赤穂御崎
Akoh Misaki


赤穂海浜公園
  JR赤穂線の播州赤穂駅で下車して、駅前よりバスに乗り、御崎で下車する。
  赤穂御崎は赤穂市南東部の播磨灘に面する半島で瀬戸内海国立公園の一部となっている。写真は御崎より赤穂海浜公園方面を撮ったものだ。元の東浜塩田跡である。園内には、塩の国科学館があり塩田や製塩作業所等が保存されている。
赤穂御崎灯台
  上を見上げれば、赤穂御崎灯台が見える。この灯台は昭和38年に初点灯された新しいものだ。
  光度11万カンデラ、光到達距離20海里(約37km)で、灯台の高さは地上より16m、灯台の標高は84mとのこと。
伊和都比売神社
  御崎先端にある延喜式内社である伊和都比売神社がある。御崎明神とも称され赤穂民族の祖神である。
  なお、古くから若い男女による姫神信仰が盛んで、縁結び、あるいは恋人を得るご利益のある「姫守」を受ける人が多く、御崎の景色と共に今でも人気スポットとなっている様だ。
大鳥居
  伊和都比売神社の正面にある大鳥居である。瀬戸内海に向かって実に豪壮な感じである。
  かつては東郷平八郎元帥を始め、歴代の連合艦隊司令長官の崇敬厚く、艦隊を率いて参拝したと言う。今でも航海安全と大漁祈願に船員や漁師達の参拝が絶えないとのこと。
小豆島
  御崎の先端から小豆島の全景が見える。小豆島は淡路島に次ぐ瀬戸内海第2位の島で、西は備讃瀬戸、そして手前東側は播磨灘に面している。   古くは、「あずきしま」と呼ばれていたが室町時代辺りから音読みの出「しょうどしま」となったようだ。島の最高峰は星ヶ城山(ほしがじょうさん、817m)である。
  幕末から発達した醤油や戦後の佃煮が特産となっている。また、明治41年に移植されてからは、オリーブが島のシンボルとなっている。
  
  小豆島と言えば壷井栄の「二十四の瞳」が忘れられない。高峰秀子主演の映画も良かった。
  なお、小豆島には現在1万8千人の人が住んでいる。

播磨灘
  赤穂御崎から前方に広がっている海が、播磨灘と呼ばれている。深度は最大42mしかない。浅瀬の、鹿の瀬(深度2m)や室津ノ瀬(深度10m)はタイなどの好漁場となっており、又タイ、ハマチ、アナゴ等の養殖も盛んに行われているところだ。
家島諸島
  御崎より南東の方向には家島(いえしま、えじま)諸島が見える。東西27km、南北19kmもわたって大小40余の島が散在している。典型的な沈水地形で、家島湾などの溺れ谷は水深も大き自然のく良港となっている。また、男鹿山や西島等では砕石場が多い。写真左端には岩肌が見える島が写っている。位置からして男鹿島であろう。
  家島の名は、神武天皇が東征の時、暴風雨の難を避けようとして入港した時に「波静かにして家の内にいる如し」と述べられたことによる由。
  
  古くから避難港として知られた瀬戸内海交通の要地であったようだ。

赤穂御崎温泉

  御崎先端の旅館。海に面した露天風呂や立ち寄り湯もある潮菜きらら祥吉や、観光旅館銀並荘等の立派な宿泊施設が出来ている。開湯は昭和44年とのこと。
赤穂御崎
  御崎の先端を回ったところである。流紋岩からなる西播(せいばん)丘陵が沈水した所で、海岸線に沿って遊歩道が出来ている景勝地である。
  この下の船着場は、元禄14年(1701年)6月半ば、赤穂開城を終えた大石内蔵助が、妻子を大坂表に送り出したところだ。
大石名残の松
  その後、内蔵助は6月25日に後を追って山科に向かったという。
  その時の御崎の巌頭に立つ老松を見返りつつ名残を惜しんだと伝えられ、「名残の松」と呼ばれるようになった。
赤穂御崎北側
  赤穂御崎を回って東側に向かう。この先が御崎福浦海水浴場となっている。
  今回は此処で、中断してバスで赤穂市街に戻った。この後、赤穂城址、大石神社、そして浅野家の菩提寺である花岳寺を回った。



ルート

JR赤穂線 播州赤穂駅
〜バス 保養センター行、御崎下車
〜伊和都比売神社〜赤穂御崎
大石名残の松


0802/0907/0908
(兵庫県赤穂市御崎)


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