赤穂城・本丸
Akoh Jo (2)


二の丸、山鹿素行銅像
  二の丸門跡の先に山鹿素行銅像がある。兵学者、儒教者として知られた素行は、寛文5年(1665年)に「聖教要録」の著述が幕府の忌諱(きい)に触れ、翌年から延宝3年(1675年)まで、赤穂に配流され、二の丸内の家老大石頼母助邸の井宮に蟄居させらた。その蟄居跡に建立された銅像である。
本丸石垣
  二の丸跡から見た本丸の石垣である。赤穂城は本丸を囲むように二の丸があり、その外側に三の丸が出来ている。典型的な三重の曲輪からなる平城となっている。
本丸門
  復元された真新しい本丸門(枡形門)を通り、本丸跡に入る。本丸門は明治10年代後半に取り壊しまで、約230年間現存しており、写真も残されている。
  現在の本丸門は、平成4年文化庁の地域中核史蹟等整備特別事業として、全国で始めて採択され、国・兵庫県の補助を受けて、総事業費6.7億円をかけて平成8年に完成したものだ。
本丸跡
  天守台跡に上って本丸跡を俯瞰した写真である。浅野家断絶後赤穂藩主になった永井家の所蔵文書の「赤穂御城御殿絵図」を元にした、間取りが再現されていた。
  本丸の面積は15,114平方mあり、その2/3は領主屋敷(表御殿、中奥、奥御殿)、番所、倉庫等の建物と、天主台、池泉等で占められ、残りの1/3はくつろぎ(池泉を発掘調査)と呼ばれる空き地になっていた。 
本丸屋敷跡
  本丸の建物跡は、床高だけ高くして、コンクリート盤上に部屋の間仕切りを示し、板間、奥座敷、土間、敷居、廊下、柱、縁などを解りやすく表現してあった。なかなか手の込んだ復元であった。  
本丸庭園
  復元された本丸庭園である。国名勝に指定されている池泉回遊式庭園で、最近ホタルが生息していることが解った。
  上手く繁殖させ、初夏の貴重な観光資源にと保護している由。この池泉には蛍幼生の餌になるカワニナが生息しているとか。
天守台より
  天守台頂上より、JR播州赤穂駅方面を望む。背後の山は「赤」と山腹に刈り込みされた高山である。夜になると、点灯され、赤の文字が浮き出てくるという。
  なお、赤穂城は5層の天守閣も計画され、天守台まで築いたが、財政難か幕府への遠慮の為か結局、天守閣は建立されなかった。
赤穂城跡絵図
  赤で囲まれた部分が3の丸で、次の緑が二ノ丸、そして内側の緑で囲まれた部分が本丸である。
  本丸には、本丸門の他に厠口門と非常用の刎橋門があった。



ルート

JR赤穂線 播州赤穂駅
〜徒歩11分(840m)、赤穂城


0802/0910
(兵庫県赤穂市上仮屋旧城内)


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