MTB・マウンティンバイク

  意外な組み合わせと良く言われた。MTBに乗るとは信じられないと言われた。若い部下には、「えっチャリンコに乗るのですか」とまで言われた。無理もない、私自身も今さら自転車に乗るなんて、考えもしなかった。

 しかし、自転車歴は長い。今と違い、子供用の自転車の無い頃であった。いや、婦人車と言われるものも街では殆ど見かけなかった。従って、大人用の自転車で、三角乗り(三角フレームの中から足を出し、反対側のペダルを踏む。従って、サドルに座ることが出来なかった)で、遠くまでサイクリングした。もちろん、無理な体型であるから、途中何回も休憩しながらのサイクリングであった。

 小学校の4年頃のことであった。そのころから、あちこちに出かけた。私の、住んでいた栃木市から、伸びている街道(当時の道は砂利道が当たり前であった)をとにかく好奇心にかられ出かけたものだ。栃木街道、壬生街道、日光街道、足利街道、鹿沼街道等を良く行った。遠くでは、宇都宮にも良く行った。特に宇都宮の西川田は、公園と遊園地が有ったため、グループを組んで良く行ったものだ。

 中学に入ると、もう自転車は下駄代わりであった。夏になると、少し遠い川(思い川、いい名前である)まで、毎日、わざわざ泳ぎに行った。近くの大平山(県立公園になっている)は、小さい頃からの遊び場であった。ここも自転車で行き、途中で自転車を置き、それこそ一日遊んでいた。  

 あれから、35年経った5月の連休である。健康のためにと軽い気持ちで、息子の自転車でも乗ってみようかと思い、出してみたらパンクしていた。それにあちこち錆が出ていた。これは、だめだと思いあきらめたら、家内から「自転車やるなら買ったらいいじゃないの」なんて言われた。確かに、自転車は安いし、サイクリングは体に良い。そこで、早速近くの自転車屋に行った。最近は自転車が見直されているという。今流行のMTB(マウンテインバイク)を進められた。予備知識は全くゼロであった。言われるままに、台湾製の後ろ7段、前3段の変速機付きMTBを買ってしまった。派手なブルーの塗装の格好いいMTBであった。

 今住んでいる家の近くを鶴見川が流れている。大きな川では無いが、土手にはサイクリング道路が出来ている。早速、このサイクリングロードを使って、小机城跡まで行った。わずか、片道30分くらいのコースであったが、お尻がものすごく痛くなった。このMTBのサドルは、細身で格好いいのであるが、年を取った身には辛かった。またサドルが高いせいか、体を低くして乗るため、腕も痛くなった。ギアの変速も最初は解らなかった。こんなメカは、昔の安い自転車(実用車と呼ばれていた)には付いていなかった。それから、MTBには泥除けがついていないため、雨水の貯まったところを通過すると、泥が背中まで跳ねてきたのには驚いた。

 それでも、数回乗る内に、MTBにも慣れてきた。そこで、鶴見川の源流や、河口まで良く行くようになった。全長45Kmのこの川は、サイクリングには丁度良い距離である。休日の度に、夢中で走った。何が幸いするか解らないものである。このおかげで、その後の山歩きが、自分でも信じられないほど強くなっていた。

 MTBに関する本も買い込んだ。そして、非常用のツ−ルも買った。サイクリングはいくつになっても楽しいと思った。健康のためにも、そして「道と写真」の充実のためにも今後とも続けていきたいと思っている。
                         

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Hitosh

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