JR岐阜駅南口 旧中山道の加納宿と岐阜城址の間に出来たのがこのJR岐阜駅である。加納は昭和15年に岐阜市に編入されたが、江戸時代の加納藩城下町で、中山道の宿場町として発達してきた旧町である。 なお、加納宿は本陣1、脇本陣1、旅籠屋31軒で、宿場の長さは約2kmもあった。総家数は天保14年(1843年)で805軒もあった。 今回は駅前のホテルを予約していたので、旧中山道の加納からここまで歩いて来た。JR岐阜駅の南口が加納宿方面となる。 |
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JR岐阜駅北口 写真は岐阜駅の北口である。岐阜駅は東海道本線と高山線の駅で、明治20年の開業当時は岐阜駅では無く、加納駅であった。 駅ホームが一段と高いところにあるので、変に思って調べてみると理由が分かった。駅の高架化の時、名鉄の名古屋本線のガードを越える必要があり、高い位置に駅を造らざるを得なかったからである。 |
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名鉄、新岐阜駅前 岐阜駅前の歩道橋から北側(岐阜城方面)を見た写真である。この右手に名鉄の新岐阜駅がある。名鉄名古屋本線と各務原(かかみがはら)線が乗り入れている。 此の辺は、岐阜駅が出来てから発展したところだ。この道を真っ直ぐ行くと、左手に繁華街の柳瀬や市役所があり、その先の金華山に岐阜城がある。 旧中山道歩きで疲れていたので、駅前よりタクシーに乗る。 |
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金華山・岐阜城 岐阜公園に入る。左の山が嘗ては稲葉山と呼ばれた金華山(329m)で、頂上に微かに見えるのが岐阜城の天守閣である。 岐阜公園は明治19年に開設した公園で、金華山の麓に広がっている。岐阜城主であった斉藤道三や織田信長の居館があった処である。 園内には、歴史博物館や昆虫博物館、日本画の加藤栄三・東一兄弟の記念館、そして織田信長居館跡等がある。 |
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岐阜歴史博物館 公園内にある岐阜市歴史博物館で、市の歴史や伝統工芸を紹介している。戦国時代では、信長時代の楽市場等を原寸大で復元している。 この左奥には、ユニークな名和昆虫博物館がある。財団法人名和(なわ)昆虫研究所が運営する博物館だ。 明治16年にギフチョウを発見した名和靖が、明治29年に名和昆虫研究所を創立。明治40年に此処に移り、大正8年に付属施設として博物館を建設したものだ。約12,000種、30万匹の標本を所蔵されているとの事。 |
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千畳敷、冠木門 千畳敷にある織田信長居館跡。右の銅像は若き日の乗馬姿の信長像である。 「千畳敷御殿」とも呼ばれた信長の居館がここにあった。派手好みの信長の性格を現わすかのように、当時としては珍しく南蛮様式を取り入れた四層の華麗な居館であった様だ。 巨石を使用した通路や石垣のほか、土塁状の遺構、階段、水路跡、建築物の礎石の一部などが復元整備されてる。 |
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山内一豊と千代記念碑 信長・秀吉・家康に仕えた山内一豊は関ヶ原の戦いの後、一国(土佐)の大名となった。 碑には、NHK連続ドラマに因み、「山内一豊と千代婚礼の地」記念碑が建立されていた。石碑には、「長良川と一豊を愛した伴侶の鏡千代を讃える」と彫られてあった。 下の円形のものは、千代の鏡と記されていた。千代の愛用した手鏡を模したものの様だ。 |
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三重の塔、ロープウェイ乗場 正面に朱塗りの三重の塔がある。大正5年、大正天皇御大典を記念して建立されたものだ。登録有形文化財に指定されている。 この手前右手に金華山ロープウェイ乗場がある。昭和30年に開業したもので、山麓のここから頂上まで高低差255mを3分で結んでいる。 学生時代に来た時は、山道を歩いて登ったが、結構きつい坂であった。1時間近く掛かった記憶があるが、今回は楽をしてロープウェイを利用した。 |
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岐阜城 ロープウェイを降り、さらに少し上ると岐阜城の天守閣が見えてきた。斉藤道三、、織田信長ゆかりの岐阜城と大書してあった。 鎌倉初期に小規模な城が創建されたのが始まりである。戦国時代に美濃国守護の家臣である斉藤氏が居城としたが、後に斉藤道三が取得して、山頂に天守閣のある大規模な城郭(稲葉山城)を築いた。 永禄10年(1567年)に信長が道三の子孫を滅ぼしてから、天正4年(1576年)に安土城に移るまで、この城を岐阜城と改称して本拠としていた。 |
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岐阜城天守閣 なお、岐阜と言う名は、尾張政秀寺の僧沢彦が岐山、岐陽、岐阜の3案を進言し、信長が岐阜を選らんだことによる。中国・周の文王が岐山より興り、天下を平定した故事に因むものであった。 関ヶ原の戦いの時、岐阜城主であった織田信秀(信長の孫)が西軍に属し敗北したため、岐阜城は破却された。その建築材の多くが加納城築城の時に使用された様だ。 加納藩10万石の初代藩主は、家康の娘婿奥平信昌であった。信昌は長篠の戦いで手柄をあげ、家康の長女亀姫を正室としていた。中山道の要衝である加納に身内を配置したのである。 |
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西側、長良川下流 天守閣よりの眺望である。見事な眺めであった。写真は、西の長良川下流方面である。旧中山道はこの写真の左端辺りで、長良川を渡ると中山道54番目の宿場・河渡宿となるところだ。 なお、写真手前は戦国時代までの城下町で、嘗ては井の口と呼ばれていたところである。信長が楽市・楽座の制を定め、町造りをしたところで、当時のポルトガル人の宣教師、レイス・フロイスがバヒロンの混雑に等しいと記録に残した程繁栄していた様だ。 また、城が加納に移された後も、長良川の水運と結びついた商業町として大いに賑わっていた。 |
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北東川、長良川上流 天守閣より北東方面を見た写真で、長良川の上流方面である。左端の百々ヶ峰(どどがみね、418m)、そして大蔵山(194m)からの裾野が河畔まで続いているところだ。 ここから上流の藍川橋までの約7kmが長良峡と呼ばれ、舟下りが行われている景勝地だ。 なお、長良川は、位山(くらいやま)分水嶺の見当山(1352m)が源流で、ここ岐阜で濃尾平野に入り、愛知、三重の県境付近で伊勢湾に流入している。 又、秀吉の一夜城で有名な墨俣川は長良川の下流部分の別称である。 |
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北側、百々ヶ峰 金華山の北側にある百々ヶ峰(写真正面)は、岐阜市最高峰の山である。古くからの登山道と東海自然歩道が出来ている。 写真下部は長良川で、この辺で鵜飼が行われる。学生時代にここで泳いだことがあるが、水が綺麗で気持ちよかった記憶がある。 鵜飼は、毎年5/11から10/15まで行われている岐阜名物の夏の風物詩である。鵜飼は1300年の歴史を持つ古典漁法だ。そして長良川鵜飼は、日本で唯一の皇室御用鵜飼となっている。 |
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東側、各務原方面 これは各務原方面を見た写真だ。右上部の三角形の山が権現山(208m)、左の山が三峰山(232m)で、その間に微かに見えるのが旧中山道沿いの各務山(170m)である。 写真より、金華山が標高329mの峻険な山で一見難攻不落の城の様に見えるが、実はこの方角(左写真、南東)が弱く、山伝いに攻められ、何度か落城の憂き目にあっている。 |
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金華山登山道 ロープウェイ乗場に向かう途中に歩いて下山出来る道(百曲登山道)がある。昔歩いたところであるが、どうも記憶が薄れている。 今回はロープウェイを利用し、一気に下山してバスで岐阜駅に向かい、駅前のホテルに宿泊する。 |
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ルート JR東海道本線 岐阜駅 〜岐阜公園〜金華山〜岐阜城 |
駐車場 岐阜公園(有料) |
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