲)に祀られてい ましたが、1889年(明治二十二年)に洪水の被 害にあい、流失を逃れた社殿が現在の地に遷さ れました。 ※紀伊山地の霊場と参詣道の一部として 世界遺産に登録されています。 |
熊野三山のひとつ熊野速玉大社。 速玉大社は景行天皇の時代に造営されたと 伝えられています。 もともとは千穂ヶ峰の神倉山に祀られていまし たが、のちに現在の地に遷され、神倉山(旧宮) に対して新宮と呼ばれるようになりました。 社殿は1883年(明治十六年)に焼失、現在見る ことのできる社殿は1967年(昭和四十二年)に 再建されたものです。 ※紀伊山地の霊場と参詣道の一部として 世界遺産に登録されています。 |
写真:和歌山県新宮市 熊野速玉大社 |
写真:和歌山県東牟婁郡 熊野那智大社 |
熊野三山のひとつ熊野那智大社。 那智大社は那智の大滝への自然崇拝がはじま りといわれています。 仁徳天皇の時代に那智の大滝から現在の地に 遷されました。 織田信長の焼討にあい焼失しましたが、豊臣 秀吉によって再建されました。 ※紀伊山地の霊場と参詣道の一部として 世界遺産に登録されています。 |
青岸渡寺は西国三十三所の第一番札所です。 織田信長の焼討にあい焼失しましたが、豊臣 秀吉によって再建されました。 本堂の高さは那智大滝と同じ高さだそうです。 ※紀伊山地の霊場と参詣道の一部として 世界遺産に登録されています。 |
写真:和歌山県東牟婁郡 那智山青岸渡寺 |
写真:和歌山県東牟婁郡 那智の大滝 |
落差133mの那智大滝(那智の滝)は、栃木県 の厳の滝、茨城県の袋田の滝と並んで日本三 大名瀑のひとつに数えられます。 写真は青岸渡寺の三重塔と那智の大滝です。 ※紀伊山地の霊場と参詣道の一部として 世界遺産に登録されています。 |
熊野道(熊野古道)は、熊野三山(本宮大社・速 玉大社・那智大社)に参拝する人々が通った古 い参詣道の総称です。 熊野詣では、宇多上皇が709年(延喜七年)に 参拝したのが始まりといわれています。 ※紀伊山地の霊場と参詣道の一部として 世界遺産に登録されています。 |
写真:和歌山県東牟婁郡 熊野古道 |
写真:和歌山県東牟婁郡那 紀の松島 |
紀の松島は勝浦湾に点在する大小130におよ ぶ島々の総称です。 日本三景の松島(宮城県)に勝るとも劣らない 景観から「紀の松島」と呼ばれています。 写真は勝浦港からでている遊覧船上から撮った ものです。 |
橋杭岩は串本から大島に向って橋脚のように 並ぶ大小40余りの奇岩群です。 弘法大師が天邪鬼に手伝わせて橋をかけよう とし、その橋杭だけが残ったという伝説があり ます。 ※橋杭岩は国の天然記念物に指定されてい ます。 |
写真:和歌山県西牟婁郡串本町 橋杭岩 |
写真:和歌山県西牟婁郡串本町 潮岬 |
紀伊半島の南端に位置する潮岬は本州最南端 の地です。 潮岬観光タワーにて「本州最南端訪問証明書」 を購入できます。 写真は潮岬観光タワーの前に広がる望楼の芝 にたてられた本州最南端の石碑です。 |
和歌山城は1585年(天正十三年)に豊臣秀吉 が築城したのが始まりです。 1619年(元和五年)に徳川家康の第十子・頼宣 が入城し、徳川御三家のひとつ紀州家の居城と して拡張・整備が行われました。 暴れん坊将軍のモデルとなった徳川吉宗(八代 将軍)は、和歌山藩の五代藩主です。 天守閣は国宝に指定されていましたが1945年 (昭和二十年)に米国の空襲により焼失しま した。 |
写真:和歌山県和歌山市 和歌山城 天守閣(外観復元) |