共有地の悲劇

カウボーイの寓話

一九六八年、生物学者G・ハーディンは、サイエンス誌に大意、次のような「共有地の悲劇」モデルを提示しました。

〔一定の広さの牧草地でウシを飼育する人たちがいる。他の牧夫に先んじて牧夫Aは、ウシの頭数を増やして追加収入を得たので、ほかの牧夫たちもこぞってウシを増やした。しかし、ウシが増えれば牧草地は過密状態になり、荒廃して必然的に共倒れとなってしまう〕。したがって、限られた資源の下では経済合理主義(己の利潤の極大化を第一義とする考え方)に基づいた行動は好ましくないことを、この論文は示唆しています。すなわち、ある1人が自らの利益を求め、権利を主張して他を省みないならば、全体の利益のみでなく、その人自身も利益を失い、集団の崩壊を招く。という寓話をこのモデルは語っています。

 このように、限界を超えた放牧地の利用は共倒れを招きましたが、地球も放牧地と同様に限られた空間です。1972年ローマクラブから『成長の限界』が刊行され、一大センセーションを巻き起こしました。地球が有限の星であることを初めて明らかにしたからです。当時の主要メンバーにより、『成長の限界』から30年後を節目にして『成長の限界人類の選択』が刊行され、わが国では20053月に出版されました。そこでは1972年以来一貫して成長に関するデータや理論を統合するために構築したコンピューターモデル【ワールド3】が使われています。

同書では【ワールド3】を若干バージョンアップしたものを用いて、10のシナリオを示しています。そのうち、限界がない場合のシナリオ0および、最善の手段を講じた場合(現実には講じられていない)のシナリオ9とそのシナリオを20年前に導入した場合のシナリオ10は、単なるモデルに過ぎないので除きます。すると、すべてのシナリオがおよそ2050年頃を境にして、地球の持続可能性の脆弱化または文明の崩壊の傾向を示しています。化石燃料など供給源の枯渇、汚染の吸収源(浄化能力)の限界がネックとして作用するからです。

近年、世界的な環境意識の高まりのなかでグローバル・コモンズという言葉がしばしば使われるようになりました。コモンズの元来の意味は中世のイングランドで、村落の構成員が自由に入ることができた共有地のことでした。また昔からわが国には、入会地の約束事があり、入会山林や漁場入会にそれを見ることができます。たとえば漁場入会の場合、禁漁期間や漁具の制限―網の目の大きさなど―を定めています。これは法律を超えた侵すことのできない掟です。このようにして人類は、資源や環境を守ってきました。

今日、コモンズとは、大気や森林・海など市場原理によって処分されるべきでない自然環境を共同管理する制度をいいます。「グローバル・コモンズ」には、このように「地球丸ごと共有地」とみなす考えが込められています。

  共有地文明の創造

21世紀を迎える我々は限りある牧草地の牛飼いである。そして、20世紀を席巻した自由主義、経済主義は我々に多くの富を与えた一方で、我々の耳元で、より利己的に、そして、より合理的になるべし、とささやき続けてきた。我々羊飼いは、どのようにしてこの限りある牧草地を共有し、持続可能性を確保し、滅亡を回避することができるだろう。牧草地が限りある以上、答えは1つしかない。〔不満の平等化〕である」(京都大学 藤井 聡)。もちろん、引用文中の「牧草地」は「地球」を指しています。

裕福な少数の人々の大量消費は、大気・水・化石燃料など希少な地球資源を食い潰す行為であって、人類の共倒れを招きます。この危機を避けるためには、裕福な人々は消費を抑制し、貧しい人々は人口抑制に取り組まなければなりません。お互いわがままは許されず、我慢が必要です。これが教授の言う〔不満の平等化〕です。

共有地で牧夫Aは収入が増えたにもかかわらず、費用の負担をしませんでした。つまり、Aは共有地の便益を無料で使用したのです。この共有地を無料で使用する行動を経済学では外部性と呼び、次のように定義されます。「1つの経済主体の行動が他の主体の福利に及ぼす効果で、その効果が金銭的または市場の取引に反映されない場合である」(『サムエルソン経済学』)。他の牧夫に効果(不利益)を及ぼしたにもかかわらず、Aは費用の負担をしていないので、Aの行動は外部性に当たります。この外部性の中でもプラスの効果を持つものは外部経済、負の効果を及ぼすものは外部不経済と呼ばれます。Aの行動は、外部不経済の典型的な例です。

さて、企業は原則として、費用を負担せずに、コモンズ(大気や水など)を利用していますが、これをフリーライダー(ただ乗り)といいます。グローバル・コモンズではフリーライダーを許さないグローバルな規制が必要です。その規制の1つとして、汚染者から大気の使用料または汚染料―炭素税など―を徴収するという考え方があります。これを外部不経済の内部化と経済学では呼びます。この内部化は、外部不経済(汚染のしっぱなし)を行って恥じない人間の本性、エゴイズムを逆に利用して、問題解決に当たるという発想です。

地球資源の枯渇はもとより、環境破壊も限度を超えれば人類の生存基盤を脅かします。大量消費文明を謳歌してやまない先進国は、ウシの頭数を増やした牧夫に相当します。牧夫のエゴ(経済合理性)は共有地を荒廃させましたが、先進国のエゴは地球資源を枯渇させ、地球環境を著しく破壊します。(途上国もウシの頭数を増やすためにやっきになっています)。

その「共有地の悲劇」を回避する方策の1つに共有地を、私有化してしまうというのがあります。そうすれば、自らの土地を荒廃させるほどウシの数を増やす牧夫はいず、むしろ自分の土地から最大限の収益を上げるべく、さまざまな工夫をするであろうという考えです。しかし、人間は、得になることには命さえ賭ける反面、不利なものはとことん避けます。私有化によって解決しようという考えは、人間のこの性向を考慮しない夢のまた夢の類です。

近代史は、コモンズを古き中世思想として排除してきました。しかし、自然や環境のサスティーナブル(持続可能であること)を維持するためには、私有地の制限など人間の欲望に対する理性による制御、すなわちコモンズの促進こそが必要であり、今日においては、むしろそれは現代的・現実的発想だと考えます。

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