'97東北ソロツアー

 要するに人生初のソロツアーと言う奴である

ここだけは合宿ルートも込みで 地図を見てもらえれば(多分)分かってくれると思うが
合宿のルートはかなり地獄めいているのが分かるだろうか…
八甲田山(酸ヶ湯温泉郷)、恐山、仏ヶ浦と、1年生だった私だけでなく
上級生の足をもことごとく拒んでいった青森の山々…
はっきり言って厳しい合宿でした
でも、この合宿があったから我々の代は精神体力ともに鍛えられた
と言っても過言ではないだろう…
そういう意味ではあの合宿はいい思い出だったと思う…

で、話はソロツアーに戻る
このツアーは地図見れば分かるように、夏合宿の後にソロツアー決行
(いわゆるAfterツアー(*1)って言う奴だ)
当初の目的はとりあえずいけるところまで南下しようという目的だった
だから、当時の企画局長に「〜日にはどこにいる??」という質問に
「多分…酒田辺りじゃないですかね」という自信満々の発言をするほどの勢い

また、当時はMyテントもMyGASも無かったために、全ての道具を先輩&倶楽部に借りてのソロツアー
とにかく全てにおいて初めての一人ツアー(複数ソロは経験済)だったので、出発前から緊張していたのも事実
とにかくそうして合宿も無事終わり、翌日写真撮影をして解散となったのである…

≪1997年8月28日≫(晴れ)
旅程:五所川原〜行合崎野営場

千畳敷 まずは、ピーク1(*2)のガソリン補充にホームセンターへ
ちなみに、私のほかに、北海道に行く人、奥羽山脈を縦断すると言う人(!!)
と他にも数組のソロツアー組がいたが
秋田(特に八郎潟)が見たい(*3)と言う理由で
日本海側を南下するルートを選んだのは私一人

そこからは、皆と別れ、いよいよ一人旅だ、出発時刻は14時頃…
左手には岩木山を見ながらの快適なサイクリング…
と思ったらとにかく海が見えるまでの十数`
かなりの向かい風に見舞われる
さすがにまだ完全に合宿の疲れが癒えていないうちにこの向かい風は相当きつかったらしい
当時の日記には、もう風のことしか書いていなかったりする…

それでも、海に出たら少しは楽になる、途中の鰺ヶ沢のスーパーで食購を行い、更に南を目指す
道はひたすらJR五能線に並行して走る、静かに波打つ日本海を眺めながらの走行は、気持ちよい
千畳敷(*4)駅を越え、地図の上ではもうすぐ行合崎…と思ったら
久々の海岸線UPの登場(*5)に、半泣きになりながら無事行合崎に到着…

しかし、まだ難関が…自転車を置ける所からテントサイトまで長い階段を下りなければいけない…
しかも、私のほかにテントはたった一つ、人の気配も無い…
とりあえず慣れない手つきで食事をしてようやく一息ついたところで(もちろん風呂は無い)
いつのまにかもう一つのテントの人が…
女性のライダーで、北海道に帰るところらしいということだ
そこから、すぐに寝るのもなんだったので、たわいもない世間(旅)話をして、結局テントに入ったは23時頃…
星空がとても綺麗だった記憶がかすかに残っている…

当時の日記の抜粋
「やはり、ツアーをしている者同志、すぐにこうなれるのは、ソロツアーの魅力の一つだなって思った」

<28日終わり>

*1:合宿前のソロツアーをPreツアーとも言う
*2:要するに火種、これで米を炊き、おかずを作る、いわば携帯用ガスコンロ(燃料はホワイトガソリン)
*3:小学校の社会の時間で習って以来行きたかった場所だったりする(クロニクル参照)
*4:波が削って出来た特殊な海岸地形、意外と日本国中にあったりする…
*5:海岸線沿いには時々波に削られ切り立った崖のようになっている場所があったりする
   これを知らないと、しょっちゅう裏切られる羽目になる

≪1997年8月29日≫(晴れ)
旅程:行合崎〜大潟村(八郎潟)

途中にあったでかい水車 朝6時、けたたましいサイレンの音で一発で目が覚める
前日に女性から聞いてはいたが、思っていた以上に凄かった…
お陰で朝は予定より早くに出発
でしなに記念にと、女性と一緒に写真撮影、旅っていいなぁ、と思う瞬間だ♪
今日は、遂に秋田県突入の予定、頑張れば今日中に八郎潟も夢じゃない
まずは黄金崎にある不老不死温泉で、昨日の疲れを落とすことに
東北とはいえ夏は夏毎日汗を流さないと気持ち悪い。
ここは塩泉ゆえに、飲むとしょっぱい、さすが不老不死の湯…
で、今日の難関、世界遺産白神山地…の脇(海沿い県境)を抜ける…のだが
ここで、さすがに力尽きる、「道の駅はちもり」で、とりあえず飯を食って休憩するのだが
運の悪いことに頼んだ料理は納豆入り(*6)、でも、体力回復の為と
無理やりかき込んで完食!!…偉いぞ、俺♪
で、結局この道の駅で30分程仮眠、これでもかなり疲れが取れるから人間は凄い

そして秋田県を爆走、能代市を越え(途中虹ノ松原を通る、松原の中を走るのは気持ちいい!!)
八竜町では大きな竜の模型に遭遇、う〜ん、何か近いものを感じるわ…

途中にいた竜そしていよいよ八郎潟に到着…
ドキドキしながら水路を越える橋を渡る…

そこは、だだっ広い田園がひたすら広がる農耕地帯
予想以上に素晴らしい風景である
嬉しくなって、疲れもどこかに吹っ飛ぶ
トラックが多いのは少し気に入らないが…
そうしてじきにキャンプ場へ、荷物をおいて、大潟村にある温泉施設
「ポルダーの湯」に向かう、やはり風呂は良い♪
スッキリした後は、絵葉書を買ったり、観光パンフレットをあさってみたり(*7)して過ごす
キャンプ場に帰ると、今日もテントは2つ、今日も相手はライダー、でも男
それでも、少し話をして、就寝。明日は八郎潟を回るぞ!!

当時の日記の抜粋
「しかし、八郎潟、イイ!!めっちゃくちゃイイ!!もう最高。三日はあきないね、こりゃ」

<29日終わり>

*6:輪駆は納豆だけはどうもいけ好かない…
*7:手軽にその町を知るための必殺技、役場や道の駅、駅前などで入手可能

≪1997年8月30日≫(晴れ)
旅程:大潟村〜秋田駅

経緯度公会点 今日も朝は早かったと思う。準備をして、ライダーの人と写真を撮って、いざ出発
今日の目的は、大潟村の巨大米作プラントと、経緯度公会点にゆくことだ!!
案外すぐに2つともみることが出来る、カントリーエレベータ(*8)群と、経緯度公会点
カントリーエレベーター群は、ただでさえ大きなカントリーエレベーターが
いくつも集まっている所そのスケールの大きさにただただ驚くばかり
もっと近くに寄って見るべきだったかなぁ〜

経緯度公会点、日本で唯一10度単位で経緯度が交わる所
これに興味を示すあたりが地理学科の性か
公会点までは、数百b程のダート、荷崩れを心配しつつ公会点へ…
そして、誰もいない田んぼの真ん中に、ソレはひっそりとたたずんでいた
早速三脚を立て、記念写真
帰りはまたダート道をえんやこら、ようやくトラックだらけの道に戻り、いよいよ秋田市内へ…

しかし、大潟村を離れると、目標達成の開放感からか、どっと疲れが来る、全然走れない
よく考えたら昨日は100km以上走っている、しかも、その前にはあの厳しい合宿が…
昨日の夜からもう疲れはピークだったが、まだ今日の朝は大丈夫だった…やはり開放感か…

見える限り田、田、田でも、何とか秋田駅まで走り、ここでとりあえずツアー終了
駅寝が怖かったこともあり、近くの安い旅館を探し
とりあえずチェックインしてから秋田駅辺りで時間を潰す(帰りの時刻表も調べる)
そして、旅館に戻ろうとした頃に何か見慣れたものが…
なんと合宿中にも出会った「古都家三十兵」氏の自転車を発見!!
早速氏を探し、発見。一人旅がイイとはいえ、さすがに寂しい時もある
嬉しさと、懐かしさからその後22時頃まで語り明かす
ついでに「きりたんぽ鍋」もご馳走になる
しかし、氏がいると分かっていたら、旅館なんかに泊まらなかったのに…

当時の日記の抜粋
「そろそろ旅館へ行くかな、って時に、何か見慣れたランドナーが」

<30日終わり>

*8:田舎の象徴

≪1997年8月31日、9月1日≫
旅程:秋田〜福井(駅寝)〜奈良

カントリーエレベーター 今日は一日輪行…次の日も午前中は輪行…
初の長い輪行だ、でも、さり気にゲームボーイ持っていった自分がちょっと情けない(^_^;)
途中の村上駅で、チャリダーに会う、その人は、旅をしながらHPを更新する強者だった
まさか数年後に自分がその方向に向かうとはその頃は夢にも思ってなかった…
この日、ダイアナ妃が事故死したことを始めて知る
それは、列車の向かい側の座席に座るおっさんの新聞に載っているのを見て…
また、列車の旅に興味を覚える、「鉄」の入り口か!?

そして、福井駅で駅寝、駅寝も初体験、恐い、でも、疲れからすぐ眠る
次の日起きたらもう始発の時間は過ぎている…って、寝すぎじゃねぇか!!
そうして奈良へ…ああ、疲れましたとさ

当時の日記の抜粋
「でも輪行(とくに鈍行)でも、何かえるものがあると思う。
俺も今日一日で、よく分からないが何かをえたような気がする。」

<31、1日終わり>

≪まとめ≫
とりあえず自分の体力の無さを痛感した、合宿明けということもあったが
でも、それ以上に色々な出会いあり、発見ありで、初のソロツアーは非常に有意義なものだった
こうして輪駆はツアーにはまっていくわけである
また秋田は是非行きたいものだ、次は男鹿半島辺りに…

<東北ソロツアー終わり>



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