酒田・山居町
Sakata


酒田奉行所跡入口
  本間家旧本邸から新井田川(にいだがわ)に向かう。嘗ては本間家とは掘割で繋がっており、川船で行き来していたという。
  今は埋め立てられ道となっている。その道沿いを進むと、左手に酒田奉行所跡入口がある。立派な冠木門が建っているが、元は裏門であった由。
  表門は、最近になってその遺構が発見されたという。かつての酒田奉行所は新井田川から最上川に流入する掘割の中にあり、もっと広大な敷地であったようだ。    
酒田奉行所跡
  中に入ってみると、説明板と空き地(右奥)と傍らに古い稲荷神社の祠があるのみであった。
  酒井忠勝が庄内藩の藩主になり、元和年間(1615〜1623年)に酒田代官所を建てたのが始まりで、寛永9年(1632年)に代官所から酒田奉行所と改称されている。
  町奉行と7人の同心、及びその配下の者で構成され、酒田の町制、司法、火防の他、御城米船や川舟の取り締まりを行っていた。
新井田川、山居橋
  酒田奉行所跡より、新井田川架かる山居橋を渡ると、山居町に入る。もともと山居町は最上川と新井田川の間の中州(山居島)であったところである。
  酒田は最上河口にある町と云われているが、この新井田川が市街の中心部を流れている川で、川舟が行き交い、多くの庄内米もこの川を利用して倉庫に搬入されていた。
山居橋
  新井田川に架かる木製の人道橋、山居橋。昭和34年まで掛かっていた木造の橋を、平成5年に復元したもの。
  橋脚の無い橋で、緩やかな太鼓橋となっており、下を船が通れるようになっている。
  この橋を渡ると山居町に入る。目の前の倉庫群が見事であった。
庄内米歴史資料館
  
山居橋より下流を見た写真である。今は、この先で酒田港となり、日本海に流入している。
  左岸の建物は庄内米歴史資料館となっている。所謂山居倉庫の一つで、稲に関する資料や農機具、米券(藩札の一種)等が展示してある。
山居倉庫
  山居町の倉庫群である。新井田川と最上川の間の三角州の上に明治26年に酒田米穀取引所付属の倉庫として、旧庄内藩主酒井家により建てられたものだ。
  西日と冬の強い季節風を防ぐ欅の並木に囲まれた12棟の倉庫群である。
  最上川や新井田川により運ばれてきた米は直接ここで陸揚げされていたのである。現在の最上川は山居倉庫や酒田港から分離され、直接日本海に流入している。  
山居倉庫
  この土蔵は25万俵(1万5千トン)の米を収容できるとか。今も現役で、全国農業協同組合連合会庄内本部(JA全農庄内)所轄の倉庫として利用されている。
  その内の一棟が、前述の庄内米歴史資料館として、もう一棟が酒田市観光物産館、「酒田夢の倶楽(くら)」として公開されている。
倉庫屋根
  これらの倉庫は、鶴岡出身の棟梁高橋兼吉が設計した土蔵造りの建物で、明治30年までに14棟が建設されていた(現存は12棟)。
  中州に立てたため、地盤が軟弱で、建物の基礎が大変だったようだ。
  また、屋根は断熱を考慮した二重構造となっている。内部の土間は、にがりを用いて練り固めた上に塩を敷いている。倉庫内の温度・湿度を一定に保つように工夫されている。
三居稲荷神社
  山居倉庫の裏手に、倉庫建設当時に酒井家が太郎稲荷と禎祥稲荷を勧請し、もともとここにあった山居稲荷神社と合祀し、三居稲荷神社と改称したとのこと。倉庫の鎮守社である。
山居倉庫
  12棟も連なる大きな倉庫は流石に見応えがあった。また、ここはNHKのTVドラマ「おしん」でも度々登場したところである。

  山居倉庫から、次は最上川に架かる出羽大橋を渡り、飯森山公園に向かう。土門拳記念館のあるところである。



ルート

 
JR羽越本線 酒田駅
〜バス 山居町下車
 
酒田奉行所跡〜新井田川〜山居橋
〜山居倉庫

歩行 1時間


休憩所・駐車場

山居倉庫前
 

0407/0808


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