弘前市街夜景 東京を朝の6時56分の新幹線で八戸(10時着)まで行き、その後奥入瀬渓谷を回り、青森経由で弘前に来た。 最初に来た時は夜行列車であり、その次は車で途中2泊もして来たのであるから、便利になったものだ。 今回は、弘前駅前のCホテルに宿泊した。写真はホテルの10階より撮影したものである。 |
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朝の岩木山 早朝の岩木山の勇姿である。何度見ても見応えのある山である。 青森県はもともとは津軽藩と南部藩に分かれていた。弘前はその津軽藩10万石の城のあったところで、津軽地方の中心地であった。地名の由来は、「広い平地の前」との説があるが、まあ尤もらしい。 青森から弘前への電車(奥羽本線)の中からの景色は、綺麗な山脈に囲まれた豊かな台地と言う感じであった。そういえば、石坂洋次郎の「青い山脈」の舞台はたしか、ここ弘前がモデルであった。 |
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徒町 文化財も多く、今ではすっかり学園文化都市、といった感じである。私の部下の部下にこの弘前から来た女性がいたが、背の高い色白の美人であった。季節の変わり目に良く、弘前の名物が届き、皆で頂いた事がある。その子もこの地方の名物ねぷたで良く踊ったとの事であった。 左の写真は土淵川に架かる徒橋。藩政時代初期に、「若党町」の中で、特に「徒(かち)の者町」として町割りされていたところである。 |
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百石町展示館 明治になり現在の「徒(かち)町」となった由。丁寧に、標柱にその謂れがわかりやすく記入されている。なお、今でも若党町も残されている。 その他、紺屋町、馬喰町、小人町、紺屋町、五十石町、百石町、鞘師町等々、古くからの町名が今も使われている。 戦災を受けていないこの町には、由来を記した標柱が各所に設置されており、城下町400年の歴史が偲ばれるようになっているのには感心した。 |
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商店街 弘前駅と城の間の鍛治町、蓬莱橋、土手町を通る道が、弘前一番の繁華街となっている。早朝のため人通りは殆ど無かった。 そういえば、早起きして、朝飯も食わずに街に飛び出した我々は、食べるところを探すのに苦労した。食堂はどこ開いていないし・・・ あまり腹が減ったので、ホテルに戻るには時間がもったいないということで、城の近くのパン屋に入った。そこで、焼きたてのパンを食べることになったが、これは結構美味かった。 |
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田中屋商店 商店街の西端、弘前城側の角にあるのが田中屋で、白壁と太い柱で出来た店となっている。江戸時代以来の伝統漆器である津軽塗りや、焼き物、こぎん刺し(津軽地方に伝わる刺繍)などを扱っているところだ。 隣接して田中屋工房、津軽塗資料館などが併設されている。 |
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弘前城 津軽藩10万石の城跡で、現在は弘前公園となっている。3重の堀を持つ平山城で、築城時の天守閣は、江戸初期の落雷で焼失し、現在のものは1811年に隅櫓を修復した3層のもので、国の重要文化財に指定されている。 城内には、約5000本の桜があり、東北一の名所となっている。丁度5月の連休あたりが満開を迎えるため、「さくらまつり」が毎年賑やかに行われている。 |
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石場家住宅 弘前城の北側にある豪商の家。代々、藩内の藁加工品と荒物を扱っていたが、後に米や肥料などの小売も行うようになった。 建物は江戸後期の津軽を代表する建築として重要文化財に指定されている。なお、今でもタバコや地酒などを商っている。 |
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武家屋敷 石場家住宅の裏の道(仲町、なかちょう)には、城下町の武家屋敷の遺溝が残されており、「仲町重要伝統的建造物保存地区」として指定されている。道路の両側に、サワラの生垣や黒塀が続いているところだ。 写真は武家屋敷の旧岩田家のものだ。この他、旧梅田家、旧伊藤家などが公開されている。 |
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津軽藩ねぷた村 弘前城の北東端にある。一年中ねぷたの熱気を体感出来る、弘前ねぷた館や、津軽三味線の生演奏が毎日行われている山弦堂や、伝統工芸品を扱っている店などがある。 ここで、写友のE氏は、津軽名物の勇壮な大凧(津軽凧絵)を買った。名物と言えば、ホテルで昨夜食べた地酒付きの弘前料理「津軽じょっぱり御前」は美味かった。土地の素材を活かしたホテル自慢の創作郷土料理とのこと。 |
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ルート JR 奥羽本線 弘前駅 〜シティホテル弘前(泊) 〜徒町〜百石町記念館 〜弘前城〜武家屋敷通り〜ねぷた村 〜弘前駅〜秋田〜酒田(泊) 歩行時間 3時間 |
駐車場 弘前城、津軽藩ねぷた村 |