恵美須町駅前 市営地下鉄境筋線の恵美須町駅をおりる。駅の南北に改札口があり、南側の改札口は通天閣方面で、北側が日本橋方面となっている。駅名は恵美須町(日本橋筋)と表記されている。 この境筋線は、大阪市北区の天神橋筋6丁目と西成区の天下茶屋を結ぶ線である。かつての大阪のメイン通りである境筋の下を走っていることになる。 写真は恵美須町駅の南側出口付近(恵美須交差点)である。目の前に通天閣が見えるところだ。 |
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通天閣本通り 通天閣の前の商店街である。今回はここから日本橋筋に向かう。この日本橋は「にほんばし」では無く、「にっぽんばし」と呼ぶ。 大阪を代表する電気器具の問屋街として知られたところだ。東京で言えば秋葉原に相当する所である。 会社の代理店のD社がこの近くにあり、良く商談や新製品説明会に来たことがあるところだ。非常に懐かしかったが、以前と違い、アーケードのある綺麗な近代的商店街となっており、「でんでんタウン」とも呼ばれるようになっていた。 |
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日本橋筋商店街アーケード なお、このアーケードは2000年10月から、2002年3月に掛けて工事が行われ、完成したものだ。 この賑やかな電気街も戦後のことで、戦前は古書店街で東京の神田古本屋街より沢山の店があったとのこと。また、江戸時代はここが紀州街道の基点で、街道筋には旅籠や木賃宿、古着屋、薪炭屋、下駄屋などが軒を並べていた様だ。 さらにここは、大阪の重要な南北幹線道路でもあり、住吉神社へ参道で住吉街道とも呼ばれていたところで、歴史の変遷と共に進化してきた繁華街でもある。 |
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日本橋筋商店街 日本橋筋とは、道頓堀に架かる日本橋より南側に伸びる街路のことで、堺筋の日本橋以南の別称である。 この道沿いの、日本橋1丁目には大阪の台所を賄う黒門市場ある。江戸時代より、「大阪黒門ほんまもん」と、食い道楽の浪速っ子の胃袋を預かる威勢の良いところであった。今でも卸売りと小売の機能を兼ね備えた市場として賑わっている。 なお、この黒門とは、明治の末まで、堺筋(日本橋筋)に大きな圓明寺と言う寺があり、その黒い山門が近くにあったからという。その後、灘波の大火災(明治45年)で焼失してしまった。 |
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愛染橋病院 日本橋5丁目にある愛染橋(あいぜんばし)病院である。平成17年に出来たばかりの立派な総合病院(274床)である。以前は、日本橋東にあったが、老朽化のため、日本橋筋を挟んで反対側に移転してきた。 移転先は、日本橋筋の裏通りであるが、辺りはマンションや小学校(恵美小)のある静かな一画である。 |
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愛染橋病院病室 愛染橋病院は開設当時(昭和12年)から母子医療に力を入れ、昭和40年のピーク時には、毎年3000人を越える赤ちゃんが、ここで産まれたという。 新しい病院は設備を拡充し、国内では民間としては始めて認可された3床の新生児集中治療室(NICU)が、18床に増えているという。 少子化の今は、設備を拡充して、収容人員は少なくなったが、それでも年間1200件の分娩を扱っているという。まさに大阪を代表する病院である。早くから予約しないとここでは分娩出来ない程の込みようとか。 |
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愛染橋病院ロビー ここで、元気な孫(男)が産まれた。母子共に健やかで、安心したところである。実は、上の孫(女)もこの病院(移転前の病院)で産まれたので、二人の孫がここでお世話になったことになる(感謝)。 この病院は、子供は病室に入れないので、上の孫(女、2歳)はロビーでの待機となる。母親にガラス越しにしか遭えず、可愛そうな感じであったが、明るく、元気で安心した。 この後、息子(婿)の案内で、上の孫と道頓堀で食事をして、心斎橋筋商店街でショッピングをした。 |
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ルート 新幹線、新大阪駅 〜地下鉄御堂筋線〜堺筋線、恵美須町駅下車 〜日本橋筋〜愛染橋病院 |
駐車場 愛染橋病院地下 有料 |
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