飢餓と飽食

怪奇現象

 棒のような手足・浮き出たあばら骨・異様に膨らんだ腹・そんな飢えた子どもたちの映像は、なにを暗喩しているのでしょうか。子どもたちの腹の膨らみは、カロリーと蛋白質の欠乏によって起こる「クワシオコル」と呼ばれる疾患です。一方、東京の病院には、最新設備の心臓病病棟に胸の痛みを訴える患者が次々と運ばれてきます。しかし、こちらの腹部の出っ張は食べ過ぎが原因です。

飢えた人の目は、「非常に美しく」かつ「澄んでいる」そうです。

―バックが鼻づらを星に向け、長く声をひいて遠吠えする時、それは、バックといううつしみの犬を通じて、月に吠えるバックの祖先の太古の叫びだった。バックのその泣くような、訴えるような声は、彼らが自分たちの哀しみと、自分たちが感じた静けさや、寒さや、暗さを訴える詩なのであった―。

この猟犬バックとバックの祖先が負わされている哀しみや、寒さ・暗さと、飢えた人の“美しく澄んだ目”とは通底しているのではあるまいか。洞窟の中で焚き火に手をかざして暖をとり、理不尽と暗黒と恐怖におびえながら抗うこともせず、今日もまた、ただ夜明けを待った太古のひとびとの哀しみと、その“美しく澄んだ目”とは、きっと共鳴しているのです。

同様に腹を膨らませた二極の人びとを乗せた、宇宙船地球号の豪華な広間では、餓死者を横目に今日も、夜ごと飽食のパーティーが催されます。そして、手つかずの料理が、惜しげもなく今日も捨てられます。スティーヴンソン著『ジーキル博士とハイド氏』には、高潔な紳士ジーキルが薬によって殺人事件まで引起すハイドに変身する人間の心にひそむ善と悪の闘いが、書かれています。残念ながらこの二重人格の所業に当たるのが、パーティーに出席している紳士・淑女たち。きっと、そのようなあり方すべてが、時空を超越した「絶対真理」つまり「神の目」には怪奇現象に映るのです。

 

飢餓の真因 

1991年、世界では18.8億トンの穀物(小麦・米・とうもろこし・大麦)が生産されています。1トンの穀物は年間6.7人を養えるとされていますから、理論上では140億以上の人びとを養うことができ、このほかにも果物や野菜・魚類・肉類など穀物に依存しない食物は沢山あります。いずれ地球は人口増ならびに食料生産の限界という未曾有の困難に遭遇するといわれています。けれども普通に考えたら現在、飢餓が存在するはずはありません。にもかかわらず、世界保健機関(WHO)の報告によると、現実には12億もの飢えた人々が存在します。以下にその理由を見ていきましょう。

1は、貧困です。

@ 米国農務省の推定によると、1998年に米国の全世帯の約12%が飢餓、または飢餓の瀬戸際、または飢餓の不安を抱えている状態にありました。また、 餓死者を多く出しているアフリカ・サハラ地方の国々およびインド・ブラジルも食糧を輸出しています。したがって、飢餓は食料不足によって起こるのではありません。世界最大の食糧生産国でかつ最富裕国の1つ、あのアメリカにも飢餓状態が存在する事実の中にその本質を見ることができます。A 凶作の年は、裕福な農民や商人が食料を買い占め、値段を吊り上げるので貧しい人たちは食べ物が買えずに飢えてしまうのです。B 次項で述べるように、貧しさが人口増を呼ぶのであって、人口増が飢餓の原因ではありません。C 第三世界のほとんどにおいて輸出が増加したとき、飢餓は減りませんでした。多数の自国民が、貧困のため食料を買えなかったからです。したがって、自由貿易が飢餓を救うというのは短絡に過ぎません。

2は、社会制度(分配・共生)の中に見られます。

たとえば、1972年の大凶作のとき国連食糧農業機関(FOA)事務局長がインド・サハラ諸国などの最悪の事態を回避するために要請したのは、800万〜1200万トンの小麦でした。小麦1200万トンは世界の総収穫量のわずか1%にもならない量です。また 、わが国には縄文時代から綿々と続く平等社会があって、共同体文化を生み、それが醸成され昇華して「共生」の文化が育ちました。その延長線上に、現在の「社会制度」がつくられたので、制度上餓死する人は1人もいません。このように飢えは適正な分配がなされれば、簡単に回避できるのです。

3は、搾取に由来します。

先進国に属するわれわれの朝・昼・晩の食べもの、下着にシャツにシーツなどすべては、第三世界の住民がわれわれに安く提供してくれたものです。「換金作物」と呼ばれるこれらの産品のために貧しい国は多くの時間と手間をとられ、広大な耕地を当てざるを得ません。

貧しい人々が食糧と原料を生産し、豊かな国に輸出するという現代の分業的農業の形態は、植民地時代からの名残です。今日では、この輸出入は合法な契約に基づいてなされています。が、しかし領主と農民あるいは地主と小作人の間に真の平等が成立しないのと同様、この契約の実体は搾取に近い代物です。また植民地時代の本国の政策は、分業的農業などすべてが搾取を目的としていたので、その見えない仕組みの残滓が、今でも搾取を可能にしているのです。この形を変えた搾取が続く限り、途上国が貧困から抜け出すことはほとんど不可能です。

デモクラシーの欠如  

貧乏人の「子だくさん」や貿易自由化の解放不足並びに、農業の近代化の未発展および勤勉の欠如などを飢餓の原因とする考えは、部分的・末梢的・日和見的なものです。また人口増が貧困を呼ぶという説も、現地の実態を知らない机上の空論に過ぎず、正しくは貧困が人口の増加をもたらしているのです。人口増加が環境破壊を促進するとの説も、一方的な思い込みにすぎません。近代農法に基づく大型機械の導入や大量生産方式の採用および、換金作物の生産に特化せざるを得ない分業的農業の仕組みの中にこそ、環境破壊の主犯は潜んでいるのですから。  

古代ギリシャでは、大きな富が少数の手に集中するのを拒否することを、デモクラシーと呼びました。そのデモクラシーの欠如が、貧困を生み飢餓を作り、結果として環境破壊をも促進しているのです。このように見てくると、搾取に結びつく資本の論理を先進国は途上国に押し付けてはなりません。絶対に。

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