旧城下町・長浜
Nagahama


JR長浜駅東口駅前
  JR北陸本線の長浜駅西口を出て、長浜城、長浜港を回ってきた。そして、再び駅に戻り、今度は東口に出た。
  こちら側が、秀吉が築いた元の城下町で、近世は北国街道の宿場町、湖北の港町、絹織物の商工業都市、そして大通寺の門前町として栄えて来たところで、現在でも長浜市の中心街となっている。
  正面のビルは平和堂長浜店。本部は彦根にあり、滋賀県を中心に展開しているスーパーマーケットだ。
出逢いの像
  駅前には「秀吉公と三成公出逢い像」があった。長浜城主の秀吉と少年であった佐吉(後の石田三成)の出逢いの場で、佐吉が茶を差し出している像である。 
  有名な、「三献の茶」(三椀の才とも)である。鷹狩りの途中、観音寺(米原)に立ち寄った秀吉に、寺小姓であった佐吉が大きな茶碗に温いお茶をなみなみと注いで持って来た。秀吉がもう一杯頼むと、今度は少し熱いお茶を茶碗に半分ほど入れて持って来た。さらに一杯頼むと、今度は小さな茶碗に熱い茶を半分程入れて持って来たという。  
  茶の入れ方一つにも気を使う佐吉を気に入り、召抱えたとの逸話である。

長浜城外堀跡(米川)

  米川は長浜市北東の姉川扇状地を源流とした河川で長浜市内の中心を通り琵琶湖に流入している。この川の下流部が長浜城の外堀として利用されていた。
  写真中央の石碑には長浜城・外堀跡と刻まれていた。江戸時代以降は、この掘割を利用して、この辺まで船が入り、倉庫や店先で荷の積み下ろしをしていたという。
長浜城大手門跡
  長浜城の大手門が此処にあった。左端の石碑には「長浜城大手門跡」と刻まれており、この前の道が大手門通りと呼ばれている。
  今でも、旧北国街道沿いと、この大手門通りが、長浜市街の中心となっている。
大手門通り、黒壁五号館
  大手門通りを真っ直ぐ西に進むと正面にアーケードが見えてくる。この大手門通りアーケードは開閉式となっていた。
  この手前の十字路が大手門通りと北国街道の交差点で、江戸時代高札場のあったところだ。
  手前右手の建物は、黒壁五号館の「札の辻本舗」で、長浜の名産やガラス細工品等を展示販売している観光物産センターとなっている。
  この辺一帯が長浜黒壁スクエアと呼ばれているところだ。
北国街道、鳥居本方向
  写真は、大手門通りと交差している旧北国街道だ。中山道の鳥居本宿で分岐した、旧北国街道の最初の宿場がここ長浜宿である。
  旧街道沿いには、古い建物が残され、かつての宿場町の面影が残されているところだ。その古い建物を利用して、今ではすっかり賑やかな観光地となっている。
北国街道、黒壁ガラス館
  右端の建物は明治33年に建てられた、百三十銀行長浜支店で、漆喰の黒壁から黒壁銀行とも呼ばれていた。その建物を、地元企業8社と長浜市が出資して買い取り、第3セクターである梶u黒壁」を設立した。そしてこの建物で、世界のガラス細工品を展示、販売した。
  人通りの疎らになった、この旧街道沿いの宿場町の活性化を意図したもので、町の歴史とは一切関係ないが、ガラス工芸を産業、文化の中心に据えて、新しい町づくりに取り組んだ様だ。  
町並み
  当初は、ガラス館、ガラス工房、レストランの3館を先ずオープンさせた。その後、直営店10館にテナント等を含めて合計30館を、北国街道沿いのこの辺に展開させた。
  伝統に拘らない自由な発想こそ、近江商人ならではのものかも知れない。旧町活性化の見事な成功事例として、今でも他の地方自治体からの見学者が絶えないという。
  なお、道路に両側から飛び出しているものは、旧街道を照らす常夜灯門である。また、右手の建物は古い糸蔵を改装した黒壁3号館で、イタリア風レストラン、オステリア・ヴェリータとなっている。  
絹と繭の店
  左の写真は、「濱縮緬(はまちりめん)の里、絹と繭の店」と看板の出ている店だ。長浜は江戸時代より、この濱縮緬(長浜縮緬とも)で、潤ってきた商工の町でもあった。
  今では、長浜と言うとガラス細工品の町として知られているが、このガラス細工品は、意外と歴史が浅く、昭和63年に前述の第3セクターの梶u黒壁」を立ち上げた時からである。
黒壁美術館
  常夜灯門の先、左手に江戸時代末期の商家を利用した黒壁10号館、黒壁美術館がある。この建物は醤油の製造販売をしていた豪商「河路家」の邸宅であったものだ。
  第3セクターの梶u黒壁」がこの建物に、海外で集めたガラス作品を多数展示している。主にヨーロッパの作品で、ボヘミアン・ヌーボーのヨハン・レッツ工房の作品を始め、古代から現代までの世界の見応えのあるガラス作品を100点前後展示している。
豊臣秀吉公茶亭門
  黒壁美術館に隣接している「豊臣秀吉公茶亭門」である。秀吉が城内で使っていたものを此処に移築したという。
  この門の奥は、蔵を利用した黒壁14号館、カフェレストラン洋屋となっている。洋食店で、オムライスが評判とのことであった。
  又、写真右端の石碑には、「必成社跡碑、天香さん、北海道開拓の本部」と刻まれてあった。
  調べてみると、西田天香は明治5年、長浜の商家に生まれた思想家で、北海道の酷寒の荒野に、理想郷開拓を目指し、その時の本部跡とのことである。

ガラス工芸店
  陶磁器の老舗、天保元年(1830年)創業のかわ重。店先には、今ではすっかり長浜名物となったガラス工芸品が多数展示、販売されていた。
長浜町並み、翼果楼
  左の写真、築200年の商家を利用した翼果楼(よかろう)は、長浜名物鯖そうめんの店だ。焼鯖と素麺は相性が良く、古くからの湖北特有の家庭料理であった。
  この辺一帯は、かつての旧北国街道沿いに残された古い商家をそのまま利用した店が軒を並べているところで、見事な町並みとなっていた(下写真)。
郷土資料館
  長浜の歴史や文化を紹介する資料館。館内には江戸時代の馬遊具や蒔絵貝合わせ遊具、昔ながらの調度品、生活用具などが多数展示されている。
  「体験コーナー」では、火縄銃や天秤棒などが置いてあり、手に触れることが出来る。
安藤家屋敷
  安藤家屋敷跡。長浜城主の秀吉は、町衆の中から「十人衆」を選び、長浜の自治を委ねていた。安藤家は代々九郎右衛門を名乗り、十人衆から選ばれた三年寄りの一家として明治まで続いてきている。
  明治になり、安藤家は近江商人との縁戚から、自らも商人として東北地方に商圏を広げ、商売をしていた。
  この建物は、明治38年に建てられたもので、紅殻(べんがら)格子に虫籠(むしこ)窓の、長浜を代表する建築となっている。
北国街道道標
  北国街道と駅前通りの交差点角に、北国街道の道標と説明板がある。
  北国街道は中山道の近江・鳥居本宿から分離して、長浜宿、木之本宿を経て、栃ノ木峠(537m)を越え、越後の新潟までを結ぶ全長520kmの街道である。
  別名、栃ノ木越え、北陸街道とも呼ばれている古くからの街道だ。
旧開知学校校舎
  北国街道道標と交差点を挟んで反対側に、旧開知学校校舎がある。明治4年、県下初の小学校が開校、明治7年に市民の寄付によりこの校舎が建てられ、「開知学校」と名付けられた。現在の長浜小学校の前身である。
  昭和12年に現在の場所に移築され、平成12年に研究・研修施設としてリニューアルされた。
JR長浜駅
  JR長浜駅に戻り、快速で米原に戻る。米原からは新幹線で帰宅した。
  左の写真は長浜駅を通過する特急しらさぎ号である。

ルート

JR北陸本線 長浜駅東口
〜長浜城外堀〜大手門跡
〜旧北国街道〜黒壁スクエア
〜旧長浜宿
〜JR長浜駅

歩行100分

 
メ モ

長浜

滋賀県北東部
琵琶湖に臨み姉川中・下流域と
支流の草野流域を占める都市
人口 8万人


(滋賀県長浜市元浜町)
0705/0904

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