高橋編集長は歴代編集長の中でも担当した先生がどの先生もアニメ化大ヒット社会現象を起こした先生になりますがほとんどの先生がいつのまにか休載が続く……という先生の担当でした。

完全主義者なぶん担当が外れても休載される先生方に対して色々思われることがあられたんではないかと気になっていました(歴代担当作品を見ていて)

問題は休載されることではなく原稿が安心して執筆できる態勢なのかをきっと気にされていたと思うのですが担当を外れた以上口出しできないのに総括の立場です。

高橋編集長が亡くなってから冨樫先生は書くことが恩返しと言わんばかりに連続掲載が続きました。そしてある日糸がプツリと切れたかのように長期休載されました。

2003年に書いた追悼記事の通り冨樫先生は月例賞ホップステップ賞第104回10月期で尾田先生を出しています。こちらは1993年44〜47号募集され1994年2号に結果発表されました。

高橋さんは遊戯王の高橋先生の担当されていらしゃいました。それは遊戯王が始まる前でしたが遊戯王と言えばカードゲームの絶対王者です。そして復活。昔特集を組みましたが高橋先生は長者番付で一躍トップまで上り詰めた人です。高橋さんは基本的に担当した先生がヒットを飛ばすまで傍につくタイプの担当さんなので高橋さんの目はジャンプを育てていました。

ご自身の入社が1981年ですからそれからジャンプに配属され、キン肉マンというスーパーヒット作の担当をされてメディアミックスを経験されたわけです。その経験を全て生かされました。

アメリカ・ドイツ版ジャンプを創刊していた時期でありそれに補足するとSJRの発行により売上の復調のことは高橋さんも触れていらっしゃり新人育成と本誌の売れ行きについて頭を抱えられていたのです。新しい市場の拡大に成功されると、既にある知的財産の市場の拡大、アニメグッズの版権に向かわれました。

ジャンプの低迷していたラブコメ。第二のワンピースを狙ったのか当時は連載作品中の半分がバトル連載になりバランスに欠いていたジャンプは歴代編集長が当時憂いています。

当然高橋さんは当時のジャンプ編集長ですからそれらの記事も目にしたり耳に届いたことでしょう。直接言われるのではなく雑誌経由でジャンプは大丈夫かと。


その当時のジャンプの評論をどれだけの方が読まれたか知りませんけれど集めた私はこれを全部目を通されたらしんどいだろうなと感じました。

また売上を復調するために今までは関連各社などに任せていたグッズについての版権を見直されたのも高橋編集長になります。関連各社から販売されるグッズもありますが、出版社が直接かかわり、それで利益をあげるために手続きを進めていらしたのが高橋編集長率いる人々になります。

幽遊白書でたとえれば霊界という大きな権力に対してメスをいれた『コエンマ』の役割を果たされています。コエンマは架空の登場人物ですが戦闘武力(作品そのもの)の功績よりも慣習や態勢の見直しがしっかりした登場人物でありました。表に立つばかりではなく見えない場所でよく働き、出るべきところでは責任を持ち人の上に立つ人です。高橋さんは93年までジャンプに、そしてVジャンプに移られています。Vジャンプでマシリト・サマシトコンビでよく出ていらっしゃいます。

Vジャンプでの特集は本当に見応えがあるものでした。未収録画像が非常に多いですが、メディアミックスしたファン垂涎のイラストや独自レポートも収録され、当時のVジャンプは冨樫義博先生ファンにとって宝物といえるでしょう。Vジャンプの売り上げは大変なものでした。そして当時低迷したジャンプに帰還され、編集長につかれたのです。そこからの活躍はここで紹介しないでも当時のヒット作を思い出してくだされば分かることでしょう。

サマシトさん、高橋編集長は偉大でした。

この文章を書くために創2003年3月号を参考にしております。

2016年4月18日 かよー