ベルリオーズ
幻想交響曲
異様、異色。こういう言葉が適切のように思う。作曲年代を考えると、たしかに異様。それまでは古典派の時代だったのだ。しかし、いわゆる古典派で有名なものはウィーン近辺の音楽だ。フランスがどうだったかはよくわからないが、追従したものと考えていいのだろう。
第1、2、3楽章を個々にみると、それほど異様でもない。前半は比較的明るいイメージではないだろうか。
第1楽章は序奏が長い。序奏のみで単一楽章とみなしてもいいと思う。すなわち序奏は、これのみでひとつの個性である。次に第1楽章の主部であるが、展開部が短めで若干の不満が残るものの、まあソナタ形式なのだからこれでもいいか、という感じ。頭の上の帽子(序奏)が大きすぎるような構成だ。そのアンバランスさは、聴き終わってよく考えてからわかることではある。
第2楽章はワルツ。これのみでは何のことはない、ただのワルツだ。構成面はともかく部分でとらえると、ヨハン=シュトラウスに代表されるあのワルツ群と、あまり遜色ないなあと感じられる。それでも30年くらい時代が離れているのだが。
第3楽章は、野の風景。田園地方を描いた曲では、あのベートーヴェンの「田園」交響曲があるが、あちらにあるのは、かなり賑やかな風景だ。「小川の風景」には、けっこうな数の魚や虫や鳥がいそうではないか。しかしこの「幻想」の第3楽章は、遠くで牧人が2人くらいいて家畜が見えそうで見えないような、風の音のみがするような、そんな風景がかなりの部分を占める。だだっ広く牧草か何かが生えているだけ。音楽で描く世界が停滞しているような感じがする。そこが現実逃避っぽくて、私は好きだ。
しかし、第4楽章から、実際におかしくなってくる。例の「若い音楽家がアヘンを…」という説明を読まなくても、この楽章で誰もが変に思うしかない。第2、3、4楽章と続いて、異様な世界にいることに改めて気付かされる。なぜ、田園風景の次にグロテスクな行進曲があるのか。
第5楽章こそが異様であるが、聴けばわかる話なので、説明は略しておこう。
「ローマの謝肉祭」序曲
ベルリオーズは、6/8拍子が特徴的だ。「幻想」の第3楽章や第5楽章の後半がそうであるし、第1楽章や第4楽章でも、3連符を使って6/8のように聴かせるところがある。その6/8で賑やかにまとめるとこうなる。
[完]