雪割草・もう一つの原点
小須戸町花と緑の館
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| 小須戸町を訪れたのはもう4年も前になるでしょうか。私の初めての新潟行きであり、私の 雪割草栽培の原点の一つです。なお、その時はまだホームページ開設前のことなので画像があり ません。次回訪れるときは画像も編集したいと思います。 |
| 序章 |
| 雪割草を始めて4年目くらいだったろうか、初めて新潟を訪れた。目的はHさんの営む雪割 草のハウスを訪れるためであった。Hさんとも初対面で、私が入会して間もない山草会の大先輩 の紹介で訪れることとなったのである。ようやく春めいてきた3月の早朝、夜行バスで三条燕の バス停に降り立った。朝4:00といえばまだ真っ暗である。初めての場所なのでJRの駅さえ どこにあるのか分からない。見当を付けて歩きだしてみると、我ながら方向感覚は優れていると 思うのだが、見事燕三条の駅にたどりついた。弥彦線の始発は6:20である。駅の近所に時間 をつぶせる場所が無いか探したが、まったくといっていいほど見つからない。仕方なく駅で始発 を待つことにしたが、駅の扉は6:00近くにならないと開かない。ひたすら暗闇の中待つしか なかった。 駅の扉が開き、ようやく弥彦線のホームに降り立った。ベンチで電車を待っていると、25 ,6歳くらいの兄さんが階段を下りてきてホームを見回している。暫くすると「新潟へ行くには ここで待てばいいのかね?」と声をかけてきた。自分も初めての場所だったが、おおよその見当 はつけてあるので「ああ、どちら行っても新潟には着きますよ。」と返事をすると安心したらし くベンチに腰を下ろした。なんでも、数日前に仕事でトラックを運転しているときに、突然の故 障に見舞われ、そのまま新発田の方の修理屋に置いてきたとのこと。修理が終わったとの連絡が 入ったので今日は仲間のトラックにここまで乗せててきてもらって、これから車を取りにいくの だという。聞けば住まいは群馬の方とか。そんな話をしながら、やってきた電車に飛び乗り、吉 田で越後線に乗り換え、巻までの道連れとなった。 自分は巻で兄さんと別れ、駅前に立った。Hさんのところまではこれといった交通手段が無 く、「え〜いっままヨッ!!」と山に向かって歩き始めた。これも方向感覚が優れているという のか、1時間も歩くとHさんのハウスが見えてきた。Hさんとは初めての対面である。紹介者の 大先輩は仲間と朝東京を発ってこちらに向かっているのだが、まだ到着するわけもなく、自分一 人でHさんと対面するしかなかった。私よりは一回り上くらいだろうか、押しの強そうな大旦那 である。とりあえず挨拶をして世間話に興じたが緊張しっぱなしであった。その中でもホットし たのは大旦那の倅さん(HHさんと呼ぶ)が気さくな人物で、手土産に持って行ったカステラを 受け取ると「これが一番ですヨ」とニコニコしながら応対していただいたことである。今では大 旦那とともにHHさんに合うこともその後の自分の新潟行きの楽しみの一つとなっている。 |
| 本章 |
| その後、東京を朝出発した山草会の大先輩と合流して途中まで車に乗せていただき、燕三条 の駅で分かれると、その足で新津に向かい、S園芸センターを訪れた。もう夕方16:00くら いになっていたうえ、雨が降り始めていた。S園芸センターは翌日から雪割草の展示会があると いうことと、雨で客足も引いていたこともあって店じまの気配であったが、なんとかすべり込ん でハウスの雪割草を見せていただいた。その際、S園芸センターの奥様には初対面でありながら、 親しくお話をさせていただいたうえ、途中からお出でになった社長には車で駅まで送っていただ くなど、大変お世話になってしまった。 新津を後にして三条まで戻ると今度は以前から雪割草の種を送っていただいているKさんの お宅にお邪魔した。この時点で夜19:00を回っていたのでその場はご挨拶だけとして少しば かりKさんの作場を拝見させていただいて、翌日の朝、またお邪魔させていただくこととした。 翌日、時刻表と相談てみたのだが、Kさんのところにお邪魔していると、次の目的地の小須 戸町まで行けなくなってしまうことが判明した。今日の午後はもう帰るのである。仕方なく、朝 一でKさんのお宅にお邪魔してご挨拶だけで失礼させていただき、小須戸町へ向かった。 信越本線矢代田の駅に降り立ってみると、やはり初めてなのでおおよその方向しか分からな い。また広々と田んぼの広がる中の農道を歩き始めた。農道といってもちゃんと舗装されたりっ ぱな道である。小一時間歩いて集落を抜けると田んぼの向こうに大きな屋根の建物が見えてきた。 通りがかりの人に聞いてみるとそれが「花と緑の館」とのこと。さらに15分くらい農道を歩き、 ようやくたどり着いた。ここではN協会が雪割草の展示会を開催している。新潟へ出掛ける前に 雑誌でN協会が雪割草の種を配布していたので申し込んでおいたのである。もちろん種の採取で きる時期はもっと後だが、新潟を訪れる一つのキッカケになっていたのは確かである。会場に入 ると、展示会場の常で、分譲品の棚を取り囲むように展示品が飾られていた。人出も結構あり、 分譲品と人を縫うようにして移動した。そのとき持っていた荷物で分譲品を引っ掛けたようで、 鉢を床にころがしてしまったのである。「しまった!!」慌てて片付けようとすると、物腰の柔 らかな初老の紳士が近づいてきてニコニコしながら一緒に片付けてくれたのである。この紳士こ そN協会の会長M氏であった。一発でその人柄に惚れ込んでしまい、思わずその場でN協会に入 会してしまった。会場の控えに腰掛けて、N協会の名簿なんど拝見していると、なんと、少し前 から私が自分の家の地元で懇意にしていただいているMガーデンの社長の名前があるのを知った。 Mガ−デンの社長が新潟出身だとは聞いていたが、世間は狭いものである。 |
| 終章 |
| こうして初めて新潟を訪れてから4年が経った。その後新潟へは春と夏に必ず訪れることとな り、M会長を初めとして新潟で出会った諸姉諸兄に再会できるのが毎年の楽しみとなった。雪割草 を通じてのネットワーク。されど雪割草、されど雪割草である。 |