会社の沿革 


 大正2年8月3日  資本金20万円で野上軽便鉄道株式会社を創立

 大正4年2月22日   電化に決定

 大正5年2月3日  日方−紀伊野上間8.8キロの運転が認可され、同年2月4日全線営業開始

 昭和3年3月26日   紀伊野上−生石口間2.6キロの運転開始が認可され、同年3月29日全線営業開始

 昭和3年9月10日  社名を野上電気鉄道株式会社と変更

 昭和9年2月11日  日本国有鉄道と旅客、手小荷物の連絡運輸営業を開始

 昭和26年3月3日  貨物の連絡運輸を開始

 昭和26年7月2日  貨物直通輸送を開始

 昭和33年6月12日  生石口駅を登山口駅に駅名変更

 昭和39年6月24日  登山口−神野市場間4.7キロの未開業線の廃止が認可される

 昭和41年10月1日  小口扱い貨物の取り扱いを廃止

 昭和46年6月1日  貨物(車扱)の営業を廃止

 昭和46年7月20日  臨時株主総会を開催して赤字解消の抜本的な再建策を提案するに、その具体策と
           方法を取締役会に一任されたので、検討の結果、鉄道廃線、全面バス化の方針を
           決定

 昭和47年2月8日  野上電鉄対策協議会と協議の結果、公営化も助成も困難であるため鉄道廃線、
           バス転換もやむを得ないとの結論に達した

 昭和48年4月23日  第1期(登山口−沖野々間)鉄道運輸営業廃止許可申請を運輸省へ提出

 昭和49年2月28日  石油事情の変化に伴い地元住民による鉄道廃線反対運動が活発化して、
           野上町議会に続いて海南市議会においても鉄道存続の請願が採択された

 昭和49年5月24日  地方鉄道軌道整備法に基づく助成対象事業に認定され、昭和49年度
           欠損補助金申請を行う

 昭和49年12月20日  国から地方鉄道軌道整備法に基づく昭和49年度欠損補助金の交付を受けた

 昭和50年2月1日  電車運行を30分間隔運転(1日31往復)に増回するとともに2月13日から
           並行路線バス運行を大幅に減回

 昭和50年2月14日  運輸省に提出していた第1期(登山口−沖野々間)鉄道運輸営業廃止許可
           申請書を取り下げ

 昭和58年1月25日  電車運行(1日31往復)を昼間45分間隔運転(1日23往復)に減回

 昭和59年8月7日  運転例外取り扱いの許可を得て紀伊野上駅の昼間時間帯を無人化

 昭和63年5月1日  電車運行(1日23往復)を通勤時間帯1往復(1日24往復)に増回


                      この間の詳細


 平成6年2月10日  鉄道法人の解散認可申請を行う

 平成6年3月31日  廃線


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