敦賀
Tsuraga


JR敦賀駅前
  東海道新幹線の米原でJR北陸本線に乗換え、、特急しらさぎ号で約30分でJR敦賀駅に着く。米原からの距離は45.9kmと意外に近い。
  敦賀駅は明治15年に開業している。敦賀は古くから栄えた町で、今でも日本海側屈指の交通(鉄道、船、道路)の要衝となっている。
  古代から北陸地方の貢納物は敦賀に集められ、京都に運ばれたが、中世になると港が中継交易で栄えるようになった。  
JR敦賀駅
  また、畿内から大陸との門戸でもあり、平安期には、しばしば渡来した渤海使節を接待する国の施設・松原客館や宋の商人の宿泊する施設等も設けられていたようだ。
  江戸時代の寛文4年(1664年)には入港船jは2000艘を越え、敦賀の人口も15,000人を数えていた。
  敦賀は塩津街道、丹後街道の起点でもあった。又、明治になってからは日本と大陸を結ぶ国際港としても栄えた町である。
都怒我阿羅斯等像
  駅前広場にある都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)像である。日本書紀に登場する意富加羅国の王子で、ここに漂着したという
  崇神天皇に会おうとして、最初は穴門(あなと、長門)に着き、出雲経由で此処まで来たが、天皇は亡くなっていたので、次の垂仁天皇に3年仕え帰国したという。
  帰国の際に崇神天皇の御間城(みまき)の名を国名にするように命じられ、赤絹を与えられた。そして帰国後、国号を弥摩那(みまな)に代えたと記されている。   
  地名の敦賀は、都怒我阿羅斯等の都怒我(ツヌガ)が角鹿(ツヌガ)となり、敦賀(ツルガ)と転訛したようだ。

星野鉄朗とメーテル像
  駅前広場にある松本零士の銀河鉄道999のモニュメントがある。「つるが大使、矢野まさ」と台座のプレートに書かれてあった。観光ボランティアガイド、「つるがおもてなし大使」のメンバーであろうか。
駅前商店街モニュメントロード
  駅前の商店街である。朝早いせいか、店のシャッターは閉まり、閑散としていた。
  アーケード街のところどころに松本零士の宇宙戦艦ヤマトと銀河鉄道999のモニュメントがあるのには驚いた。
  此処だけでは無く、本町商店街から曙町にある越後国一宮の気比神社まで、道の両側に宇宙戦艦ヤマトと銀河鉄道999の名場面よりピックアップされたモニュメントが、全部で28基も設置されている。  
  作者の松本零士は、敦賀とは縁が無いが、敦賀は古くからの港町で、また鉄道の町であったので、1999年の敦賀開港100年の記念として敦賀の象徴に指定されたとのことであった。

佐渡酒造像
   写真は宇宙戦艦ヤマトの佐渡酒造である。一升瓶片手に酩酊状態であるが、医師としての腕は超一流とプレートに記載されてあった。
駅前ゆめさき通り
  古くからの港町敦賀は、海産物も新鮮で豊富である。矢部魚問屋、吉田昆布店等が駅前通りにあった。
  かつて、北前船で運ばれた昆布は、この敦賀でおぼろ昆布等に加工されていた。そして塩津街道、琵琶湖経由で京都・大坂に運ばれていた。
  なお、おぼろ昆布は、今でも全国の80%以上を敦賀で生産しているとのことであった。
塩津街道交差点
  駅前通をさらに進むと、塩津街道(国道8号線)の白銀交差点となる。右折すると敦賀港で左が塩津方面である。塩津街道はこの日本海の敦賀から深坂、沓掛を経て、琵琶湖の湖上交通の要衝であった塩津浜に到る平安時代から続く古い街道である。塩津浜からは丸子船で湖を縦断して大津へ運ばれていた。
  この交差点を左折して、塩津街道を2km弱進むと、丹後街道(国道27号線)の追分となっている。
敦賀駅ホーム
  今回は、敦賀駅から小浜線で、美浜、小浜、そして舞鶴へ向かった。写真は小浜線の10:00発の快速東舞鶴行きである。
  三方五湖や若狭湾沿いを走る見晴らしの良い快適な路線である。
  なお、小浜線は1922年に開通し、全長84.3kmの単線で、全線電化はされているが、特急・急行は定期運行されていない。

ルート

JR東海道新幹線米原駅〜
JR北陸本線敦賀駅

歩行60分


 メ モ

敦賀

敦賀湾に臨む市
昆布製品、かまぼこ、ガラス造花が特産
人口は68,200人

 

(福井県敦賀市鉄輪町、白銀町)
0712/0906

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