大阪・ミナミ

難波・千日前〜法善寺横町〜道頓堀〜心斎橋筋商店街


Ohsaka Minami


日本橋筋商店街
  市営地下鉄境筋線の恵美須町駅より日本橋筋を経て、南海の難波駅前に出る。近くに近鉄とJR関西本線、地下鉄御堂筋線、四つ橋線の難波駅があり、ミナミの中心となっている。
  難波は、新歌舞伎座、南海劇場、国際劇場や、吉本会館、映画館、ホテル、デパートなどが集中しているところだ。
  なお、大阪の繁華街は所謂キタとミナミを結ぶ御堂筋を中心に楕円形に広がっている。キタはJR大阪駅、梅田、曽根崎付近で、ミナミはここ難波から千日前、道頓堀、心斎橋筋付近をいう。  
法善寺横丁
  また、今でこそ方角的にも正しいキタとミナミであるが、江戸時代初期は、ミナミと言えば、大阪の町の南端にあった島之内遊郭を指していたようだ。江戸時代の中期以降に、遊郭の拡大や芝居小屋の隆盛なので、道頓堀南岸までミナミと呼ばれる地域が拡大してきたのである。
  今回はそのミナミを歩いてみた。難波駅から広い千日前通りを横断して、千日前商店街に入り、道頓堀に向かう。
  その途中の左手に法善寺横丁がある。木の吊るし板に「法善寺横丁」と書かれてある(写真左上部)。右側の寿司屋の提灯と古びた石畳、是だけでも情緒が感じられるところである。
法善寺横丁
  法善寺は寛永14年(1637年)に建立された浄土宗の寺である。千日念仏が行われ、千日寺とも呼ばれていた。その前で栄えた街が前述の千日前である。
  境内にある不動明王は水商売の人の信仰が厚く、水掛不動といわれている。この水掛地蔵は、商売繁盛、恋愛成就を祈願した人が掛けた水で、全身が苔で見事に覆われている。
  法善寺前の細い路地を法善寺横丁といい、飲み屋街となっている。織田作之助の小説「夫婦善哉」や、藤島恒夫のヒット曲「月の法善寺横丁」の舞台となったところだ。
道頓堀
  道頓堀は、道頓堀川の南岸に沿う繁華街である。道頓堀川は、東横堀川と西横堀川の汚れが酷くなり、その通水を良くする為に、元和元年(1615年)に堀井道頓が開削したもので、木津川に流入している。その開削者の名前をとって道頓堀川となった。
  その後、大阪の歌舞伎、義太夫、見世物などの芝居小屋総てが、幕府の命によりここに移され、芝居の本場として栄えたのが今の道頓堀の始まりである。浪花五座(五つ櫓とも)と言われた弁天座、朝日座、角座、中座、浪花座(竹本座)が評判であった。  
道頓堀
  現在でも、歌舞伎の松竹座、人形浄瑠璃の国立文楽劇場があり、その他、ミュージカル中心の近鉄劇場、新歌舞伎座、お笑いのなんばグランド花月等が近くにある。
  道頓堀は、まさに江戸期より続いている芝居の街である。それに加えて、映画館や、大阪を代表する多数の飲食店が軒を連ねているところでもある。
  盛り場の道の真ん中にベンチが置いてあった。これも珍しい。多くの若い人が、このベンチで休んでいた。
道頓堀・くいだおれ人形
  くいだおれの街・大阪を代表する道頓堀、その中でもそのものずばりが、大阪を代表する名物料理店の「くいだおれ」である。その象徴がこの「くいだおれ太郎」人形である。キダタロー氏作曲のテーマソングに合わせて太鼓を叩く姿が、これまた微笑ましい。多くの人がこの前で記念撮影をしていた。
  ここは、大阪を代表する名物料理屋を目指して1949年に開業したもので、ビルの中はすべて飲食店になっている。ファミリーレストランから居酒屋、料亭までもある。名物は看板にもあるように、うどん鍋にすき焼きとか。その他、寿司、鶏料理、鰻、たこ焼き、カレーと多彩である。  
巨大看板の店
  その他、道頓堀には、大きな看板を掲げた店が多い。やり過ぎと思われるくらいの巨大看板だ。大阪は商売の町、人よりちょっとでも目立ち、一人でも多くの客が店に入るように工夫している。もう、それを見るだけでも面白い。
  中でも、ひときわ目につくのが、足の動く大きなカニの看板で知られた「かに道楽」の本店である。今でこそ、全国にチェーン店があるが、ここが本拠である。
  大きなふぐ提灯の「づぼらや」や、いかの看板のいかやきの「旨か不思議(うまかふしぎ)」、龍の看板の「金龍ラーメン」等がある。また、グリコランナーの巨大ネオンも目立っている。
道頓堀今井
  疲れたので、道頓堀の古くから続いている、だしが自慢のうどん屋「道頓堀・今井」に入った。中は個室となっており、濠炬燵式の部屋となっている。
  
定番は、うどん寄せ鍋ときつねうどんとか。秘伝今井のだしは、北海道の天然昆布を使用したもので、しっかりしたコクと旨みを出して、上品な味となっている。
うどんも腰があり旨かった。やはり、関西はうどんである。しかしこの店では蕎麦も扱っていた。  
心斎橋筋商店街
  少し遅い昼食を取った後、道頓堀に架かる有名な戎(えびす)橋を渡り、大阪随一と言われる心斎橋筋商店街に行った。
  
この商店街は完全なアーケードとなっており、そごう、大丸などの百貨店や、服飾関係の店が多く、大阪を代表するファッションの街となっている。
  名称は、長堀川に架けられた心斎橋に由来するが、今は長堀川は埋め立てられて、橋は歩道橋として一部が残されているのみとなっている。なお橋名は、長堀川の開削者の一人、岡田新三心斎の名を取って心斎橋となっている。
JR新大阪駅
  今回は、この心斎橋筋商店街を北上し、船場の子供服専門の衣料品問屋に行き、孫の服を買った。
  船場は江戸時代、天下の台所大坂を代表する豪商が多く住んでいたところで、今も大坂のビジネスの中心である。繊維問屋が集中する船場センタービルも出来ている。

  買物の後、再び日本橋筋の病院に戻り、地下鉄堺筋線の恵美須町より地下鉄に乗り、新大阪駅に向かった。
  なお、大阪では東西の道路を「通り」と言い、南北の道路を「筋」と言っているので慣れると解りやすい。



ルート

日本橋筋〜難波〜千日前
〜道頓堀〜心斎筋商店街〜船場
〜車・恵美須町駅〜新大阪駅


駐車場

有料駐車場 多数あり


0609/0707
(大阪市浪速区、中央区)


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