![]()
花開いた受容文化
日本人が始めて文書によって歴史に登場するのは、紀元前1世紀ごろの日本列島の様子を述べた『漢書』地理志によります。「楽浪の海の中に倭人有り、分かれて百余の国を為し、歳時を以って来たりて献見すると云う」と、地理志には記されてあります。倭人とは日本人の古い呼び名で、低い人、おとなしい人を意味するといわれています。倭人は、(楽浪の海の中)朝鮮半島の南部から北九州かけて住んでいました。
中国の文献によると107年倭国王が後漢に朝貢している。147年には倭国が大乱し、239年邪馬台国女王卑弥呼が魏に使いを送り、このとき、卑弥呼は親魏倭王の印綬を受けます。その後413年から478年の間、倭の五王、賛・珍・済・興・武が遣使を送っている。さらに時代が下って630年に遣唐使を送り始め、838年まで13回続きます。
この遣唐使は、最盛期には大使以下の役人や船の乗組員を含め、4隻あわせて500人もの大所帯でした。中国は中華、つまり世界の中心思想を持っていましたから、対等貿易を許しませんでした。貢物を日本が持っていくと、中国はその数倍の下賜品を恵んでくれるわけです。749年以降、日本で砂金が採れ貿易の中身が変わります。これに比例して中国皇帝からの下賜品は、質量とも以前とは比べものにならないほど大きくなります。
この文明品の流入が天平文化を生みます。砂金発見以後は、留学僧・留学生も増えたと思われ、彼らは経典や仏像・仏画・仏具・儒学の典籍を大量に持ち帰ります。空海は留学年数を節約し、その分を大量の経典などの購入に当てました。日本人のこの学び好きは、現在の日本文化に深くかかわっています。
日本人ほど異質な文化を多様に吸収した国は、ほかにありません。しかもそれを日本流に変形して受け入れています。一般に、大陸から半島を経て島に移動する方向で動物相は小型化し、複雑化して逆方向への移動は、ほとんどないといわれています。文明もまた、中国大陸から朝鮮半島を経てほとんど一方的に日本に流れ込みました。そして、それはこの島の中で小型化し、複雑化してさらに変容していきます。
菅原道真が廃止を進言して、遣唐使を止めてしまうと、そこから日本独特のカタカナとひらがなが創造されます。カタカナは漢字の一部をとって生かして、音を表すためだけに使う文字。ひらがなの場合は、漢字全体を崩して、同じく1字1音にして使います。これが花咲いて『源氏物語』まで生みます。この『源氏物語』や『伊勢物語』といった王朝の恋愛小説は、世界でもっとも早く書かれたものだといわれています。
このように当時から日本人は、他文明を大量に受け入れて、最初はまねをします。その後発酵の期間を置いたのち、独自のものを生み出します。これを第二の創造と私は名づけたいと思いますが、今日の経済大国・科学大国へ通じる「種籾」は、すでにここに用意されてあったのです。
救世主の素質
共同体の利益と個人の利益のいずれかを二者択一で選択するとき、日本人は集団の利益を優先します。共同体が栄えてこそ、自分の利益も最大になるという確信に支えられているからです。その場合、@自分も共同体の一員として参加すること(参加)、A利益が還元される仕組みがあること(合意)、B分配について信頼性があること(性善説)などの前提がなければなりません。つまり、これは「共生の思想」に集約されます。
すでに見てきたように、この国は古くから受容文化でしたから、当時の文明人が半島からぞくぞく渡来してきます。日本人の「和」は稲作のためばかりでなく、渡来人とのかかわりのためにも必要とされていたのではないでしょうか。聖徳太子の十七条憲法に「和」が記されているから日本人は平和を尊ぶ国民だといわれていますが、実情は「和」を声高にいわなければならない必然性があったとも考えられます。ともかく、当時日本は多民族列島でした。日本文化の特徴は、この民族の多様性にも原因の一端があると思われます。
地理的な位置・島国・自然環境などの面で、昔から日本は色々なものが入りやすく、出にくいために文化の吹きだまりともいわれてきました。さまざまな時代に、さまざまな文化が終着駅日本に流れ込み、それらが重なり合い融合している日本は、世界の縮図でミニワールドです。加えて、日本には中華思想がなく、異文化を取り入れる柔軟さがあります。たとえば、フランス科学庁日本支部長のジャン・フランソワ・サブレは「フランス人にとっては文化も文学もすでにできてしまったものなんです。でも日本は何でもこれから。新しい文化をいつも生み出そうとしている。それは外に開かれているということですね」といっています。
また、日本人はすでに見てきたように、自己抑制ができます。自己を主張する前に、他との調和を先ず考えます。過度の個人主義・自由主義が日本にはありません。おそらく予想される新文明は、欲望を抑制する文明です。「自由のパラドクス」が起きない日本文化は新文明の創生に一番適合します。
これらに加えて、経済的能力・人的適性性・技術力などを総合するとき、救世主としての特性をいずれの国にも増して日本人は持っています。したがって、地球環境保全という目標に向かって、最良な方法・手段を選択し、共通意識を持って国民全体がみんないっしょで参加できます。機が熟したら、それは目標に向かって突っ走る可能性さえ秘めています。
(おことわり)
アインシュタインは、1922年に日本を訪れ、帰国に際し朝日新聞に謝辞と希望を寄せ、「地球上にも、まだ日本国民の如く……謙虚にして且つ実篤の国民が存在していることを自覚した」と感想を述べました。しかしいま、日本は格差社会に突入している上、自殺率・がん患者率もトップです。この事実はアインシュタインを嘆かせ、また筆者が書いてきた内容とは異なります。しかし文化は簡単には変容しません。その立場で書きました。
トップページへ戻る