赤穂城、大手隅櫓 赤穂御崎に行った後、バスで赤穂城址に寄った。赤穂城は正保2年(1645年)、浅野長直(ながなお)が、5万3千石で、常陸国笠間から入封し築城、城下町、塩田を開発した。 しかし、元禄14年(1701年)、3代長矩の江戸城内での刃傷で改易となり、その後は永井氏、森氏と続いた。 写真は赤穂城正面の大手隅櫓である。 |
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赤穂城大手門 赤穂大手門で、大手隅櫓と共に復元されたものだ。赤穂城は、南は海で、東は能見側に挟まれた要害の地に築かれた三重の曲輪からなる平城で、海水を掘りに取り込んだ、海城でもあった。 |
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大手門前茶屋 大手門の前に、洒落た造りの土産物屋(巴屋)があった。名物塩味(しおみ)饅頭と本家討入りそばと書かれた幟が風になびいていた。 特に塩味饅頭は、赤穂名産の塩の色と風味を生かして、享保年間(1716〜1735年))に造り出された銘菓で、参勤交代の折、赤穂藩が土産として将軍家に献上していたという。 塩味の効いた小豆餡を真っ白な寒梅粉で包み、月を表現した粋な和菓子となっている。 |
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近藤源八宅跡 近藤源八正憲は甲州流軍学を修め、千石番頭の重職にあった。源八の妻は大石内蔵助の叔母に当たり、大石家とは親戚関係であったが、最初から義盟には加わらなかった。 城内に残された江戸期の建物は、この長屋門と大石良雄宅跡長屋門のみで、赤穂市の指定有形文化財となっている。 |
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大石邸長屋門 この門は、浅野家筆頭家老大石内蔵助の一家3代が、57年にわたり住んでいた大石屋敷の正面長屋門で、間口約26.8m、奥行4.8mの建物、屋根瓦には双ッ巴の大石家の定紋がついている。 元禄14年、主君の刃傷による江戸の悲報を伝える早打ちが叩いたのがこの門とのこと。大正12年に国の史跡に指定されている。 |
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武家屋敷公園 元禄15年(1702年)の赤穂城内屋敷図によれば、家老格の重臣の屋敷は、城の重要な門の近くに配置され、それぞれの門の警護を受け持たされていた。 ここは赤穂城清水門の押さえとして、坂田式右衛門(800石、准家老格)の屋敷があったところである。武家門、築地塀、井戸屋形、杉皮葺あずまやを配し、江戸時代の武家屋敷の様子を再現している。 |
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清水門跡、赤穂市立歴史博物館 三の丸清水門跡。改易の時の「赤穂城引渡一件」の文書では川口門となっている。門を出て、濠に架かる板橋を渡ると、蔵屋敷(米蔵)と川口番所があった。 濠の外には、蔵屋敷を模した歴史博物館が出来ていた。平成元年に完成したもので、1階は製塩用具を中心とした赤穂の塩を解りやすく展示されている。2階は、赤穂城や城下町、赤穂義士等の絵図や模型、資料等が展示されいた。 |
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三ノ丸石垣 明治時代に城内の建物は破却されたが、濠と石垣は残されていた。昭和、平成になって、櫓や門、塀、庭園が再建されている。 この三の丸の石垣も修復されたのか、未だ新しかった。 この後、二の丸、本丸に行ってみる。 |
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ルート JR赤穂線 播州赤穂駅 〜徒歩11分(840m)、赤穂城 |
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