明石の君、演じました

映画「千年の恋 ひかる源氏物語」を鑑賞しました。
まず、美術と舞台セット。すごい。豪華。今後、こんなのは、ありえない。次は東映100周年記念まで待たねばならないか、というほど。やってくれました。
脚本。長大な源氏物語をどう抜粋するか、なのですが、ううむ、こんな手法があったのか、すごい、というものです。吉永小百合が紫式部を演じているのが、やはりキーでしょう。ただし、残念なのは、よくよく注意していないと、揚げ羽の君の存在理由を認識できないところです。いやいや、注意していても、無理かもしれない。揚げ羽の君は現実の紫式部の世界と虚構の光源氏の世界をつなぐ役割なのですが、現実と虚構の映像差が少ない。つまり、当然のこと、どちらも同じようなセットで同じような衣装で、同じようなことをしているので、結果、揚げ羽の君は、唐突に挿入された印象を持つわけです。むしろ、揚げ羽の君の出現に困惑する人が多いかもしれない。さらに、歌声が雅の世界に合わないのでしょう。私としては、ミス・キャラと感じました。そのためもあって、現実と虚構が入り乱れ、見る側に非常に注意を要求する映画になってしまった。
キャスト。女優陣が目立つところですが、脇をかためる男優陣の存在が各場面の引き締めに成功しています。また、正直言って、光源氏の恋愛相手役は、どの女優さんがどの役をやっても大差ないな、という印象。源氏物語に傾注している人には、どの役を誰が演ずるか気になるところでしょうが、源氏物語を知らない私には、どの場面も全く違和感が無かったと申し上げます。結局、光源氏をめぐる女性たちは、個性があまり関係無い、というところでしょう。もちろん、2時間あまりに圧縮された映画ならではの現象です。原作に関しては、不明です。
筋書き上、残念ながらフーミンの出演時間は短いです。それでも、十分に演じきっていたと思います。で、左写真のような衣装を着ているのは、半分で、残りは、水中シーンでした。フーミンは、別の役になっても、十分に出来たはずです。艶やかな姿をもっと見せろ!(^_^)。ちなみに水中出産シーンがありましたが、赤ちゃん、カゼひいてしまうぞ、という感想。出産シーンが水中でなければならない理由は、わかりませんでした。誰がやりたかったのかな? 誰かが、水中シーンをぜひやりたかったと読んだ記憶があるので、ここも、原作の先入観があると唐突に見えてしまうことでしょう。
欲を言えば4時間くらいの大作に仕上げるべきでした。そうすれば、女性たちの個性の描き分けができました。
実際、筋書きは、紫式部と光源氏のシーンが交互に現れるため、詳細が描ききれないということです。そうなると、俳優に演技の個性を求めることが難しくなる。かつて、超大作といえば、3時間を軽く越えるものでした。たとえば、「トラ・トラ・トラ!」とかね。興行収入、動員数を考えると、せいぜい2時間30分に押さえねばならないのでしょうが、やはり残念でした。30年以上前にあったような「超大作」というものにしてほしかったと思います。そうすれば、思いのままに描けたのではないか。たとえば、ディレクターズ・カット版として、本編3時間30分くらいに仕上げたVTR(DVD)になれば、というような気持ちです。やはりもともと長い源氏物語、それなりに必要とする長さというものがあるのでしょう。
ということになると、「源氏物語 Episode
1」などというように、3部作くらいにしないといけないのでは? あまりにも長く、かつ登場人物が非常に多い題材を、短く仕上げることの難しさを提示した作品ということになるのでしょうか。何を本映画の主題とするのか。それは記念作品という意義なのか、豪華さなのか、源氏物語か、俳優か。製作側がどれを取るかが、この映画を見る人とのギャプにつながり、評価が左右されることでしょう。私としては、もし単に俳優に注目して見るだけなら、吉永小百合と天海祐希以外に注目していると、がっかりすること請け合い。また、源氏物語そのものに注目するなら、これまたきっとがっかりするでしょう。見るにあたっての自分の思い入れをどこで折り合いつけるか。そのあたりの配慮ができないと、不満が残るかもしれません。結局、見る人の姿勢を問われることになる。この映画は、すなわち「お祭り」なのです。ちなみに、私は、フーミンが幸せなら、それでいいんです。
平日の昼間なので、劇場の入りは、80%程度。観に来た人は30代以上の主婦が多く、女子中学生、女子高校生も目立っていました。これは、成功と言ってよいでしょう。