マネー生態系 命よりマネー
【あらすじ】
自分の行いに責任を持つのは当たり前なのに、やたらにその自己責任原則を強調して、タバコを売りまくり喫煙者や発展途上国の若者を死に追いやっている財務官僚。その異常とも思える考えを支持する裁判所、マネー計算にいそがしい国会、これがわが国の形です。
このありようは、なりふりかまわず利益を追い求めるアメリカのタバコ会社の考え方となんら異なりません。
繰り返しますが、つい最近まで日本は、平等社会、弱い者に暖かいまなざしを向ける社会、平和にみちた社会でした。このままでいいのか、諸君が決めてください。
喫煙と疾患
「人間は死ぬのではなく、自殺するのだ」と、古代ローマの鉄人セネカはいっていますが、「緩慢な自殺」を促し、あるいは「緩慢な他殺」を引き起こす行いの背後には、「喫煙」が深く関わっています。
企業間戦争の最中、タバコ会社はあらゆる手段を使って利益の増加をはかります。たとえば、アメリカ・ウィンストンの宣伝マンだったデービット・ゴーリッツは次のように告白しました。「たばこ会社の幹部と話した時、そのうちの一人が『あんなものは吸わない』といったのでその理由をたずねると、彼は『われわれは売るだけだ。若者や貧しい人、ブラック、そして馬鹿な奴に買わせるのだ』と答えました」(伊佐山芳郎著『現代たばこ戦争』)。
この話の中には、人種差別と人間差別ならびに弱肉強食の弱点があからさまに見られます。これがタバコ会社の実態であり、そこには化けそこねたタヌキのシッポ、「命よりマネー」の正体がはっきりとあらわれています。
喫煙により発症すると考えられる疾患を喫煙関連疾患と呼びます。喫煙関連疾患の主なものは9つに分けられ、そのうちがんは、さらに口腔がん・喉頭がん・咽頭がん、などに細分されます。たとえば、たばこを吸うと肺がんや喉頭がん・心筋梗塞・狭心症などにかかりやすく、非喫煙者と比較した喫煙者の死亡率(非喫煙者を1として)は、喉頭がん32.5倍、肺がん4.5倍、口腔・咽頭がん3.0倍、食道がん2.2倍であり、毎日の喫煙本数が50本を超える人の肺がんになる率は実に15倍です。
また、タバコを1本吸うごとに寿命が5分30秒短縮されているといわれています。1日20本吸う人なら、1日で2時間弱、1年間で約1か月分も寿命が短縮されることになります。
非喫煙者が他人のタバコの煙を吸ってしまうことを、受動喫煙(間接喫煙)といいます。タバコの煙には喫煙者が吸い込む主流煙とタバコの点火部分から立ち上がる副流煙があり、副流煙は主流煙に比べタール・ニコチン・一酸化炭素などの有害物質が数倍多く含まれています。そのため、喫煙者の妻の肺ガン死亡率や3歳児のぜんそく様気管支炎率は、タバコを吸わない場合に比べて約2倍も高くなっています。
喫煙が「緩慢な他殺」といわれるゆえんです。
亡国の兆し
2003年5月、WHO(世界保健機構)総会で「タバコ規制枠組み条約」が採決され、その席上医師経験のあるブルントラン事務局長は「私は本日、はっきりとタバコは人ごろしであると言明する――」。とかたい決意をのべました。
ずっとタバコ後進国といわれていた日本も、その条約を受けてようやく2005年7月から「喫煙は肺ガンの原因になります」など8種類の文言を指定し、表示させることにしています。
伊佐山芳郎によると今、JTの株式の70%以上を財務大臣が所有し、財務官僚のおいしい天下り先になっています。日本は世界で唯一、タバコを減らすことに反対してきました。なぜでしょうか。勉強秀才、財務官僚の反対理由を推測すると、1つは自己責任原則に基づいていると思われます。
世界の国々やWHOでは、国民の命を守ることが最優先されています。にもかかわらず、「人殺しに遭うのも本人の自己責任だ」という考えは、はなはだしい時代おくれであるばかりか、真理に背を向けています。さらに自己責任原則を主張するのであれば、少年にも自己責任を十分に果たせる理性が備わっているとの前提が必要ですが、その根拠に正当性はありません。勉強秀才たちは二重に誤りを犯しています。
反対理由の2つ目は 、財政収入の確保にあると思われます。だがそのためなら、国民や発展途上国(輸出しているから)の若者を死に追いやってもかまわない。という考えは「狭量」の域を超えて、「異常」であり、「命よりマネー」というカルト教団の熱心な信者の態様です。それでも、もし財政収入がプラスになるのであれば、愛国心がありすぎたために生じた勇み足かも知れず、その心意気は、理解できます。
ところが、「タバコ問題首都圏協議会」によれば、喫煙によるタバコ損失は年間7兆4000億円で、タバコ税収2兆2千億円をはるかに超えていますから、論理が成立しません。ならば、天下り先の確保が目的?ではと、背筋に冷たいものが走ります。
さて、1999年のタバコ増税騒動の際、与・野党を問わず「国民の命」についての論議はまったくなく、国会は増税が経済に及ぼす影響などのソロバン勘定にのみに終始しました。また、2003年10月21日、東京地方裁判所は「タバコの製造販売は違法ではない」との判決を下しました。まるで政府のちょうちん持ち、古い考えによる判決でした。
「喫煙は本人の意思や努力で禁煙できるのだから、結果は自らが負うべきだ」という自己責任原則の考えです。だが、この考えを広げていくと、麻薬の害などもみな自己責任原則に当たることになってしまいます。
すでに見てきたように、あの「自己責任原則」の本場アメリカでさえも、当たり前ですが命を一番大事にしています。判決はそのような世界の流れにも逆らっています。
上に見たように裁判所も政府も国会も、つまりわが国そのものが丸ごとマネー中心社会のうずに巻き込まれてしまっているのです。そして、いつの間にか、「命」さえも「マネー」より下になっていたのですね。正常な状態にあれば、「命」は百倍も千倍も「マネー」に勝るとだれでも考えるはずです。というより、「命」と「マネー」を同じ土俵に上げること自体に、論理矛盾(筋道の誤り・否定)があることに気がつくはずでした。しかし--------日本人はみなマネーにひれ伏すマネーのドレイになっているのです。
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