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富とアイタ・ペアペア
同時多発テロ以前に、資本主義経済のシンボルとして威容を誇っていた貿易センタービルの跡地が、いまのグランドゼロです。その近くにはこれまた資本主義の殿堂、証券取引所があります。当時、私たち一行は時差との戦いに明け暮れながら観光のノルマを一つずつ消化していました。双子のその貿易センタービルは常に私たちの視野にあり、視線を地上に移した先には、多分、証券取引の第一線に立っているであろうと思わせる大男たちが、隊伍を組んで歩いていました。わが一行の一人、50代の女性が思わず「カッコいい」と言ってしまいました。
たしかに「カッコ」良かったです。だが、彼らを含む先進国の多くの人々はいつも急ぎ、いらいらし、ストレスを抱え、友人と過ごす時間を持たず、家族に八つ当たりをし、ほとんど笑う余裕さえ持っていません。
一方、「アイタ、ペアペア」(=急がない・気にしない)という言葉がタヒチにはあります。テレビに映る人々の屈託のない笑顔。その笑顔には、自然をそのまま受け入れ、自然と融合している生きる原初のよろこびが現われています。それはまた、「欲望から開放された“カントの自由”」を、謳歌している至福の姿でもあります。赤銅色の肌も健康そのもので、それに比べると白い肌は虚弱体の「白子」にさえ見えます。果たして幸福なのはどちらの方でしょうか。
富(wealth)とウェルビーイング(well-being)はもともと姉妹語ですが、現在では“wealth”は個人の物質的財産と金融資産を意味する語としてのみ使われています。今、「ウェルビーイング」の概念は大衆雑誌から国際機関の公式刊行物まで、いたるところで論じられています。経済協力機構(OECD)が刊行した『諸国家のウェルビーイング』やカナダ下院が2003年6月に可決した「カナダウェルビーイング指標法」などがその使用例です。
この概念をインターネット上で探ってみると、@「人権の尊重、自己実現という意味。社会保障はもとより、人間的な生活実現に向けたソーシャルワークの理念に基づく事業や活動」。A「物質価値にこだわらず、精神と身体の調和を通じて元気な生を追い求める文化として知られている」などが検索されます。
―この概念は質の高い生活を意味し、要約すると、★安全 ★自由 ★生存のための基本的条件(食料・住居・安定した生活手段などを含む)★良好な健康(個人の健康と自然環境の健全性を含む)★良好な社会関係(実感できる社会的結束と、助け合いの社会的なネットワークを含む)―と定義されます。(『地球白書2004―05』)。
所得と幸福感
コロンビアの首都ボゴタの市長エインリケ・ペニャロサは、「都市がうまく機能しているかどうかは、物質的豊かさではなく、多くの住民が「幸せ」と感じるか否かによって決まる」と述べています。
だが、これは先進国と発展途上国の両方に定着している開発概念を覆す考え方です。これまでほとんどの政府は、富(wealth)の確保はウェルビーイング(well-being)をもたらすという想定のもとで、国内総生産(GDP)の増加を国内政策の最優先課題にしてきたからです。たとえば、日米ともに80%を超えていた所得税(国・地方)の率が、日本ではいま、50%まで下がっています。いかに財界や富裕層を支持基盤にしているとはいえ、富裕層が有利になることを意図して自民党が減税をしてきたとは思えません。減税は日米ともに、GDPの持続的拡大あるいは維持を目的にしてなされてきました。
減税により貧富の差は広がりますが、それに目をつむっても全体のパイを大きくすれば、貧者にも余得があるという考えです。しかし税負担のない貧困層や低所得者層は、減税の恩恵をあまり受けません。この一例のよっても分かるように、GDP至上主義は社会的公平を欠くなど、資源の枯渇や環境破壊などを考慮の外においてさえもなお、大多数の人々のウェルビーイングを低下させます。これはあの証券マン達に象徴されるような、基本的ニーズが満たされていない(アイタ、ペアペアと逆の)生活の質の悪化なのです。
そこで、「幸せ」「豊かな生活」の新たな概念は、富ではなくウェルビーイングにあることが分かります。
病める日米大量消費大国
1957年から2002年までにアメリカでは、個人所得が2倍以上に増えています。ところが意識調査で「たいへんに幸せ」と答えた人の割合はこの期間を通じてほとんど変化していませんが、1991年以降のこの指数は1975年から1990年の間に比べてみると、むしろ低下さえしています。この所得と「幸せ」度の乖離は、多くの先進国にも見られる傾向のようです。
わが国の場合、倒産や失業を苦にしてなされる主に、40〜60代男性の自殺率の急増や物欲に絡む殺人・家庭内暴力・フリーターや働かない若者の増加が顕著です。特に若年層に広がっている「生きる目的の喪失」は深刻です。
次にサムエル・ウルマンの詩『青春』(訳:作山宗久)を掲げます。
「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたを言う。(略)
青春とは怯懦(きょうだ)を退ける勇気、安易を振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。(略)
霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、悲嘆の氷に閉ざされるとき、20歳であろうと人は老いる」。
皇居前のビルにあったマッカーサー元帥の部屋の壁に、この詩は掲げられていた事で有名です。また、日本の財界人の間にも広くて喧伝され親しまれていました。日本の若者たち(小学生高学年から)はこの詩の「希望」「勇気」「冒険心」「理想」を失っていて、「生きた屍」状態にあります。これはもう「たいへん幸せ」度の喪失などとは比べられない深刻な「亡国の兆し」です。
今、アメリカはダントツでこの文明の先頭を走り、半周遅れでフランスなど西欧諸国が続き、その中間を日本は走っています。文明の点でも日本は、世界第2位にあると考えられます。目を覆うばかりの貧富の差や殺人・強盗・レイプ・家庭内暴力がいま、アメリカにはびこっています。(日本人があこがれるような、自由も公平も実際にはありません)。この点も日本は、アメリカに次いで誇れる?堂々の世界第2位です。アメリカほど過激ではないものの、「ココロ」はしなび確実に衰退・劣化に向かっています。
欲望があらん限りに開放されて、あたかも孫悟空がお釈迦様の“手のひら”の外へ飛び出し、やりたい放題に振舞える現文明。これは地底の暗黒から、まぶしい太陽の下に解き放たれて、欣喜雀躍する捕らえられびとの喜び、人類のユートピアです。でもその結果として、資源の枯渇と環境破壊を生みました。加えて、その必然で弱肉強食の文明が構築され、資源争いを因とする紛争や戦争が絶えません。また、富裕層(国・個人)はますます富むばかりか、資源や富を独占し、それが持たざる層の貧困化をさらに加速するという悪魔のサイクルに陥っています。
やっぱり人類は、お釈迦様の“手のひら”から離れてはならなかったのです。一方では地球(自然)の限界を、他の一方では精神や心・霊性などの倫理基準、つまり超えてはならない法の枠を“手のひら”は意味しています。これを人類は「神」「仏」「空」などと呼び崇め、ひれ伏し、少なくてもその教えを守ろうと務めてきました。
このサイトを通じて私が訴え続けてきた主題は、「文明の転換」でした。それはマネー中心の文明から共生の文明への転換です。別の表現を使えば、愛・慈悲、つまり「ココロ」を核に置く文明です。ゴンドラの箱を開けてしまった人間にとって、欲望を抑えるのは至難の業ですが―。
さて、遥か2500年昔、見境もなく欲望のエサに食いつくばかりか、より多くさらに多く欲しがる動物を老子は発見します。その動物はまた、持てば持つほど欲望もうなぎのぼりに増幅する習性を持っていました。さらに観察を進めていくと、奇妙なことに「持てばもつほど不幸になっていく」という法則が、この動物には当てはまることも発見しました。
そこで老子は、「無為自然」「少欲知足」の哲理を生み出しました。老子はすでに、人類が自然破壊にまで進んでしまうことを予知し、それを憂え、知識を振り回しても、悪いほうにしか流れないから、何もしないほうが良い。―と警告しています。また、欲望には限界がなく、富は不幸を招くだけだから、分子(欲)を小さくしなさい。―とも言っているのです。
真実の一本道
大量消費社会がもたらした太りすぎと肥満症が全世界で10億人以上います。彼らの生活の質は低く、社会に莫大な医療コストを課し、糖尿病の急増を招いています。アメリカでは推定で成人の65%が太りすぎまたは肥満症であり、これに関する死亡は年間30万人に達しています。フォーダム大学の「社会健全性指数」によると、アメリカでは過去30年間に全般的な「社会健全性」も衰弱しています。(その間平均1万ドルの所得が増えている)。またたとえば、国連開発計画(UNDP)が発表した先進国の人間貧困指数では、調査対象17カ国中最下位にランクされています。
これら事実が語るように、富や消費の大きさと「豊かな生活」は比例しないばかりか、むしろ半比例の傾向さえ見られます。がむしゃらに富を追い求める従来型経済のあり方に対する疑問から、ウェルビーイングへの道が開かれつつあります。この道は、やっと目覚めた大衆の声に呼応して切り拓らかれた真実の一本道です。物欲だけでなく、神を敬う習性をもあわせ持つ特殊動物人間。「老子」を理解できないことはないと信じます。
本題は、(『地球白書2004-05』 ワールドウォッチ研究所)を参考にして書かれました。同書の特に、第1章と第7章のウェルビーイングに対する記述を読んで欲しいと思います。当サイトの主張と重なっているからだけでは.なく、潮流を先取りした鋭い文明批判、かつ有益な提言がなされているからです。