GDPの正体

消費は美徳か

1776年は、アダム・スミスの『国富論』が出版され、アメリカが独立宣言した年でした。いうまでもなくアダム・スミスは経済学を学問としてまとめ上げることに成功した最初の学者であって、今でも彼の『国富論』は古典としての輝きを失っていません。『国富論』が出たときにはすでに産業革命は始まっており、イギリス国内では政治的自由を求める声が高まっていました。

このような情勢の中、ドイツをはじめ、フランス・デンマーク・イタリアで『国富論』は翻訳出版され、スミスの名声はいやがうえにも高まります。たとえば、ある政治家たちの集まりに、スミスが遅れて到着します。一同は起立してスミスを迎えます。スミスが「皆さん、どうぞご着席ください」というと、首相ピットは「いいえ、われわれはすべてあなたの生徒なのです」と答えたと伝えられています。

アダム・スミスは人びとが利己心にしたがって自由に行動すれば、その行動は「みえざる手」に導かれて調和していくと考えました。「みえざる手」とは、この経済を自動的に均衡させる需要と供給の相互作用のことですが、スミスにはこの働きが巧妙な神の摂理に映ったのでしょう

国民所得(GDP)を求める基本方程式は、

(T)「国民所得」=「消 費」+「投 資」 

のように示されます。したがって、式の右辺、消費と投資(「有効需要」と呼ばれる)が国民所得を決めます。しかし、私たちが経験するように、所得(月給)が増えれば、一般には消費のための支出も増えます。であれば、逆に所得の変化が消費を決めます。また右辺の投資に変化があれば、それ応じて所得が変化し、消費も変化します。このように所得・消費・投資は相互に影響し合います。

基本方程式には、このように経済理論のすべてが凝縮して集約されているといっても過言ではありません。しかし以後、分かりやすくするために、基本方程式を単純化(算数的)して話しを進めていきます。

倹約のパラドックス  式を見れば分かるように人びとが節約すれば、「消費」が減少し、「国民所得」も減少します。みんなが節約して、貯蓄に励むとみんな貧しくなるのです。このことを「倹約のパラドックス」といいます。

消費は美徳  逆に、みんなが貯蓄を食い潰して消費に向ければ、式の右辺の「消費」と左辺の「国民所得」が共に増えるので、みんな豊かになります。「消費は美徳」とはこの意味です。

次に、式の右辺「投資」について考えてみましょう。たとえば運送業者がトラックを購入(投資)します。トラックは数年後には使用に耐えられなくなり償却・廃棄されます。つまり時間をかけて消費されるものを、経済学では投資と呼んでいるのです。このように考えれば、投資は消費の仮の姿ですから、結局式T

(U) 国民所得』=『消 費』 

に書き換えることができます。(以後、この意味を込めて『所得』『消費』を使います)。

資本主義経済は、more and moreを追求し、それを善とする経済制度ですが、それを達成するためには、私たちはせっせと『消費』に励む必要があるのです。『消費』は、基本的には限りある資源の食い潰し、この貴重な資源を食い潰さない限り、私たちは幸福が得られません。式はこのことを教えてくれます。

病気が福の神? 

GDP(国民所得)概念は、ノーベル賞を受賞したサイモン・クズネッツにより発見されました。GDPは1国の1定期間の富の総量、つまり『消費』を表す指標です。したがって、猛毒ダイオキシンや農薬の使用はGDPを増やします。これらの物質はまた、病気を作り、それは医療費の支払いを増やし、GDPに加えられます。貧富の差が広がれば、犯罪が増えます。すると行政側はセキュリティ予算を増やし、富裕層は民間警備会社に身の安全をゆだね、その対価を支払います。過当競争や弱肉強食の文明が深化すれば、トラブルが多発して弁護士の仕事も増えるでしょう。これらの医療費・警備費・弁護士費用・行政支出の増加は、いずれもGDPに加算されます。

このようにしてGDPが増えれば、ゴミの量も増えます。青森・岩手の県境に国内最大級の産廃不法投棄現場があり、87万立方メートルの廃棄物の撤去作業が進んでいます。費用は約660億円に上る見込みです。これらもGDPに加えられます。GDPの増加はまた、豊かさ症候群の1つ、肥満・高血圧・糖尿病の増加を招きます。その結果として、財政支出と個人の医療費が膨らみますが、これもGDPを増やします。

一方、家事労働はGDPに含まれません。ただし家政婦が同じ労働をすると含まれます。ボランティア活動はGDPに含まれませんが、同じ仕事を業者が請け負えばGDPに含まれます。このように見てくると、支払いを伴うもののみがGDPにカウントされ、内容の善悪は問われません。

したがって、単にGDPへの寄与という立場に立てば、病気・ゴミ・犯罪の増加ならびに温暖化・砂漠化・森林破壊・大気汚染などの環境破壊は喜ぶべき福の神に当たります。それらは支払いを伴い、GDPを増やすからです。これがGDPの正体です。私たちが求めているものは幸せであって、けっして数量の大きさではないはずですが―。

狂った豚

「エコジカル・フットプリント」とは、「自然に対する人間の影響の総量」(『成長の限界人類の選択』)であり、もうすでに2000年時点で、人類は地球の限界を20%超えています。この事実から、目をそらしている主流経済学の理論は砂上の楼閣に過ぎません。にもかかわらず、私たちは官民挙げてGDPの増加(=『消費』の増加)を希っていますが、それは式(U)で見たように、限りある地球資源を食い潰す行為のほかならず、宇宙船地球号の沈没を速めます。

アポロ14号の飛行士エド・ミッチェルは宇宙船から俯瞰して、エゴ・欲望・憎しみ・恐怖などにとらわれて生きている現実の人間の浅ましさを知りました。そして、欲望にとり憑かれている摩訶不思議な人間の行為を―それは狂った豚の群れが暴走して崖の上から海に飛び込んでいくような行動。集団自殺しつつあることすら人間は気が付かない狂気―と、語っています。人間はきっと甘美な「悪魔のささやき」の虜になっているのか、GDP教祖の呪術にかかっているのです。

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