貝と少年
L北村猪之助
もう何年も前の話になる。ある夏の日、どこかで会った様な老人が私の会社へ来られて救命浮環を一個買われた。よく見ると私が稲穂小学校5.6年生の時の隣の組の担任をなさっていた先生である。思わず声をかけ確認した処、そうだと言う。懐かしさのあまり、お時間が有るならお茶でも飲んで行かれませんかと言ったところ、それではと言う事で、はからずも私が11.12歳の頃、終戦後の時代の話となった。その中で先生は小樽の港には忘れがたい想い出が有ると言う。以下は何ですかと尋ねた時の先生の話である。
真夏のある日、学校の生徒を連れて、当時は砂浜が僅かに残っていた第二埠頭の浜辺に写生に来た。その時砂浜で焚き火をしていた子供がいる。よく見るとこのところ学校を休んでいる子である。思わず駆け寄り「学校へ来ないで遊んでいるのか」と咎めたところ、その子はピョコンと頭を下げ「先生すみません。父さんがまだ戦地から帰って来ないし、母さんこのところ体の具合が悪くて仕事に行けなくて家に食べ物がなくなり、妹がおなかがへったとばかり言うから学校休んで悪かったけれど、何とかしようと思って浜へ来て海へもぐり貝を取り焼いて家へ持って帰っていたんです。妹が美味しいね、にーちゃん。と言って喜んで食べるんだ。先生、僕の取った貝を一つ食べてみませんか」と言って差し出したと言う。恥ずかしいことだが私もつい、空きっ腹に負け思わず手を出して口にしたが、その途端こんな小さな子が親戚もあろう、近所もあろうにどんな事情か知らないが悪い事もせず、人にも頼らず妹の腹を少しでも満たしてやるにはこれしかなかったろう。そう思うとその貝を食べた私は、何と情けない教師だと思い、食べた貝は喉につまってしまい涙が止まらなくなった。
私は「もう解ったよ。天気の良い時は学校に来なくてもよいぞ。今夜は私が君の家へ行くから待っていてくれ」と言って別れた。
学校へ帰り、仲間の教師に事の顛末を話し、いくらでも良いから何とか食べ物を出してもらえないか、と頼んだ。皆んな乏しい中から何がしかの物を出してくれたので、私の有りったけの分と合わせその日の夜にその子の家へ行って頑張ってくれと言い集めた食べ物を置いて来た。
その様な事があったので今でも浜に来ると、その子の事を思うのであるとの話であった。聞いていた私は事務所の中にも係わらず目の前が涙で霞んでしまった。今お金をもうける事が悪ですかとか、偏差値に浮き身をやつす時代、教師は聖職と言われたのは過去となった時代、渇しても盗泉の水は飲まないこの少年の心。我が食べ物を教え子に運ぶ教師、もうこの様な事は夢なのだろうか。
教育の原点、親子兄妹の心の通い合い、今失われかけている最も大事なもの何とか取り戻したいと思うのは私だけだろうか?
折りにふれ、あるいは浜を見る時、いつもこの話が私の心に浮かぶのである。