カメラ


  カメラについて書くのは、後にしようと思っていた。しかし、「日本写真紀行」とうたっているいる以上は、いずれ書かざるを得ないと思っていた。私は、カメラマニア(コレクター)ではないので、カメラにはそれほど凝っていない。もちろん、ライカやコンタックス、ハッセルブラッド等の熱烈なファンでもない。
  クラシックカメラにも興味が無いのである。そのくせ、古いカメラは使っている。それは、使いやすく、写りが良いからである。そして、信頼性が高いからである。あくまでもカメラは、私の場合道具でしかない。従って、カメラに対して蘊蓄(うんちく)を持っているわけではないから、あまり積極的に書く気にはなれなかったのである。



  カメラとの出会いは、私が小学校5年の時である。親父が、神田で買ってきてくれた、小さなカメラ(名前は忘れた)であった。それ以前にも、ピンホールカメラを作り遊んでいたから、根っから写真は好きだったようだ。

  その頃、私の写真熱をかき立ててくれた人が二人いる。一人は、近所のY氏で、当時30歳位の方であった。小さな我々をモデルに良く写真を撮っていた。いろいろと注文をつけるのである。今思うと、木村伊衛兵の様な写真が多かった。
  今でも、そのいくつかが手元に残っている。当時の我々は、自分で言うのも変であるが、遊びの天才と言われ、オサムちゃん、トオルちゃんの先輩や、キイちゃん、タケノリちゃん、トミちゃん、テッちゃん達と、次々と新しい遊びを考えては、遊びほうけていたものだ。今思うと、それがまた、被写体として魅力的であったのだろう。

   もう一人は、中学の美術の先生で、私の叔母のいいなづけであった。その人が、避暑に一緒に行き、我々をモデルにいろいろと写真を撮ってくれた。
  共通しているのは、撮影の度に、徹底的に演出をするのである。たとえば、大きな枯れ木の上に、我々(3人)を一人一人、異なったポーズを取らせて座らせ、全体として、まとまった写真とするのである。記念写真としても変わっていた。

  この先生の写真は手元に5点ほど残っているが、良いとは思わなかった。三脚を必ず使っていたし、出来映えも良かった。ピントも露出も、そしてぼけ具合もである。技術的には、申し分無かったが、作為的であった。その点、前者の写真は、素人っぽさがあったが、味のある写真が多かった。

  今、このお二人が、どうしているか知らない。しかし、私の写真に影響を与えたことは間違いない。その後、私は、映画のシナリオに凝った。一つ一つのシーンに、意味を持たせようとした。そして、今、一つ一つの写真につながりを持たせようとしている。アクション繋ぎは、映画の基本でもあるが、組写真にも当てはまる。どうやって、次の写真につなげるかである。起承転結を持ち出すまでもないが、常に意識し、このHPでも、気が付かれた方も多いと思うが、原則として4枚組を基本とした。5枚組も採用した。しかし多くても7枚を限度とした。短歌の世界ではないが、5.7.5.7.7これ以上は、緊張感を持続するのは難しいと考えた。結果はどうだろう。リズム感が出ていると思うが如何であろうか(自画自賛)。
 
  閑話休題。大分脱線したようだ。カメラの話である。私のカメラ歴は、それでも結構古い。最初に手にした35mmカメラは理研光学の
リコレットであった。今から45年以上も前のことである
  もちろん距離計も露出計も付いていないカメラであった。次に手に入れたのが、コーS2であった。そして6×6版の2眼レフ、
リコーフレックスも使った。このカメラは、見えたとおりに写るから便利であったが、四角く、持ち運びに不便であった。

  中学時代に科学部に入った。ここで、現像液を自分で調合して(今と違い、自分で上皿天秤で薬品を計り、現像液を作った)、フィルムの現像や引き伸ばしをやった。
  暗室で、友達が撮ってきた、当時売り出し中の浅岡ルリ子の写真を大伸ばしして実験室に貼ったこともあった。ここで、脱線するが、私たちの科学部は先進的で、私たちが活動しているところを、写真と記事で朝日新聞に紹介されたことがある。私の顔が新聞に載ったのはこのときが始めてであった。

  始めて、手にした一眼レフは
ミノルタSR7であった。これは、高かった。月賦で買ったが、当時の大卒の初任給が1.5万円くらいの時、たしか5万円位した。露出計は付いていたが、TTLでは無かった。この露出計が良く壊れ、新宿のサービスセンターへは良く通ったものだ。レンズも何本か買ったが、この故障の性もあり、嫌になった。そして、購入したのが、ニコンFEであった。これが、TTL付で、また性能も良く、故障も全くなかった。なにせ、25年以上経つ今でも使っているのである。山なんかで、天気の悪い日、気楽に使えるカメラとしても重宝である。
  セカンドカメラとして買ったのが、リトルニコンと呼ばれた
ニコンEM、と超小型のニコンミニである。家内の持参したオリンパスペンも、小型で便利であった。これは一世を風靡したカメラであった。

  この頃、夢中になったのが、自家現像と引き伸ばしである。
ラッキーの引伸し器と暗室道具一式を購入した。これは楽しかった。私の子供も、一緒に暗室に入り、大きな印画紙に画像がジワッと浮き上がってくるのを見て、手を叩いて喜んでいた。

  その後、
ニコンF3,F4,F4S、ライカM6と次々と購入した。あの高級コンパクトカメラと言われたニコン35Tiも買った。これは、期待以上に写りが良く、重宝している。

  そして、とうとうデジカメも買った。ニコンの
クールピクス800(200万画素、2倍ズーム)である。これも予想以上に性能が良かった。維持費のかからないカメラとして、出かけるときは、メモ器として効果を発揮した。
  また、話題の502万画素のソニーのデジカメ、
サイバーショットDSC-F707も新たに購入した。もっぱら、取材用に利用しているが、非常に使い良いカメラである。レンズはカールツアィスのF2、5倍ズーム付きで、解像度、明るさ、操作性共に問題無く、重宝している。

  さらに、一眼レフタイプのデジカメも買った。610万画素の
ニコンのD100である。これは定価30万円と高かった。しかし、今までのレンズがそのまま使えるので、使用頻度が一番高くなった。さらに、ニコンで新発売となった500万画素の3倍ズーム付き超小型デジカメCOOLPIX5200を買った。これは、小さいので外出する時は、腰のベルトに着けていけるので、重宝している。
  そして、1230万画素のフラッグシップ・デジタル一眼レフ、
ニコンのD300も購入した。さすがに、これは使い易く、性能も十二分であった。最早、2/1サイズ撮像素子のデジカメとしては完成域であろう。
  画像処理は、白黒の時は自家現像であったが、デジカメになってからは画像処理ソフトを利用している。使用しているソフトは、ずっとアドビの
フォトショップであったが、最近はニコンのCaputure NXで、RAW現像を行っている。これは使いやすく、便利である。
  
  ここまで、書いていると、大事なことを忘れていることに気が付いた。それは大判カメラ(ビューカメラ)のことである。大判カメラの魅力は、今更言うまでもない。じつは、非常に興味があった。4×5インチのフィルムを使うのである。頭から、暗幕を被り、ピントを合わせ、構図を決めて、露出を決めて、乾板を入れ、おもむろにシャッターを切るのである。まさしく写真を撮る醍醐味そのものである。絵を描くように、1枚の写真を撮るために1時間も2時間も、場合によっては半日以上をかけるのである。

  しかし、今はその時間がない。ということで、中版カメラでフィールド用として、ブローニフィルムを使った6×7cm版の
ペンタックス67と、レンズ3本をまとめて買った。これは、高かった。しかし、写り具合とこの重量感は何ともたまらない。写真を撮る心構えが変わってくる感じがした。これからのメインカメラとしていきたいと思っている。



  その他、夢中になったものに小型映画がある。学生時代からシナリオを書くのが好きで、何本か書いたことがある。そして映画作りをした。最初手にしたのが、
エルモのレンズがロータリー式になっているダブルサイズの8mm撮影機であった。次に、購入したのが富士キャノンの5倍ズーム付き撮影機であった。富士のトーキー式映写機も購入し、音声付の映画作りを楽しんだ。また、肩に乗せて使用するソニーの8ミリビデオカメラも購入し、ビデオ作りに励んだこともあった。  
 
  だが、今では映画作りには興味が無くなった。この世界は、余りにもプロとアマの間には機材も含めて隔たりが大きすぎた。時間もものすごくかかった。                        

0006/02010509/0903
 
Hitosh

 
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