いわき市平・いわき踊り
Iwaki Natsumatsuri

 いわき踊り
   いわき(磐城)地方には、小名浜天狗踊り、常磐ヤッペ踊り、じゃんがら念仏踊り、常磐炭坑節等の踊りが地域に根ざしたものとして受け継がれてきている。しかしいわき市として、誰でもが簡単に出来る共通の踊りが無かった。
   昭和56年(1981年)に市制施行15周年を記念して、市民が気軽に参加できる踊りをと言う事で、従来の伝統踊りを参考にして、「いわき踊り」が制定された。そして平レンガどおりの特設会場で発表会が盛大に行われた。
   これらの写真はいわき踊りが発表された翌年(1982年)、初めて催されたのいわき踊り大会での写真である。市内各所からそれぞれ趣向を凝らした衣装で、参加したチームが、生演奏に合わせて、いわき駅前通り一杯に広がって踊る様はなかなか迫力があった。
   いわきに盛大な夏祭りが誕生した感じであった。そして、現在ではすっかり、いわきの夏の風物詩として定着した感じである。
   今年(平成15年)の参加チームは104チームで、参加人員は約9000人となっている。それでも不景気の影響で、昨年よりは減少しているとのことであった。
   多くのチームがバスでやってきて、終わるとまたバスで帰って行くという。いわきは現在の所、日本一広い市ということで、面積が広く(1231平方km)、各地区相互の交通の便も悪いため、簡単に一箇所に集合できないから、バスを借り切って、チーム毎に移動することになる様だ。
   また、遠方の多くの市民がこのいわき市平に来るわけにも行かないので、このいわき踊りは各地で独自に行われているとのこと。このいわき駅前での、踊りはその集大成ということになる。
   いわきの夏は結構忙しい。旧盆の七夕祭り、いわき踊り、そして旧盆のじゃンガラ念仏踊りと続いている。その他に、地区ごとに行われる行事が目白押しという感じである。
   いわき市の平は、もともと(中世)は飯野平(たいら)と呼ばれ、岩城氏の城下町であった。当時は飯野平城と呼ばれていた。
   江戸時代は鳥居忠政が入封し、磐城平10万石(後に12万石)となった。この平城がこのいわき駅に隣接した北側の台地にあった。ちょうど、この駅前通りの反対側である。
   この辺は、文字通り城下町で,紺屋町、鍛治町、材木町、鷹匠街、仲間(ちゅうげん)の町名が今でも残っているが、太平洋戦争の空襲で焼け、城下町の面影は残っていない。
   初めてのいわき踊り大会に姪のC嬢が、参加していたので、家族・親戚そろって見学に行った。前評判どおりすごい賑わいであった。



ルート

 
常磐道 いわき中央IC 又は
JR常磐線 いわき駅
〜いわき駅前通り

休憩所・駐車場

駐車場 市内各所 有料
 
トイレ・休憩所 無し

8208/0310
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