酒田・日和山
Mt.Hiyori
22m

松尾芭蕉像
   昨夜酒田に着き、駅前のホテルに泊まった。翌朝、タクシーで日和山を訪れた。
  下車して、いきなり目に入ったのは、松尾芭蕉のブロンズ像であった。「奥の細道」によると、芭蕉は川舟に乗り、この酒田にやって来て、淵庵不玉(えんあん ふぎょく、本名伊藤玄順)と言う医師の家(不玉亭)を宿としている。そして
    「暑き日を海に入れたり最上川」
と詠んでいる。蛇足であるが、暑き日とは、暑い夏の一日の意である。
最上川・酒田港
  夕方になって涼しくなったのは、最上川が「暑き日」を海に流し込んだからと、大河最上川を賞賛した句となっている。我々が訪れた日も、まさにそんな暑い一日であった。
  左の写真は日和山より、酒田港(手前)と最上川を臨んだものである。最上川に架かっている橋が出羽大橋(左奥)だ。
  酒田は、最上川の河口に発達した港湾都市である。「入船千艘、出船千艘」と歌われたところで、すでに戦国時代には東北有数の港町であった。   
日和山、木造灯台
  日和山(ひよりやま)と呼ばれる地名は全国に80余箇所もある。いずれも、外海に面した港の近くで、標高もせいぜい数十m位の小さな山である。港の内外が良く見渡せ、出船入船の良く見える所となっている。
  船宿にはベテランの船頭や、経験を積んだ専門家がおり、毎日早朝に、この日和山に上り、雲行きや風の向きを調べたりして天気を予測した。  
最上川河口
  風の方向を定める「方角石」が置いてあり、今でも残されている所が多い。各地で日和山と命名されたのは、17世紀後半、外海を帆1枚で航海する「千石船」が出現した頃である。
  ただ、日和山の地名は、大型帆船の出現と共に生まれ、帆船時代が終わると、急速に忘れられた名前でもある。   
千石船・日和丸
  酒田では、その日和山を「日和山公園」として整備し、保存している。酒田港を望む景勝地にあり、当時の日本最古の方角石や、木造式灯台も残されている。
  また、ここは夕陽の名所としても知られている所である。冒頭に紹介した芭蕉の句に相応しい場所といえる所だ。
  日和山公園の中の池に浮かんでいるのは千石船の模型で、実物の1/2との事。現存する千石船では最大のものとか。 
河村瑞賢像
   この船に13人くらいの船乗りが乗り、河村瑞賢の開拓した西廻り航路を利用して、ここより大坂、江戸に庄内米を運んだという。文字通り1000石積みの船であった。
  瑞賢の像が港を望むこの日和山公園に建立されている。なお、瑞賢は江戸初期の商人で、生まれは伊勢の貧農の子。江戸で成功し財をなした。
  幕府より奥州の幕領米の江戸への回漕を命じられ、沿岸を現地踏査し、航路(西廻開運、東廻開運)を確立した人でもある。商人としてはもとより、海運、治水の功労者としても知られている人だ。



ルート

 
羽越本線 酒田駅
〜庄内交通バス 5分寿町
〜日和山公園
〜海向寺

歩行 1時間


休憩所・駐車場

駐車場 無料
 トイレ・休憩所 あり

参考文献

「おくのほそ道」、久富哲男全訳注、講談社


0407/0409
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