肱水舎について
1987年、三鷹市中原に新しい学生寮「肱水舎」が完成いたしました。
この学生寮は、向学の志を抱いて上京される学生諸君に快適な勉学の場を提供し、その学業の達成に寄与することを目的とし、公益財団法人肱水舎が運営しています。
『肱水舎』は、明治34年(1901年)旧大洲藩主加藤泰秋公の御発意とご好意により、東京下谷にあった加藤家の屋敷の一部を開放して、郷党の学生のための育英寮として、創設されたものです。昭和30年7月には財団法人となり、平成25年3月に公益財団法人に認定されました。
肱水舎という名称は、郷党の青年たちが相寄り相助け合い、勉学の道に専念するよう、郷土を流れる母なる川、肱川にちなんで命名されたものです。
肱川を望む
「肱水舎」の創設者である加藤泰秋公は、元治元年(1864年)大洲藩第十三代藩主となり、教学を興して人材を登用するとともに、維新の大業にも参画されました。維新後も、大洲藩知事として、新政の改革に努力し、城下の民衆に慕われ、また「肱水舎」の設立などに尽力せられ、名君と謳われました。
泰秋公の嫡男、加藤泰通公は、宮内省部官をはじめ、長く宮中に奉任され、さらに貴族院議員として国政に参画、国際親善にも尽くされました。終戦後は、大洲に居を移され、市民として物心両面にわたり郷土の発展に尽力され、父君のご遺志を継いで「肱水舎」を再建されました。また、多額の私財を提供されて、産業の発展、教育、文化の高揚に寄与されました。