ライブスチームの運転


24.”横浜ライブスチームクラブ”さまのこと  (H27.12.14掲載)

 昭和56年4月から昭和57年3月までの2年間、東京都調布市に住んでいました。当時、 持っていたライブスチームは1番ゲージのアスター製8550(アルコール焚き)1台だけでした。 その数年前にOSは弁慶号を発売しており、乗用できる石炭焚きのライブスチームに興味を持っておりました。 たしか東京・浅草橋あたりにあったOS東京ショールームを訪問しておりました。そうしたなか、 横浜ライブスチームクラブの方と知り合いになりました。どうやって知り合ったのか記憶が定かではないのですが、 もしかしたら、OS東京ショールームだったかもしれません。

 その方のお誘いをうけ、当時、横浜・市ヶ尾にあった横浜ライブスチームクラブさまのレイアウトにアスター8550を持参して、 走行させていただいていました。3.5インチゲージや5インチゲージのライブスチームと違って、 手提げかばんに入れて持ち運べますので、小田急電車とバスを乗り継いで市ヶ尾レイアウトにお邪魔していました。
 レイアウトでは、クラブのメンバーの方が、アスター製のC57やC12、 たぶん「模型とラジオ」誌に製作法が連載された渡辺さま設計の2B1、スエチカライブC62、 自作の機関車などが走行していました。

アスター製 C57とフランスのPLM 231A Pacific
アスター製 C57とフランスのPLM 231A Pacific

アスター製 C12
アスター製 C12

渡辺さま設計の2B1
渡辺さま設計の2B1と思われます

スエチカライブ C62
スエチカライブ C62

 同じ趣味の方と一緒に楽しむのは、この時がはじめてでした(もっともライブスチーマーって数少ないですから)。 クラブのメンバーの方が各々自分の機関車を持ち込まれますので、さまざまな機関車を見ることができ、 自分の機関車を走らせている時以外は皆さまの機関車を写真撮影させていただいていました。

レイアウトの風景1
左のスエチカライブ C62が発車準備中です

レイアウトの風景2
左はスエチカライブC62、真ん中は2B1、右はアスター製PLM 231A Pacific


 当時のメンバーの方は私より年上の方ばかりでしたが、今も楽しく自慢の機関車を走行させておられることと思います。 またあの時の機関車を拝見したく、いつか時間をつくって、 横浜ライブスチームクラブさまのレイアウトを訪問したいと思っています。


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