倉敷川 白壁通りを進むと、倉敷川(運河)の高砂橋の袂に着く。倉敷は、この倉敷川を利用して備中の米を積み出す河岸として栄えてきた。 当時の白壁に黒い貼り瓦の米蔵、重々しい格子を並べた商家等が今も残されている地域で、倉敷の美観地区の中心となっており、伝統的建造物群保存地区に指定されているところだ。 |
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日本郷土玩具館 左の店倉は陶慶堂本店で、右の建物は江戸時代の米蔵を改装した日本郷土玩具館となっている。 玩具館には、昔懐かしい郷土玩具、人形、雛人形、凧、子供の遊具等、約4万点の玩具を収蔵、常時7千点ほどが展示されている。 |
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倉敷川東岸 高砂橋より倉敷川東岸を歩く。江戸時代からの建物を利用した店が並んでいるところである。 |
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東岸石畳路地 倉敷川東岸の路地で、この先に代官所跡(倉敷紡績工場跡、現アイビースクエア)のあるところだ。 写真右側の店は、手前が黒田蒲鉾店屋で、奥がヤマウ蒲鉾店である。 ヤマウは初代の「右佐田」が牛窓の太田蒲鉾店から独立して、明治45年に創業した店である。 |
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倉敷川西岸 左の写真は、東岸から対岸を撮影したものである。右端の建物は江戸時代に建てられた米蔵で、今は倉敷民芸館となっている。 この民芸館は、江戸末期の米蔵3棟を利用して、家具、陶磁器、木工品、漆器、ガラス、織物等、世界中から集めた民芸品が展示されている。 |
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中橋、倉敷考古館 ここで、倉敷川はほぼ直角に左(北西)に曲がっており、中橋が架かっている。 写真の建物は、江戸時代に建てられた白壁・黒貼り瓦の米蔵を使用した考古館である。吉備地方で発掘された石器・骨角器、土器、鉄器などが展示されている。 |
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中橋より南側 中橋の袂より南側の倉敷川を見た写真で、遠くに見える橋が高砂橋である。かつては川船が行き交う賑やかな運河であった処だ。 |
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今橋(北西)方面 こちらは中橋より、北西方面を見た写真である。前方に見える橋が今橋である。今橋は石橋で、欄干に画家児島虎次郎デザインの竜が彫られている。 倉敷駅はこの方向となり、今回もここから倉敷川沿いを通り、駅に向かった。 |
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有隣荘、大原邸 倉敷川北岸にある大原邸と路地を隔てて建つ大原家の別邸・有隣荘で、昭和3年に建てられたものだ。黄緑色の屋根から緑御殿とも呼ばれている。 この建物の左側に大原邸がある。こちらは寛政7年(1795年)の建築で重要文化財に指定されている。大原美術館を開いた大原孫三郎は、この家で生まれ育っている。 |
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大原美術館 倉敷紡績の2代目大原孫三郎が、画家の小島虎次郎にコレクションを委託して、昭和5年に開いた美術館だ。 日本最初の西洋近代美術館である。 |
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路地 白壁屋敷の路地奥を進むと、阿知町通りに面して、老舗の旅館奈良萬があったところである。 奈良萬は、平成になり廃業となっているが、看板だけは未だ残されてあった。 |
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大橋家住宅 倉敷中央通りの交差点を渡り、阿智本通りに面して左側に武家屋敷のような長屋門を構える豪壮な屋敷がある。 水田と塩田の開発で財をなし、幕府より苗字帯刀を許された大橋家が、寛政8年(1796年)に建てた物で、重要文化財に指定されている。 今回は、ここから倉敷中央通りを通り、駅に戻った。 |
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ルート 白壁通り〜倉敷川〜阿知〜JR倉敷駅 |
倉敷美観地区 倉敷市の美観地区景観条例に基づき 定められたもので、 本町全域、中央1丁目北部、 東町、阿知2丁目の各一部よりなっている |
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