父の戯言

[Part 1]

  2001年9月 給料大幅ダウン!?
   

長から「話があるから来てほしい」との事。

普段はめったに工場には顔を出さず、たとえ用事があってもほとんど内線電話で
済ませる社長がわざわざ仕事中に呼び出すときは自分にとってはあまりいい話で
ない場合がほとんどだ。
ましてやここ数年、ウチの会社も不況の波をもろにかぶって売上が年々落ち込んで
いるだけに、憂鬱な気持ちで応接室に足を運ぶ。

「今月から給料を下げさせて欲しい」

まぁ、なんとなく予想はしていたし現在の会社の状況からすればそれもいたしかたな
かろう、ましてやまがりなりにも工場長という立場であれば真っ先にシワ寄せが来る
のも当然だ。が、それにしてもいきなり15万もダウンってなんだそりゃ!?

像をはるかに上回る大幅ダウンの宣告に頭を殴られたようなショックを受けるが
「受け入れなければやめてもらわなければならない」と、それってひょっとしてリストラ?
みたいなセリフで追い討ちをかけられてはイヤもクソもなく「了解しました」と言うしかない。

今、振り返ればこの時点ですでに会社もそうとう危険な状況に陥っていたのだが・・・
家内にも「近々給料下げられるかも知れんから覚悟しといてくれ」とは言ってあるも
のの、一体なんと説明すればいいのやら、11月にはタイピング&GTサミットも控えて
いるこの時期になんとも最悪のタイミングで告げられその日は仕事もまったく手に
つかない状態。

だがしかし、これはまだまだ悪夢のほんの序章に過ぎなかった・・・

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    2001年10月 大手得意先倒産! 暗雲立ち込める
   

一番の電話

ウチの会社(T社)の取引先の中でもかなりの上位に位置するF社が昨日二回目の
不渡りを出して昨日の午後三時を持って倒産したとの連絡を受け、会社も騒然とした
雰囲気に包まれる。

以前から危ないうわさはあちこちから入ってきてウチも十分警戒はしていたがいたが
とうとう倒れてしまったか!
それにしても昨日の朝までは平然と注文の電話を入れてきて何食わぬ顔で商品を
納入させやがって、まったくタヌキ社長め!
西陣という京都の伝統産業も今ではすっかり落ちぶれてはいるが、せめて最後だけは
京都人らしく「ええかっこしい」のプライドと仁義だけは守れよな。

んなことよりも一番気がかりなのはこれでウチの会社も相当の未回収売掛金が
発生するハズ、大得意先だけに一時は「六ヶ月の手形」などというとんでもない
取引条件を飲まされてだけにこれはひょっとしたら・・・

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    2001年10月 銀行管理下に、そして立ち退き通告
   

F社倒産によるウチの会社のダメージは自分の想像より遥かに大きかったようだ。

先の見えない不況の中、ここ何年かはそれでもなんとかやり繰りしていた会社の
財政が一気に悪化、それにともない取引銀行からの新規融資も打ち切られ、
あまつさえどうやらうちの 会社も整理対象の一歩手前にランク付けされたらしい。
小泉内閣の「痛みを伴う構造改革」のしわ寄せがいよいよウチの会社にまで及んで
きたわけだ。

それにしてもこのままじゃウチの会社も新聞の記事によく出てくる「資金繰りの急速な
悪化による連鎖倒産」の典型的王道パターンを演じる可能性大。
またまた社長に呼ばれた。さぁ今度は何ですか? 冬のボーナス支給無しならとっくに
覚悟してますが、何か?

残念ながらハズレ、答えは「社宅の明渡し」だった(そっちの方がマズイって!)
銀行の担保に入っていた社長の自宅が押さえられ、銀行はそれを早々に処分して
少しでも早い目に融資の回収を図りたいらしい。
自分の住んでいるこの家は元々社長一家の物であり、バブルのときに社長が別の
場所に家を建てて空家になっていたものを自分が社宅として借りていただけであり、
こちらとしても一生居座るつもりもなく、あきうめが高校に進学するくらいまでは、とは
思っていたのだがいきなりこんな事態が来ようとは!

、社長一家がここに戻って来るので、自分は現在社長の息子夫婦が住んでいる
新館に移ってくれないか? との事だったがお断りした。
会社自体ヘタすりゃこの先どうなるかわからない今の状況ではあまりに危険なオプション
だと判断せざるを得ない(二回も引越し、なんてたまったもんじゃない)

その後、銀行を間に入れての交渉があり、こちらとしても子供たちもいる事なので
最終的に二学期が終わってから新学期が始まる冬休みの間に引越しをする事で話が
決着した。
と、同時にこれでGT&タイピングサミットもファイナルとなる事が確定、てか、これから
引越し準備で大忙しになるのがわかりきっているこの非常事態にサミットも何もあった
ものではないのだが、掲示板で連日サミットを楽しみにしているネット仲間の声を裏切る
わけには行かない。

何よりたつろうや、あきうめに最後のサミットを存分に楽しませて思い出を残してやりたい、
もちろん自分自身も。
夜、家内に恐る恐るサミット決行してもいいか? と打診。なんと言っても自分がやると
言い張ったところで、家内が協力してくれないことにはどうにもならない、でも取り越し苦労
ですんでよかった、家内も思いは同じだったようだ、改めて感謝。

ぁ、そうと決まればこれからはハードスケジュールになるぞ、とりあえず掲示板で仲間に
しばらく不在になることを詫び(もちろん理由など言えたものではないが)、実家に連絡を
とって今後の対応を相談する事にする。

たつろうとあきうめにはまだ事情を告げられずにいる。出て行かなくてはならないと言ったら、
あきうめはきっと泣き出すだろうな・・・

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    2001年10月 家族会議
   

家に事情を説明したら、その日の晩に両親と妹があわててスッ飛んで来た。

とりあえずたつろうとあきうめに聞かれるとマズイので、妹にリビングで一緒に遊ばせて
おいて両親と奥のゲーム部屋でさっそく引越し先の相談。その前に妹に向かいのコン
ビニで住宅情報誌を買いに行ってもらったらなんとありったけの情報誌を全部買って
抱えてきやがった!

なんでもいいが「学生向けのワンルームマンション&アパート情報」の本まで買って
一体どこに住ませたいんだ!?(爆)
それにしても現在の場所近辺(北区)で探すとなるとやはり家賃が高い、京都は北に
行くほど家賃が高くなるから無理もないが。でも中途半端なこの時期に子供たちに
転校まで強いるのだけはなんとしても避けたい、自分自身もとりあえず今の会社に
留まる以上、これからは通勤しなければならない訳でもあるしそのあたりも考慮しな
ければ。

エレベーターで工場に降りるだけだった生活に慣れきってるだけにちょっと不安。
なんだかんだと家族みんなで夜中まで情報誌を片っ端から見てまわるも、そうそう
すぐに「ここにしよう」などと結論が出るはずもなく、とりあえずこれからお互い連絡を
取り合って情報収集しつつ家探しをする事にしてこの日はおしまい。

ミットの方は今週末にタイピングサミットの打ち合わせにdoraguさんとjxnzさんが
来るので、申し訳ないがお二人に運営のほうをお願いすることにしよう。
主催者がこんな事ではいかんのだが・・・

明くる朝、学校に行く前にたつろうが「お父さん、こんなとこに家探しの本いっぱい置い
といたら、あきうめに気づかれてしまうやんか、はよ隠さんとあかんで」
どうやらたつろうはここ最近の自分たち夫婦の話の端々からとっくに気づいていたようだ。

たつろう自身つらいだろうに、文句もいわず弟を思いやるそのやさしい気持ちに申し訳
ない気持ちでいっぱいになる・・・

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    2001年11月 タイピングサミット無事終了
   

イピングサミットが無事終わった。

それにしてもすごいメンバーが集まったものだ。
あの時確かに自分の家(今となってはかつての、だが)に日本でも有数のトップタイ
ピスト達が集結した事は私にとって一生の思い出となるだろう。
本当はあくまで「第一回タイピングサミット」としてまだまだ続けたかったのだか・・・

もっともこれとてあきうめがTODの世界に足を踏み入れてなかったら自分とは一生
なんの接点もなく終わっていた世界の人たちであり、そのあきうめですら、たまたま
瀬戸さんにDCとキーボードをセットでプレゼントしてもらうという幸運な事実がなけれ
ばおそらく自分共々TODをプレイすることもなかっただろう。

でも瀬戸さんもゲームサミットに参加しなければ私と会うこともなかった訳だし、
まったく人の縁とはどこでどう繋がるかわからない不思議なものだ。
そう考えると自分自身今までサミットを開催してきて本当によかったと改めて思う。
なんにしてもこれでとりあえずタイパーのみなさんとの約束も果たせて一安心(思えば
3月の時点で開催宣言してたからなぁ(汗))

ぁ今度はいよいよGTサミットだ!

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    2001年11月 引越し準備、そして運命の宣告・・・
   

GTサミットが近づいてきているが準備が遅れがちで焦ってしまう。

会社倒産という最悪の事態に陥らないよう、仕事も今まで以上にあちこち手を打た
なければならないのは分かってはいるが、同時に来るべき引越しに備え家の中の
整理も進めていかなければとても間に合いそうにない。

もっともまだ引越し先すら決まっていないのだが、八年間もこんなだだっ広い社宅
住まいをしていては物を捨てる事などまったくしていなかっただけに、どうしても必要
でないもの意外は出来るだけ早く処分していかなければ。
そんなこんなで毎日が目まぐるしく過ぎ去っていったある日、またまた朝一番に社長
から呼び出しが・・・

どうせ良い知らせでないのだけは分かりきっているのでさっさと部屋に向かう。
さぁ、今度こそ冬のボーナス支給無しでしょう、んなもんとっくに覚悟は出来てますよ。

・・・逝ってよし、ってクビかいっ!?(爆死)
12月20日を持って解雇、といきなり告げられる、「正直、すまん」みたいな。

長の話では銀行側が経営継続の条件として今度は人員の整理を要求してきた
らしい。そうなると当然自分のような中間管理職のような存在は真っ先にターゲット
にされるのは社会の常識、なにより若手社員を置いておいたほうが給料を少しでも
安く押さえられるってもんだ。

銀行側は四人減らせ、と言ってきたらしく、これで私と家内は確定としてあとの二人
は一体誰に?(他人の心配してる場合か!)
それにしても八年前、当時入社の要請を拒み続けた自分を社長自らが押しかけて
きて「家も全てこちらで用意するからなんとか考えてくれ!」と家族丸抱えで三顧の
礼をもって迎えられたものだが、やはりこれが企業の倫理ってヤツか。しかし目の
前にいるその社長も、今では全てを銀行にコントロールされてる哀れなご身分ときては
ここでウダウダと文句を垂れたところで今更どうしようもない。

「了解しました、今までお世話になりありがとうございました」
と形どうりの台詞だけ残して逃げるように部屋を出た。なんにせよこれでこの全国的不
況のど真ん中に職と家を同時に失うことが決定。
給料ダウンから始まった一連の悪夢の連続攻撃も見事に解雇というフィニッシュブロー
を喰らってノックアウト、ここに無情のテンカウントゴングを聞くこととなった。

接室を出たものの、その日はもう仕事などする気力も更々なくさっさと早退する・・・

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    2001年11月 計画変更、とりあえず引越し先を確保
   

悪の状況に陥りあれからあたふたと日にちが経つ。

結局新しい住まいは家内が決めてきた。
家内の母親の知り合いが近くに小さいながらも一戸建ての借家を所有していて、敷金
礼金は要らないから借りてはどうか?という話をもらって即効で契約してきたらしい
(苦笑)

まぁ家内の実家(宇治市)から歩いてすぐの所なので、今の状況を考えればこれから
先その方がなにかと都合もよかろう、駅から歩いて三分と交通の便がいいのもありが
たい。

夜、たつろうとあきうめに全て話した。
転校しなければならないと聞いてやはりあきうめは下を向いていつまでも泣いていた。
スマン、会社まで辞めることになった以上、ましてや次の就職先すら何の目処も立って
ない現状ではこればっかりは仕方がないんだよ・・・
とにもかくにもこれで落ち着き先はなんとか確保できたので一安心。

Tサミットが間近に迫っていた・・・

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    2001年11月GTサミット
   

よいよGTサミットの日がやってきた。

思えば先日のタイピングを含めた一連のサミットもこれでフィナーレ、なんとか有終の
美をもって締めくくらなければ!
初日の朝五時ごろ、早々とWipeOutさん率いる関東メンバーが到着。
長旅をねぎらってひとしきり皆と雑談を交わすも、ここ最近の掲示板での自分の異変
からか、龍ちゃんが「で、何だったんですか?」とさっそくツッ込んでくる(汗)

「実は・・・」
なにも事情を知らされていないネット仲間の「次回のサミットでは」という書き込みを、
見たり聞いたりするたびに「スマン、もう次は無いんだ」と申し訳ない気持ちで一杯だった
だけに自分も思わず真相を打ち明けようかと言葉がのど元まで出かける。
ましてや今ここにいる連中は皆R4時代からの気心知れたメンバーばかり、せめて彼らだ
けにでも本当の事を、と、危うく口を滑らせかけたが結局適当にごまかしてしまった。

これは他でもないサミット、みんなこの日を精一杯楽しみたいからこそ早くからスケジュ
ールや交通費をやり繰りして遠い所を物ともせずやって来てくれている。
そんなところに今こんな身の上話をいきなり持ち出して、初っ端からお祭り気分に水を
ブッかけるような事を主催者自らがやってしまってどうする!?
家内や子供たちにまで「誰に聞かれても絶対にしゃべるなよ」と口止めしておきながら
心の弱い自分を責める。

後のサミットは本当に楽しかった。
3日間とも快晴に恵まれたのもきっと神様の計らいだろう。GT3のチーム対抗戦では久々
に存在感も示せたし自分としても大満足、たつろうもあきうめもこの時ばかりは目一杯
サミットをエンジョイしていた、そう、それでいい・・・
アクシデントもあったりしてちょっと焦ったがとにもかくにも無事閉幕を迎える時が来た。

「これからの事もあるので最後くらい参加してもらった皆に事情を説明しておいたら?」
と耳打ちする家内に、自分も一瞬迷ったが結局思いとどまった。
これから皆渋滞の中を疲れた身体で遠い家路につかなければならない。そう、これは
サミット、今はただ楽しかった祭りの余韻だけに浸ってもらわなければ。

「本当に楽しい思い出をありがとう、そして・・・最後になってしまって申し訳ない」

心の中で一人一人に感謝とお詫びを述べながら、参加者を見送る・・・
最後の宴も終って皆が帰り、少しは感傷的になるかなと思ったが何故か「なんとか無事
終わった」という安堵感のほうが強かった。

ぁ、明日からはこれからの生活という試練に立ち向かっていく事だけに専念しなければ!
おっと、しかし自分にはまだやらなければならない事があったっけ・・・

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