1994年ヒーロー配給
| 監督 神代辰己
脚本 神代辰己 伊藤秀裕 撮影 林淳一郎 美術 澤田清隆 照明 前原信雄 録音 柿澤 潔 編集 飯塚 勝 記録 本調有香 助監督 鴨田好史 撮影助手 佐野哲郎、細野正道 現像 東京現像所 タイミング 森 吉隆 機材 映像サービス AATON フイルム コダック 制作協力 エクセレントフィルム、日活撮影所 製作ヒーロー
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愛称【くまさん】
誰にも好かれ、誰にも尊敬された、大好きだった監督
【もっとないか、もっとなんかないか、ジュンちゃん】
この言葉は今は誰も言ってくれない、自問しながら撮影する
合掌…
以下、1994年
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[神代さんとのこと] 思えば神代監督と出会って、早10年を過ぎた。出会いは、私がキャメラマンになって2年目の頃で、クマ さんもまだ一緒にゴールデン街へ飲みに行っていたっけ…2時間のTV映画。学生の頃『恋人たちは濡れ た』を薄汚れた高円寺平和で見て以来、“かみしろ、かみしろ”と次々に見て行くうちに“くましろ”だったこ とを知る。そのうち映画界に身を投じ、監督とキャメラマンとして出会った時の驚きは今だに感慨深いも のがある。しかし、そのときには私も監督も互いに不満足のものだった。翌年にもまたTV映画を作った が、それから4〜5年音沙汰無し状態になった。その間に神代辰巳作品が4本程世に出るのを横目で眺 め、私は私でやっていた。そして…5、6年前にまた再びクマさんから仕事の依頼がやってきた…しかし、 メジャーな会社だから大丈夫だろうと思っていたが、製作中断。まだバブルの全盛期というのに。次の作 品も同じ憂き目に…それからがまったくついてない。2年前にも同じことが。その間、クマさんとはCMを 撮影したり、脚本を読みに家にお邪魔したりしていたので、自分としては親しみを感じる監督の一人にな っていた。そんな折りの今年、3月。電話が鳴った。「また駄目になるかもしれないけど……」 [クランクインまで] 早速製作会社のエクセレントフィルムに出かけた。そこからが最近私が映画製作の悲哀を感じ、どこに 言うこともない憤りを感じてしまうことなのだ。仕方のないことだが予算が余りに無いのだ。監督の目指す グレードと、制作者側の意図が余りに隔たりがある。その間でスタッフは出来得る限りグレードを上げる 努力はするが、限界は自ずと見えてくる。はじめに伊藤Pから聞いた予算は6000万だった。何とかやる しかないが、やるからにはクマさんに恥をかかせないグレードにしなければならないと思いつつ準備を始 めた。現場プロデューサーがそれからわずかな日数で準備を始めた。その結果予算が合わないというこ とになった。格段の贅沢など勿論しているはずもなく、というより、本を読みました、さてどうしましょう、と いう段階だったので理解に苦しみ問うてみると、“予算がどうしてもはまらない”という信じられ無い言葉。 おまけに当初聞いていた6000万ではなく4500万という数字。たった4〜5日で1500万の目減り。予 算が湯水の如くあるならいざ知らず、極赤貧予算の1500万の目減りには現場Pに思わず聞き返した。 “キャスト費が入って無いんだろ?”“いえ、すべてです”……唖然。“6000万て聞いていたぞ”“あれはア ドバルーンです”……絶句。アドバルーンというよりもバーゲンセールの風船ではないか…この時点から クランクインするまで闘争の日々が始まる。それからほんの数日して、今度は制作母体がエクセレントフ ィルムからにっかつ撮影所になるという。それに伴ってそれまで決めたスタッフも変更があるかもしれない ときき、慌てて現場Pと話しに行った。“制作部と演出部はこれまで準備してもらっているので変えられな いが照明部、撮影助手はにっかつで”言っている現場Pもとても申し訳なさそうに云うが、私もとても引け ない。要は、弾いた予算がかなりオーバーしてにっかつに渡さないと仕切れないという。エクセレントで仕 切れないものが何故にっかつで仕切れるのか聞いてみれば、自前のスッタフが居り、キャメラ機材、照明 機材があるからという。現場Pも感心して…“そういうことなんですよ”…何をか言わん。と、次の交渉相手 はにっかつということになったが、にっかつは調度同じ時期に何本か作品が集中していたため、交渉する と割合すんなりスタッフは元に戻った。但し、照明機材と撮影機材はにっかつの自前を使うという条件で ……しかしこれもえらい事で、キャメラは結局、外から借りる事になった。照明機材も余り感心するライト があるわけでもなく、ハイブライトなどは、必要に応じて借りるということで収まった。本当は常に欲しいの だが、とにかく金銭が全く合わない。最後の難関はスーパー16を35mmにできないかということだった。 元々スーパー16と聞いていたし、最後まで気にしていなかったので、金が無いなら無理して35mmを使 うことはないと思っていた。それが衣装合わせの時期に、監督と話しているうち、クマさんがスーパー16 をまったく理解していなかったため、急遽35mmにできないものか考えてみた。予算が無くて35mmで やる……推定予算4000万。経験者の佐々木原氏の話も聞くがアフレコということでは監督に言えない。 それでもラッシュは縮小、音ネガは16mm、NG抜き、フィルムはアグファ、カメラは有り物、深夜送り無 し、スケジュールの短縮等で何とかならないか計算を頼んではみたが、35mmと聞いただけでP側は拒 否。…“無理ですよ”そればかりかにっかつ側はもともとVシネと考えていますというし、エクセレント側と食 い違う始末。それではせめてライトの光量をもっとしっかり持って行こうとしたが、所詮何にも分かって無 いPばかりが現場でうろうろするばかり。“軍手7ダースを3ダースに出来ませんか?”…またまた、 唖然 そして、また 唖然!もうこうなったらこっちも破れかぶれ。とことん赤貧に付き合っていくしかない。技術、 美術に夢がないなら、監督、キャストに夢を見るしかない。そんなことで映画を作ろうとしてよいのかと思 いつつ、ロケハンも終わり、衣装合わせも終わり、クランクインになった。インまでで相当疲れてしまった。 こんな経験初めてだった。普通はもっと楽しいものなんだが。
[やっと撮影開始] 『棒の哀しみ』は北方謙三原作で、氏には珍しいハードボイルドではないヤクザな人間の生きざまを描 いた小説だ。当然オールロケで
全25の舞台だった。 最初の監督との申し合わせで、手持ちはしないと決めた。といっても特機が有るわけでもないので果たし てやれるか不安だった。というのも監督の撮り方はワンカットワンカット、カットを割っていくのではなく大 概ワンシーンワンカットか、あるいは同じシーンを2〜3回、登場人物を追う形で撮ったりするので常にキ ャメラは動いていることが多い。キャメラが固定していては、人物がとんでもない方へ行ってしまうか、居 なくなってしまう。狭いロケセットと使い勝手の良い機材を持たないことは、いろいろな無理があったが、 完成したものには、編集という強い味方があるため余り気付かれないと思う。それにしても時代物の年期 の入ったタイヤ移動には随分世話になった。最新のドーリーからみれば上下が利かない分、実に頼り無 くなる時もあったが割り切るしかない。99.98%はしっかり三脚に乗せた。神代さんで、おまけに狭いロ ケセットで手持ちを一度もしなかったのは狙いとはいえ相当しんどかった。 [気にいったところ] スーパー16の荒れを逆に利用するなどという芸当はできないので、監督の狙いとすることを撮っていっ た。主演の奥田瑛二と永島暎子の最後の異常なまでの絡みのシーンでいかにエロチックに撮れるかは、 結構大事だった。女は傷ト血に興奮する。大きな布を被せて、窓は夕景の赤、逆ライトを強調して、動き の中に男女のシルエットが浮かぶ様にした。その直結のシーンは唐突な朝、女は男を回りながら会話す る。天井に申し訳程度に吊った2本の螢光灯以外は全て自然光で撮影した。16mmの悲哀が出てしまっ たが芝居にはマッチングしていると思う。 ラストの晒しを巻く前の男と女は恍惚感の何物でもない。−何もかもうまくいっているーと独白する主人 公の気持ちを盛り上げるのに少々悩んだ。 [雑感] それにしても神代監督のあの撮影中の粘りには感服する。酸素を吸いながら撮影しているのに関わら ず、ただ驚異!敬意! 予算のないのは最初ぼやいたが、そのためにネガはEK,ラッシュはアグファでやった。タイミング時に基 準を見つけられずに参ってしまった。おまけに映写状態は最悪だったし… 初号プリントはEKにしてあるがラッシュデアグファを見慣れてしまい、なんとなく味のある微妙な色彩に 郷愁を覚えた。7月8日初号。7月19日テレシネ。4月半ばから3ヶ月、やっと私の仕事は終了した。 要するに神代辰己の人間の魅力に惹かれ、オールスッタフ、キャストが懸命に作ったってことだろう。 日本映画が文化財にならないようにがんばるしかない. 「映画撮影」誌より抜粋 |