水軒駅の全景(西側) 駅前通り
行き止まりの先は水軒川の河口となっています
1984年10月頃まではのんびりと1521系が単行で来ておりました。
でもこの頃はすでに2両編成化に向けてホームの延長工事が始まっており、
その理由は天王寺支線の一部が廃止され、天王寺−今池町間に両運の車両が2両必要なためでした。
そして1524と1526が選ばれ、93年3月廃止までの間天王寺−今池町の区間に2両閉じこめられていましたが、
路線廃止後てっきり2両とも廃車だと思っていたら、幸運にも陸路運び出されて工場で整備を受け復活、再び和歌山港線に帰ってきました。
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右の写真は冷房改造される前の7000系です。 この7909−7035は2連口11編成の中で、最後まで冷房改造されずに残ったため、
和歌山地区常駐で加太線、和歌山港線、多奈川線で1521系と同等に扱われており、時には水軒まで
顔を出した時もありました。
最近では7000系2連口の単独運用は他の支線でもめったに見られません。
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旧塗色の7953−7135、1987年11月の水軒駅です。
当時冷房車の7100系2連も1521系が不足の時は加太線に優先的に入線したが、
この日は珍しく和歌山港線に入り水軒まで顔を出しました。
この時方向幕には「和歌山市−水軒」と今の黒地に白文字ではありませんが、ちゃんと掲示されていました。
以前加太線に7100系が入線の時は方向幕は白色で長方形の行先板を付けていたのですが。
こうして今見ると緑のツートンの旧南海カラーがなんだか懐かしく感じられます。 |
1524−1526 両運車の2両編成で1995年2月撮影です
この2両廃止された天王寺線から奇跡的に復活し陸路孤立区間から運び出され、整備され和歌山地区に
再登場しました。
電動車2両編成は、前にも1530−1522という編成が、和歌山港線で活躍した時がありました。
1524と仲間計8両は青森の弘南鉄道に売却されましたが、ツートンの境目に白線を帯びを巻かれましたが
緑の昔の南海カラーで元気に活躍しているそうです。
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1995年の3月から4月にかけて、貴志川線の1201形が廃車される事となり、
水軒駅構内で解体されました。
和歌山市駅まではJR西日本のDE10が市駅からはなんと1524−1526が1201形4連を
、水軒駅構内ではモーターカーが牽引し側線に収めました。
この解体作業に備えて側線の架線は事前にすべて撤去されました。
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長い間水軒の主であった1521系にもついに廃車の時が来てしまいました。
1995年7月から高野線で活躍していた丸、角ズームと交代する事になりました、そのためか看板が
角から丸に変わりました、丸看板を付けた1521系はごく短期間でした、1531−3907が運用されていました。
1521系のさよなら列車は10月にトップナンバーの1521−3901で運行されました。
1995年NHK大河ドラマは「徳川吉宗」、紀州和歌山出身の吉宗ゆかりの
養翠園が水軒駅の隣にあるため改装整備された駅前駐車場には観光バスで賑わいました。
しかし電車を利用して訪れた人は皆無に近かった事でしょう。
写真は1987.12月頃の駅前広場です。
材木置き場の中に駅がありましたが、近年港湾道路が真横を
通過するようになりました。
駅に停車しているのは7035−7909非冷房の頃の姿です。
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水軒駅には1日2回だけ電車が顔を出します、9:27着9:32発と15:34着15:40発です。
つまり水軒駅に電車が入るのは1日にたった11分間だけです。
15:40最終電車が出た後は明朝9:27に始発が到着するまでの約18時間、
駅を訪れる人は無く静けさが再び駅を包みます。
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