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++冨樫義博@ジャンプ投稿歴++

 第20回10月期ホップ★ステップ賞・最終候補
『センセーは年下!!』は冨樫先生がはじめてジャンプに投稿した作品。

1986年(昭和61年)11月22日土曜日発売の週刊少年ジャンプNo. 52号(12月8・15日号)P166にて(定価170円)第20回10月期ホップ★ステップ賞・最終候補に『センセーは年下!!』が残る。

このときの最終候補作品は全部で9作品(入選・佳作はなし)。


【評点】

評点13(当時総合満点:25点、各項目5点満点)。作品獲得評点第1位。(同点3人)

総合:13(センス:3 構図:2 キャラクター:3 ストーリー:2 絵柄:3。)
奨励金2万6千円(手取)、週刊少年ジャンプ特製原稿用紙35枚。原画見本帳。


【審査員】

北条司先生(代表作『CITY HUNTER』)。

後藤広喜週刊少年ジャンプ編集長

荒選考は当時の編集部の担当が参加している。

高橋俊昌氏ら。


【講評】

ペンにまだなれていない感じはあるが、絵柄は良いと思う。なぜ小学生が先生になったのか、という理由がキチンと描かれていて、オチがつけばもっとよくなったのではないだろうか。

_週刊少年ジャンプ1986年52号P166、1986年11月25日火曜日発売より、引用。

左のカット(『センセーは年下!!』の表紙絵を指す)が、噂(?)の初投稿作。各キャラクターの表情の豊かさは、とても初投稿とは思えない。スクリントーンを一切使わずに描かれた、15ページのギャグ作品だが、まさに冨樫先生の原点と言えるだろう。年下先生のすっとぼけぶりは必見(JC『てんで性悪キューピッド』第4巻収録)

※ 現在(JC『てんで性悪キューピッド』第4巻収録)は絶版です。


_週刊少年ジャンプ1991年43号P40・41、1991年10月1日火曜日発売より、引用。
 (『第80回・10月期 H☆S賞』
  『漫画家クッキング 冨樫義博の作り方 第1回』編集部のメッセージより)


その原稿の裏に 『ぜひ漫画家になりたい。わたしをかって損はさせません』というようなメッセージを残していたのが後、 読切4作品・『狼なんて怖くない!!』、『てんで性悪キューピッド』、『幽☆遊☆白書』を担当する 荒選考をしていたときの高橋俊昌担当氏(2002年8月現在の週刊少年ジャンプの編集長)の目に留まり、冨樫先生にコンタクトを取るキッカケになったようである。(※投稿漫画の応募のきまりには原稿の最終ページの裏に住所、氏名、年齢、職業、電話番号(連絡先)、略歴を明記するというのがある。冨樫先生はそこで自己PRをしていた。)

※ このエピソードは1993年(平成5年)12月8日火曜日発売の週刊少年ジャンプ1994年3・4(合併)号の懸賞品(限定2000名)・ジャンプオリジナルCDで 『幽☆遊☆白書』の担当及びアニメ出演者が裏話を語った時に高橋俊昌氏自身に明かされた。

その後村田雄介著『ヘタッピマンガ研究所R』p115にて実際に書いたコメントは
「これから漫画家を目指す者ですがその出鼻を挫く厳しい批評をお願いします」だったと冨樫先生への取材により明かされる。同著で冨樫先生は『てんで性悪キューピッド』はウ冠の富樫さんの作品だと自虐している。



『センセーは年下!!』は『てんで性悪キューピッド』4巻(絶版)、ワイド版『てんで性悪キューピッド』3巻に収録。

※ このときのPNは『冨樫義博』ではなく『鳥留夜母屋』であった。

 第24回2月期ホップ★ステップ賞・佳作
『ジュラのミヅキ』は冨樫先生の作品がはじめて賞に入賞した投稿作品。

1987年(昭和62年)3月31日火曜日発売の週刊少年ジャンプNo. 18号(4月13日号)P124にて(定価170円)第24回2月期ホップ★ステップ賞・佳作に『ジュラのミヅキ』が入賞。

このときの佳作は全部で6作品、最終候補6作品(入選はなし)。


【評点】

評点19(当時総合満点:25点、各項目5点満点)。作品獲得評点第5位。

総合:19(センス:5 構図:4 キャラクター:3 ストーリー:3 絵柄:4。)
獲得賞金10万円(手取)、週刊少年ジャンプ特製原稿用紙65枚。原画見本帳。


【審査員】

新沢基栄先生(代表作『ハイスクール!奇面組』)。

後藤広喜週刊少年ジャンプ編集長

荒選考は当時の編集部の担当が参加している。

高橋俊昌氏ら。

【講評】

絵、構成力とも基本的な力はある。エピソードにもっと工夫が欲しかった気がする。設定を解説だけで見せている点がつらい。次回が楽しみ。

_週刊少年ジャンプ1987年18号P124、1987年3月31日火曜日発売より、引用。

▲エピソードにもう一工夫ほしい!

全体のバランスからいって、設定の説明にページを使いすぎている。その分、ストーリー展開がありきたりになったり、楽しめる部分が少なかったりという結果になっている。主人公のキャラクターも弱い。後半に出てきているコメディー・タッチの部分が、もっと多めにあると、もっと楽しい作品になったはず。
絵柄に関しては、線のメリハリに気をつければ、もっともっとよくなるはずだ。


_ホップ☆ステップ賞SELECTIONP203より、引用。

左のカット(『ジュラのミヅキ』の表紙絵を指す)が、女の子・ホラー・スケベ・バイオレンスが詰まった(?)H☆S賞佳作。ヒロイン・ミヅキと敵対する、敵の描写のオドロオドロしさは、『幽☆遊☆白書』の敵キャラにも相通ずる!?ややこしい設定を、すっきりまとめた力量を研究しよう(JC『てんで性悪キューピッド』第4巻収録)

※ 現在(JC『てんで性悪キューピッド』第4巻収録)は絶版です。 


_週刊少年ジャンプ1991年44号P60・61、1991年10月8日火曜日発売より、引用。
 (『第80回・10月期 H☆S賞』
  『漫画家クッキング 冨樫義博の作り方 第2回』編集部のメッセージより)

『'87年度週刊少年ジャンプ新人漫画賞ホップ☆ステップ賞SELECTION』に冨樫先生は表紙カラーカットと冨樫義博先生の簡単なプロフィール、作品がP68〜103まで収録される。

『ジュラのミヅキ』は『てんで性悪キューピッド』4巻(絶版)、ワイド版『てんで性悪キューピッド』3巻に再収録。

このとき冨樫先生と同じように投稿していた人の中には後にデビューを果たし、連載作家となった人や、おしくも入賞を逃しても後に賞を獲得しやはり連載をもった人が多数存在する。

同期出身者は岡野剛(=のむら剛)先生で同じく佳作、あさみゆうこ(=浅美裕子)先生は最終候補。

※ このとき掲載されたジャンプと 『'87年度週刊少年ジャンプ新人漫画賞ホップ☆ステップ賞SELECTION』では冨樫先生の『冨』が『富』になっていた。

 昭和62年度下期・第34回手塚賞(ストーリー部門)
『ぶっとびストレート』。

1987年12月1日火曜日発売の週刊少年ジャンプ1988年No.1・2(合併)号(1月1日号)P101 にて(定価170円)昭和62年度下期・第34回手塚賞(ストーリー部門)準入選に『ぶっとびストレート』が入賞。

このときの準入選は全部で3作品、佳作3作品、最終候補4作品(入選はなし)。


【評点】

評点45(当時総合満点:55点、各審査員持点5点満点)。作品獲得評点第1位。

総合:45。
獲得賞金50万円(手取)、記念楯。


【審査員】

審査委員長:手塚治虫(漫画家)

審査員:小山ゆう(漫画家)/高橋三千綱(作家)/ちばてつや(漫画家)/武論尊(原作者)
     松本零士(漫画家)/本宮ひろ志(漫画家)/弓月光(漫画家)
     西村繁男(本誌部長)/佐藤日出男(月刊編集長)

全11人、各審査員持点5点。審査日:1987年11月4、5日

【選評】

主人公のパワーあふれる元気ぶりは爽快だ。作者の力量は、大いなるものがある
(ちば先生)

いいキャラを持った主人公の顔を、自分のものにすれば更に良くなる(高橋先生)

バカバカしい設定を、大マジメに描ける点を買う(西村)


_週刊少年ジャンプ1988年1・2(合併)号P101、1987年12月1日火曜日発売より、引用。

■なんだか知らんが、面白いというタイプの少年漫画。気迫でかいている。ユーモアもあっていい(手塚先生)

・絵に個性があってなかなかうまい。動きも表情も十分。クライマックスの痛快さが、出ていれば申し分ない(弓月先生)

・けっしてうまい絵ではないが、迫力があり、構図も工夫して立体感をもたせている。キャラクターにも個性があり、生き生きとした躍動感がある。最後のオチがもうひといき
(阿部先生)

・絵の迫力は満点。魅力もある。小気味良い。ストーリーが少し安易。即戦力として期待がもてる(武先生)


_めざせ漫画家!手塚・赤塚賞受賞作品集P290より引用。

左のカット(『ぶっとびストレート』の表紙絵を指す)が、冨樫先生の半年にわたる血と汗の結晶、手塚賞準入選だ。主人公・轟の、元気一杯で一直線なキャラクターが、作品中に満ちあふれている。また、冨樫先生得意の、気丈な女の子が主人公にからむ設定が既に確立されている点にも注目。(JC『狼なんて怖くない!!』に収録)

_週刊少年ジャンプ1991年45号P150・151、1991年10月15日火曜日発売より、引用。
 (『第80回・10月期 H☆S賞』
  『漫画家クッキング 冨樫義博の作り方 第3回』編集部のメッセージより)

「幽☆遊☆白書」に通じる主人公のキャラクター!

なんといっても目を引くのは、主人公の破天荒なほど元気のよいキャラクター。彼が、ライバルをぶっとばす様は痛快無比。そして、このキャラクターがいたからこそ、あの「幽☆遊☆白書」の浦飯幽助が生まれたといえるのだ。冨樫先生はこの受賞作品から存分に自分の持ち味を発揮していたのだ。キミもまずは自分の持ち味を見つけよう!

→冨樫先生独特の悪魔のような笑いも、すでにこのときから。
→バトル(乱闘)シーン多し。リアルタッチな絵もある。
→これが扉(『ぶっとびストレート』の表紙絵を指す)だ!
 作中には、主人公を尻にしく強気なヒロインも登場している。

_週刊少年ジャンプ2002年35号P248、2002年7月30日火曜日発売より、引用。
 (『第64回手塚賞・第57回赤塚賞2大漫画賞募集!!』記事より)

『めざせ漫画家!手塚・赤塚賞受賞作品集』に冨樫先生は裏表紙カラーカットと冨樫義博先生の簡単なプロフィール、作品がP7〜37まで収録される。

『ぶっとびストレート』は『狼なんて怖くない!!』に再収録。

このとき冨樫先生と同じように投稿していた人の中には後にデビューを果たし、連載作家となった人や、おしくも入賞を逃しても後に賞を獲得しやはり連載をもった人が多数存在する。

手塚賞に限れば、同期出身者は浅美裕子先生で同じく準入選。一つ前の第33回手塚賞佳作を果たし、第34回では手塚賞最終候補の西脇伸宏…和月伸宏先生が存在する。

(※浅美裕子先生は第35回で成合雄彦(=井上雄彦先生)とともに入選を果たしている。)

現在も週刊少年ジャンプ誌上や同系列雑誌で活躍されている点も大変に興味深い。

このとき獲得した賞金の使い道は

賞金の50万円がとても嬉しかった。今でもとってあります。この気持ちを味わえるよう、頑張ってください。

_週刊少年ジャンプ2002年35号P248、2002年7月30日火曜日発売より、引用。
 (『第64回手塚賞・第57回赤塚賞2大漫画賞募集!!』、『先生から一言』より)

そして初めて先生側としての投稿者へのアドバイスは

やっぱり、投稿されてくる莫大な作品の中で少しでも目立つには人と違う何かをドンとアピールすることが必要!!女の子が得意なら徹底的にうまく描く腕をみがけ!!

_週刊少年ジャンプ1989年49号P31、1989年11月7日火曜日発売より、引用。
 (『第39回手塚賞・第32回赤塚賞2大漫画賞募集!!』より)