入門までの道のり



私の、二胡との出会い、別れ、そして再会のストーリーです。




そもそものきっかけ


「中国が好きなの?」


↑二胡を習っていると言うと、たいていこんな反応をされるのですが(笑)
でも、最初に告白しておきますが、私は中国が好きだったわけでもなく、二胡に特に興味を持ってたわけでもないんですよね。
こんなこと言うとお稽古教室でもとても肩身が狭いんですが。(と言うか、教室ではとてもそんなこと言えない・・・)
(注:開き直ってるわけではありませんよ、決して。むしろ恥ずかしく思ってるんですぅ(^^;;)

私が二胡を習い始めた動機と言うものを強いてあげてみれば、

   「退屈だった、ので習い事の一つでもやってみたくなった。」

ってことでしょうか。
だから別に二胡でなくてもよかったんですよ。って言うか、最初は二胡なんて全然知らなかったし。
でも結局二胡に落ち着いて、まぁなんとかここまで続いたのはやはり縁があったのかなぁ、なんて最近考えてみたりもするのですが。
(続いてる最大の理由はとてもいい先生に恵まれたからなんですけど。)

ということでもうちょっと詳しく説明してみますと、「退屈だった」ということなんですが、ある時事故に遭ってしまって2度ほど入院してまして。
無事に完治し社会復帰はできたのですが、長い間病院という閉鎖されたところにいたせいで(外出許可もなかなか出なかった)、とにかく退屈を持て余していたのです。
退屈、というより、とにかくなんかやりたかった、という方が正しい。
退院して社会に出られて身体も治って自由に動けるようになって、それが嬉しくて嬉しくて、エネルギー持て余してて何事にも非常に積極的になってたんですわ、この時期。(今からは想像もできないけど・・・)
それで退院してからしばらくいろんなことに首を突っ込んでみたのですが、どうせやるならなにか芸とか技術とか知識とか身に付くことがいいなぁ、と思い始め、習い事情報誌をぺらぺら立ち読みなんかしてたのでした。

さて、習い事教室を物色し始めた私ですが、ここで条件を設けました。

   「どうせやるならちょっと変わったものを。」

この理由はですね、あまのじゃくなんですよね、私。
みんながやってること(英会話とかお茶とかピアノとか)には興味がわかなかった。

   「習い事始めたの。」    「何を?」    「お茶。」    「ふーん、私もやってるよ。どこの流派?」

↑こーゆー会話、イヤ。(^^;;

それに変わったものなら人に上達度を比べられたりしなくてすむし、歳とってから初めても大丈夫じゃないですか。
例えばピアノだったら、ピアノやったことのない人でもちょっと演奏を聴けば、その演奏者が上手いか下手なのか、ずっとやってたか始めたばっかりのシロウトなのか、見分けがつくでしょ?
自分の楽しみのためにやってるのになんかそれってすごいプレッシャー。早く人並みに上達しなきゃ、って。
それに、今この年齢から始めても、どうがんばったって子供の頃からずっとやってる人には追いつけないし。なんか上達度の先が見えてるって言うか。
こういうこと気にしながらお稽古したってぜんぜん楽しくないですよね。
だったら他の人がほとんど知らないようなことにチャレンジした方が気分的にはずっとラクだもん。
(結局ただのナマケモノだった私・・・(^^;;)

そんなこんなで習い事情報誌をながめてたある日、私の目にとまったのが「中国胡弓」(=二胡)の教室案内でした。
同じ市内に教室があり、毎週土曜午後自由出席1回2500円。
「ふ〜ん、ええやん。」
大して深く考えもせず、問い合わせ先に電話して気軽に見学を予約。
1996年初秋のことでした。





入門から挫折まで


電話をしてから数日後、軽い気持ちで見学に行くと、その日は私の他にも習い事情報誌を見た女子大生が1人来ていました。
彼女は中国文学を勉強してるとかで、最初から本当に二胡に興味を持って見学に来ていたような感じ。(遊び半分の私とは大違いだ・・・)
教室で私たち2人は他の生徒さんのレッスンを見学させてもらい、実際に二胡を持って弓を推したり引いたりさせてもらったのですが、このときも私はまだなにも考えず暢気に遊んでるだけでした。「ふーん、こんなものかぁ・・・」って。(^^;;

そんなこんなで30分後、先生に「どうされますか?」と聞かれたときにも「どうにもこうにも・・・」という「おまえは一体なんしに来たのだ?」と自分でもツッコミたくなるような気持ちだったのですが、女子大生のヤル気につられ「やってみよっかな〜」と気持ちが傾き、結局その日その勢いで楽器を購入してしまったのです。(^^;;
二胡一式・換え弦・長馬・ハードケース付きで35000円(税別)。
1万円札4枚と引き替えに「さぁこれでカンタンに止められなくなったぞ」という思いが頭をぐるんぐるんしていました。(^^;;

その次の週から毎週土曜の午後に教室に通うことになったのですが、ここで問題が。
なんと翌月、先生が替わってしまったのです。
最初見学させてもらった時の先生は実は代理講師で、本当の先生が復帰したら交代する、ということはあらかじめ聞いてはいたのですが、まさかそんなに早く替わってしまうとは思っておらず、これは私にはちょっとした出来事でした。

しかしまぁそれは仕方ないとしても。
本当の先生という方は中国人の方で、産休で中国に一時帰国されていたのですが、再び日本に戻ってこられ、私たちはその先生に教わることになったのですが。
実はその先生、日本語がカタコトだったのですー・・・。
二胡をわざわざ習いに来る他の生徒さんはもともと中国に興味を持ってる人たちばっかりなので、先生の中国語混じりの教え方にもしっかりついていけるのですが、ハナから中国になんの興味も持ってなかった私には、これはちょっとしたカルチャーショックでした。
先生は片言の日本語で一生懸命説明しようとする、生徒は一生懸命理解しようとする・・・
でもね、中国文化や中国語にそんな思い入れのなかった私は、なーんかついていけなかったのですよ・・・
私は二胡を習いに来ただけで、中国文化を受け入れるつもりはない。今思うとめちゃくちゃ勝手な理論なんですが、当時はこういう思いがどんどん強くなってきて。

それにその先生、プロの演奏家で中国では第一線で活躍してた方なので、レッスンの速度も速い速い。
他の生徒さんも熱心だからみんな上達が速い速い。
そんな状況で、だんだん私は落ちこぼれだと自覚してきたんですね。

それに加えて、毎週土曜の午後にレッスンというのが億劫になってきたんです。
退院後あれこれ活動の手を広げすぎて、土曜の午後が他の用事で潰れてしまうこともしばしば。
(だってー、だってだってー、遊びたい年頃だったんだもーん(^^;;)

そして

  「レッスンを休む」
     ↓
  「進度が遅れる」
     ↓
  「ますます他の生徒さんに付いていけなくなる」
     ↓
  「落ちこぼれ〜」

この悪循環にはまってしまい、大してもがきも抵抗もせず、ついに教室に行かなくなったのでした。

まぁ、今になってみればちょっと後悔なんかしてみたりするんですけどね。
もうちょっと根性出して続けていれば、今頃はそこそこ上手に弾けるようになってたんじゃないかなぁ、と。
例えば、一緒に見学してたあの女子大生はもうどれくらい上達したんだろう?
(もっとも彼女と自分とでは気合いの入れ方がもとから違うって。(^^;;)
でも今さら仕方なし、せめて今の教室ではがんばろうと自分で自分を叱咤激励する今日この頃。





そして、再入門


そんなこんなで挫折してしまった私は、しばらく二胡から遠ざかっていました。
市内で別の教室を探したりもしていたのですが、でも特殊な楽器故なかなかないんですよね。
中華街とか都市部に行けばないこともないんでしょうが、遠くて通うのが大変だったらまたすぐに挫折するの、目に見えてるし。

そしていつの間にか2年あまりの年月が経過し。
ある日、偶然読んだ地方新聞で、「二胡教室新学期募集」という総合音楽教室の広告を発見するのです。
記事が小さかったので詳細は書いてなかったのですが、体験説明会を開くと書いてあり、それで電話で予約してとりあえず説明会に行くことにしました。
1999年4月のことです。

以後、運命の再会から現在に至るまでは日記コーナーでどうぞ。



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