赤穂城、大手櫓 赤穂城を見学した後、駅まで赤穂の町を歩いてみた。写真は、赤穂城の大手門を出て、赤穂市街を見た写真である。写真左は大手櫓だ。 正面の店は「かん川本舗」である。江戸時代より続く、名物塩味饅頭「志ほ万」等を販売している土産店だ。 |
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加里屋川 赤穂市の中心部を流れている加里屋川で、かつては能見川と呼ばれ、明治27年までは千種川の本流であった。昭和50年頃までは、子供が中に入って遊べるくらい綺麗な川であったようだ。 現在、河川再生プロジェクトが進められ、一斉清掃や浄水作用のある蜆の放流等を行っているとのこと。 |
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千種川は兵庫県穴栗市千種町の江浪峠(1098m)が源流で、赤穂市の中広から播磨灘に流入している川だ。清流で知られ、名水百選にも選ばれている。 なお、赤穂の市街地はこの千種川のデルタ上に立地している。地名は、赤い穂の蓼(たで)が自生することに因む由。 加里屋南、町並み 左写真は加里屋の町並みである。手前の建物は美術画廊と書かれてあった。 |
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台雲山花岳寺 花岳寺(かがくじ)は正保2年(1645年)、赤穂藩祖浅野長直によって建てられた寺である。元禄事変後は、赤穂藩歴代藩主の永井家、森家の菩提寺となっている。 境内には義士の墓や、三十三回忌に刻んだ四十七士の極彩色の木像がある。 |
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大石名残の松 山門を潜ると正面にあるのが、この大石名残の松二代目である。もともとは、元禄4年(1691年)に大石内蔵助が母の冥福を祈り植えた松で、元禄14年(1701年)に、赤穂を離れるとき、この木の下で名残を惜しんだ為、後に名残の松と言われるようになったとか。 |
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初代名残の松 ただ、元禄4年に植えられた松は、昭和2年に松食い虫にやられ枯れてしまった。写真が初代 名残の松で、切り取られ保存されてあった。 |
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鳴らずの鐘 名残の松の東側にある梵鐘で、「鳴らずの鐘」と呼ばれている。赤穂2代目藩主浅野長友が父長直の為に鋳造したものである。ところが、3代目長矩の刃傷事件で改易となってしまった。 四十七士の討入り後切腹となった時、多くの人が寺に集まり、義士の死を悼み、この鐘を打ち続けたため、鐘が鳴らなくなってしまったという。 現在の鐘は寛政9年(1797年)に鋳造されたもので、当然衝けば鳴る鐘となっている。 |
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赤穂旧上水道碑 赤穂旧上水道は、上流の千種川から取水し、導水路を経て城下町、城内に配水したもの。17世紀前半に、池田氏の代官(郡代)垂水(たるみ)半左衛門が完成させたものだ。 赤穂旧上水道は武家屋敷だけでなく、町家にも汲出枡(くみだします、井戸)を設けて、各戸へも給水していたようだ。 江戸の神田上水、備後の福山上水と共に、江戸時代の三水道の一つと言われていた。 |
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息継ぎ井戸 元禄14年(1701年)、江戸城松之廊下での主君刃傷の報を持って、早水藤左衛門と萱野三平が江戸より早籠の乗り、4日半かけて赤穂に着いた。その時、この井戸で水を飲み息継ぎし赤穂城の大石邸に駆け込んだと言われている。 以来、この井戸は息継ぎ井戸と呼ばれるようになった由。 |
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JR播州赤穂駅 赤穂城址より市街を寄り道しながら播州赤穂駅に着いた。播州赤穂駅は昭和26年に開業した比較的新しい駅である。 開業当時、飯田線(長野)に赤穂駅(現駒ヶ根駅)があったため、播磨国の別称である播州を冠し、播州赤穂駅となった経緯がある。 今回は、この後JR赤穂線で相生に向かった。 |
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ルート 赤穂城址〜花岳寺 〜JR赤穂線 播州赤穂駅 |
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