海  道

  海道と言うと、すぐ思い出すのが、海道一の大親分、清水の次郎長である。講談の世界を持ち出すまでも無く、実在の人物としてもなかなかの人であったようだ。現在の日本で、海道と呼ばれているのは、多いようで多くない。代表的なのは、言わずとしれた東海道である。東海道53次なんて、知らない人もいないぐらいである。
 
 海沿いの道と言う定義なら、ほかにも、○○海道が有っても良いが、意外と少ない。南海道、西街道、北海道くらいなもんだろう。東海道、南街道、西街道は、共に古代の地方行政区画の七道(五幾七道)に含まれている。東山道、北陸道、山陰道、山陽道を含めて、計七道となっている。

 つまらないことかも解らないが、変なところに疑問を持った。そこで、S社の全日本道路地図を買ってきた。この地図は、街道名がはっきりと記されている。全国すべて20万分の1の縮尺に統一されており、等高線もわかりやすく、色分けされている。B4サイズの大きな地図帳である。

 ルーペを使い、海岸沿いの街道の名前を見てみたが、上記以外に、やはり海道と名の付く街道は見つからなかった。徒労に終わったが、地図を見ていて、非常に懐かしかった。殆どの街道を、今までに通ったことがあった。一つ一つが、走馬燈の様に思い出されてくると言いたい所だが、実際は違う。殆どのことは忘れていると言った方が正しい。救いは、写真が手元に残されており、それを見るとその時のことを思い出すことが出来る。自分のことながら、よくあちこち行ったものだと思う。  

 我が家内は、現金である。今までに出かけた時の費用を考えると、すごい金額になると、金計算をする。確かに、投じた費用はものすごいと思う。でも、後悔はしない。それどころか、これから再度、本格的に出かけていきたいと思っている。  

 閑話休題、本題の話に戻そう。東海道は、電車や夜行列車では数え切れないほど通った。新幹線になってからも、数え切れないほど通った。学生時代は、東京より夜行で、京都まで行き、あちこち見て、夜になったら、夜行で名古屋まで行った。ここで、また一日遊び、夜になって、名古屋から東京に夜行で帰ったことがある。東京より、名古屋、岐阜あたりまでは、良く夜行列車で行ったものだ。もちろん、帰りも夜行列車であった。

 大阪は、当然、いつも夜行列車であった。夜出て、朝着くのである。勤めてからも出張では夜行が多かった。九州なんて、24時間もかけて、汽車で行ったものだ。今では信じられないが、当時は、宿泊費も高く、夜は夜行列車に泊まることが当然でもあった。北海道へ行ったときは、夜行列車で寝ることが計画の一部であった。
 
 北陸もそうであった。それも椅子に座れれば、御の字で、たいていは、床に寝た。
当時、カニ族と言うのが流行った。横に広い当時のリュックは、狭いところを歩くときは、横を向いてすれ違ったからだ。今のリュックとは偉い違いである。おまけに、帆布を用いた当時の皮黄色のリュックは重かった。それを担いで、旅行をしたものだ。

 東海道と言うと、すぐこの夜行列車を思い出す。車では、広島の三原から山陽道、東海道を通して走った以外は、東海道を通して走ったことは無い。途中までは何度もあるが、全体を一度に連続して走ったことは、過去の一回しかないのも、いま思うと不思議なくらいである。これから、車でなるべく高速を使わずに、旧道を走ってみたいと思っている。
 


2000.5
Hitosh

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