大阪(大坂)城
Castle Osaka
大阪城公園、青屋門 大阪駅よりJR環状線の外回りに乗って、大阪城公園駅で下車。目の前の道を第二寝屋川沿いに歩き、大阪城ホールの前を通ると程なく、大阪城の東外濠に出る。大きな堀である。 青屋門に通じる橋を渡ると、次は内濠になる。この内濠に架かる極楽橋を渡ると、山里(やまざと)丸跡である。そこから階段を登ると、天守閣だ。 |
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内 濠 大阪城は、もともとは、城砦化した石山本願寺のあったところで、信長に滅ばされた後、豊臣秀吉が天正13年(1585年)に天下人の城として完成させたものである。豪壮な石垣と華麗な天主が聳(そび)えていた。 しかし、秀吉が建てた大坂城のことは良くわかっていない。大坂夏の陣(1615年)ですべて焼失して、現存する遺構はすべて徳川幕府により一回りも二回りも大きく作り直されたものである。 |
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大阪城天守閣 徳川幕府の威信を賭けて、新たに作られた大阪城(寛永6年、1629年)は、肥後石、鍛石などの巨石をふんだんに使って石垣を築き上げ、その上に作られた。天守閣も、秀吉の作ったものより3倍の規模を誇ったという。 しかし、この豪壮な石垣が災いして、高い石垣の上の建造物は雷に弱かった。 万治3年(1660年)の落雷では、火薬庫が吹っ飛び、山里郭、二の丸などが焼失した。寛文5年(1665年)の落雷では何と天守閣が焼失した。 |
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大阪ビジネスパーク あまりの酷さに当時の人は秀吉の亡霊の仕業と噂したとか。 その後は、他の建築物は再建されたが、江戸城同様、平和の時代に天守の必要性は薄れ、天守閣は再建されなかった。 左の写真は、天守台石垣の上から北側を見たものである。城跡の直ぐ北側の高層ビル群は、大坂の新しいオフィス街、大坂ビジネスパークである。 |
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市立博物館 城内にある市立博物館。旧第四師団司令部の建物を転用して開館したもの。貨幣や、古地図、文楽人形、伊勢信仰史料などが保管されている。 |
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桜門 大手門や、多聞櫓(たもんやぐら)、千貫(せんがん)櫓、乾(いぬい)櫓、金蔵等現存する13棟が重要文化財に指定されている。 なお、現在の天守閣は、昭和6年(1931年)に再建されたものだ。内部は博物館になっている。 余談であるが、現在の天守閣は江戸時代のものでは無く、徳川幕府の作った天守台の上に、何と、秀吉が作った当時の天守閣を復興したのである。 |
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千貫櫓 大阪人の秀吉への思い入れが伝わってくる様だ。やはり大阪は、太閤様が作った町なのである。 なお、「大阪」の呼称は、明治以降にこの文字に統一されたもので、それ以前は「大坂」であった。古代には難波(なにわ)、中世には大坂、小坂(おさか)、尾坂(おざか)と呼ばれていた。従ってタイトルも大坂城としようとしたが、現在の呼称にした。 |
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大手門、西外濠 桜門、多聞櫓、大手門、西外濠を経て、大阪府庁前から、地下鉄谷町線の天満橋駅へ向かった。 途中、府庁横のうどんのチェーン店(得正、とくまさ)に入った。ここの名物カレーうどんのセットはなかなか旨かった。こしのある手打ち讃岐うどんと甘辛カレーの相乗効果は見事である。 この後、天満橋より地下鉄に乗り、堺筋線の恵美須町へ行った。 |
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ルート JR大阪環状線 大阪城公園駅 〜大坂城ホール〜東濠〜青屋門 〜内郷〜山里丸跡〜天守閣 大阪市立博物館 〜桜門〜大手門〜西外濠 〜大阪府庁 〜地下鉄谷町線 天満橋駅 〜堺筋線 恵美須町駅 歩行 2時間 |
駐車場 大手門 有料 休憩所・売店・レストラン・トイレ 大阪城内 有 |
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