白馬村
Hakuba mura

白馬みそらの別荘地
  JR大糸線白馬駅の南西側、八方尾根の南部の麓に広がる原野に、広大な別荘地が出来ている。この原野は、北アルプスの五竜岳山腹にある白岳を源流とする源太郎沢の下流域に広がる扇状地である。
  観光立村の一環として、昭和35年に当時の村長が音頭をとり、大阪帝塚山学院に別荘地の開発を依頼したのが始まりとか。  
白馬みそらの別荘地
  
現在では、約27万坪、総区画数1300余の大別荘地となっている。但し、現時点での建物建築数は総区画数の半分位とのこと。其の他は空き地のままであった。
  内訳は、別荘388、ペンション等94、住宅100軒となっている。なお、みそらのは漢字で書くと、深空野とのこと。洒落たネーミングである。
  その一角にあるのが、ラフォーレ白馬美術館と白馬三枝美術館である。
白馬三枝美術館
   ラフォーレ白馬美術館は、マルク・シャガール専門の美術館で、初期から晩年の銅版画まで、480点の作品が収蔵展示されている。
  そして白馬三枝美術館は、白馬に魅せられた画家たちの証しをテーマに、日本を代表する画家、版画家、そして地元長野県の画家達の作品が多数展示されいている。  
白馬三枝美術館
  何れも、白馬を魅力的に描いたもので、圧倒された。写真は三枝美術館である。木造の洒落た美術館となっている。
  主な画家では、田村一男、山下清、三浦俊輔、江頭豊、山本不二夫、田中春弥等々であった。
  また、館内にはハーブを使った小物等が展示販売されていた。
みそらの別荘地レストラン
  別荘地内のレストラン、「マダム・ユキモク」で昼食を取る。自家製のパンが自慢で、石窯天然酵母フランスパンの店と表示されていた。夫婦で経営する店で別にペンションもやっている。
  夏場の昼食は、シェフおまかせのプチコースであったが上品な味であった。ワインもなかなかである。雰囲気も良く、落ち着ける店であった。
大出集落
  昼食の後、姫川沿いの大出集落に向かう。白馬連峰と茅葺の民家、そして姫川に架かる吊橋で知られたところである。
  川に架かる大出吊橋、右手には茅葺の民家がある。大出の集落には、こうした茅葺の大きな民家が何軒か残されている。
  この吊橋は、鬼無里(きなさ)街道に掛かっていた物であるが、今は別に車の通れる橋が別に出来ている。
大出の吊橋
  鬼無里街道は、現在の県道406号線で、山間の鬼無里を経て長野市に抜ける街道である。
  鬼無里は平惟茂(これもち)が、鬼女紅葉を退治したので鬼が居ない里と呼ばれるようになった。
  謡曲「鬼女紅葉」で有名になったところだ。古い茅葺の民家が多数残されているところでもある。   
姫川
  姫川は長野県青木湖の北側にある親海湿原を源流とする川で、白馬を通り糸魚川で日本海に流入している川である。
  名うての暴れ川として知られた川であるが、この辺では穏やかな流れを見せていた。
大出の民家
  見事は茅葺屋根の民家である。現在も実際に使用されている民家の一つである。
  人も入らぬ原野に作られた、みそらの別荘地と対照的に、こちらは古くから開けた地域で、今でも古い民家が何軒も残されている。
  姫川と、木流川、大楢川、峰方沢等の出合いで平坦になっているところで、用水堀が掘られていた。
石仏群
  用水彫りの畔には、あちこちに石仏があった。どこも綺麗に掃き清められていた。信州はどこへ行っても石仏が多いところである。
  しかし安曇野の道祖紳は、京風の着物を着た双体紳が多いことで知られているが、ここ北安曇では、殆ど目につかなかった。
  ここでは街道筋に多い路傍の石仏ではなく、用水堀の側の石仏が多かった。
石仏群
  用水彫より姫川に出て、少し下ってみた。みそらの別荘地が、かつては原野で、最近になった開発されたところで、現代風の瀟洒な建物が多かった。
  しかし、こちらは古くからある集落である。雪の深い土地柄特有の、傾斜のきつい茅葺の寄棟造りの家が多かった。
  また、用水堀の石仏群を見ていると、如何に水を大事にしていたかが理解できる。生活用水であり、また融雪用でもあったようだ。  
姫川下流側
  用水堀から姫川に抜け、少し川沿いを下ってみた。何んとも長閑な感じのする川沿いである。
  ここで、東山(1233m)山麓からの峰方沢と日向沢が姫川に合流している。
  この辺一帯は、白馬、吊橋、茅葺の民家、そして姫川がバランスよく並び、まさに絵になる光景である。
姫川上流側
  左写真は、絵画や絵葉書で知られたポイントだ。生憎雲がかかっているが、晴れていると目の前に白馬三山が迫って見えるところである。
  白山三山とは、白馬岳(2932m)、杓子岳(2812m)、鑓ヶ岳(2903m)を指している。
  蛇足ではあるが、白馬岳の山名は山の南東面に黒く現れる馬の雪形から由来したものである。
  かつて、農家がこの馬が現れると、苗代を作る時期の目安にしたことから、苗代(なえしろ)馬、そして代馬、白馬と転訛したようだ。
峰方沢上流側堰
  従って、白馬は「はくば」ではなく「しろうま」が正しい呼び名である。しかし、今は山名は「しろうま」で、村名は「はくば」となっている。昭和31年に神城(かみこし)村と、ここ北城(ほくじょう)村が合併して、白馬(はくば)村となった。
  新しい村名であるが、はくばと呼ぶほうが何故か現代風の感じがするのも時代の流れのようである。
  峰方沢の上流に向かうと、水流調整用の堰が出来ていた。
石仏群
  大出の吊橋袂にある石仏群と古い石塔や板碑、墓石である。何れも浮き彫りの手の込んだものであった。
  石仏の周りにはピンク色をした大きな花が沢山咲いていた。
石仏群と墓碑
  ここより、車でJR大糸線の白馬駅に戻る。大糸線は、長野の松本と新潟の糸魚川を結ぶ全長105.4kmの線で、別名北アルプス線とも呼ばれている。
  大糸は、信濃大町の大と、糸魚川の糸を取って付けられた。JRでは、二つの地名から1文字ずつ取った場合は、通常音読みにしているが、ここは例外で「おおいと」と読ませている。
  因みに、JR米坂(よねさか)線も訓読みである。
JR白馬駅
  白馬駅に着いたのは、午後の2時半であった。
3:04初のスーパーあずさで帰京する。途中の車窓から見える景色が素晴らしかった。
  新宿に着いたのは18:34であった。



ルート


JR大糸線白馬駅
〜みそらの別荘地〜大出集落
〜大出吊橋〜JR大糸線白馬駅
〜中央線新宿駅


駐車場

白馬 大出吊橋


0408/0810
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