余呉湖
Yogo-ko


JR余呉駅
  東海道新幹線の米原でJR北陸本線に乗換え、、約30分で余呉(よご)駅に着く。
  昭和32年開業の新しい駅で、簡易委託駅となっている。幅広のプラットホームから余呉湖や賎ヶ岳(しずがたけ)が望める好位置にある駅だ。
余呉湖、賤ヶ岳
  駅を下り、余呉湖に向かう。途中、余呉湖、賎ヶ岳方面を見た写真である。広い田圃が印象的であった。
  余呉は古代、中世の郷名、荘園名である。平地は余呉川と高津川の谷底平野のあるこの辺一帯だけで、北部は山地となっており、日本最南端、かつ近畿以西唯一の特別豪雪地帯に指定されている。
  駅前の道を南進し、県道33号線を左に行き、余呉導水路の信号を右折すると余呉湖湖畔に出る。
余呉導水路
  湖面高度は琵琶湖より水面が48m高い余呉湖は、もともとは河川の流出入の無い湖で、殆どが湖底よりの湧水であった。そのため、水が綺麗で蒼く見え、鏡湖とも呼ばれていた。
  現在、余呉湖の水は昭和33年に完成したこの余呉導水路や昭和44年に完成した余呉湖放水随道経由で余呉川に合流して、湖北町で琵琶湖に流入している。
  導水路に沿って、左前方のは江土の集落に向かう。
自然休養村管理センター
  江土にある湖畔の自然休養村管理センターと余呉湖観光館である。駐車場も完備し、売店や喫茶店もあるところだ。
  湖畔一帯は小公園になっており、古戦場跡や七本槍で知られた賤ヶ岳の戦いの各武将の配置や経緯が紹介されてあった。
  なお、 琵琶湖を大江と言ったのに対し、余呉湖は伊香(いかご)の小江とも言われていた。 
湖畔観光案内板 
  余呉湖を挟んで対岸の山が賎ヶ岳(422m)で、この東麓(左側)に越前に通じる北国街道が走り、戦略的にも重要地点であった。ここで、信長の跡目を巡る秀吉と勝家軍の激突したのが賎ヶ岳の戦い(天正11年、1583年)である。
   生憎、賎ヶ岳の頂上は雲に隠れていた。頂上には賎ヶ岳戦跡碑が建っている。登山道も整備され、また大音の登山口からはリフトも出来ている。
  また、余呉湖には日本三大羽衣伝説の一つが伝えられている。今でも余呉湖の北岸(写真右方向)には衣掛けの柳の大木が残されている。
余呉湖
  他の羽衣伝説の多くは松の木であるが、此処だけは柳の木であった。
  養老7年(723年)の帝王編年記」に余呉湖の白鳥伝説が記されている。天女8人が白鳥となって水浴していたので、地元の男が犬に羽衣を盗ませた。天に帰れなくなった一人の天女と夫婦になり2男2女をもうけたが、隠されていた羽衣を探し出し天に帰って行ったという伝説である。
  また、最近では水上勉の「湖の琴」もこの余呉湖が舞台である。薄幸の娘栂尾さくと松宮宇吉の切ない出会いとその結末である。
  作品の中で、「余呉の湖底は今日も深く、蒼黒い水を湛えて山蔭に静かに沈んでいるだけである」と印象的に記されている。
余呉湖江土釣り桟橋
  「湖の琴」の題名で因んでであるが、この余呉の大音と西山の2村では、古くから繭をとり、琴糸、琵琶糸、三味線糸を作っていた。当時、大音糸、西山糸と呼ばれて有名であったようだ。
  北岸のこの辺は江土釣桟橋が出来ており、鯉、鮒釣りが楽しめる。同じ北岸の川並釣り桟橋と共に、冬季のワカサギ釣りは特に人気スポットとなっている様だ(入漁料1300円)。
JR余呉駅ホーム
  駅に戻り、プラットホームから余呉湖と反対側(北側)を見た写真である。遠くの集落は八戸である。これは「はちのへ」では無く、「やと」と読むようだ。谷戸から転訛したようである。
  今回は、ここからJR北陸本線で余呉トンネルを抜け近江塩津まで行き、その後JR湖西線で今津に向かった。

ルート

JR東海道新幹線米原駅〜
JR北陸本線余呉駅
〜余呉導水路〜余呉湖

歩行80分

 メ モ

余呉湖
面積1.8平方km、周囲6.5km、
湖面高132.8m

余呉町
人口 3689人

駐車場 余呉湖湖畔無料

 

(滋賀県伊香郡余呉町)
0709/0905

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