☆バイク
HONDA MB50(MB−5)
所有期間は高校2年から大学1年まで。
生まれて始めて自分の所有としたバイクは原付でした。
しかも、ふざけた事に何も勉強していなかったもんだから一回試験に落ちるし(爆笑)
このバイク、確か近所の人が店に下取りに出した奴を中古で購入した物で、
確か1万(大爆笑)で購入したはずです。
この頃はみんな新しいバイクしか買わないんだよなぁ。
中古のバイク(特に原付)の中古なんて二束三文だから。
んで、MB−50です。
この時僕が購入した時の正式名称は「MB−5」だった筈です。
初期の頃は「MB−5(8)」、後期(つまりMBX50Fが出る前)は「MB−50(80)」
といった具合に。
スペックは詳しい説明をしているサイトがあるんで省きますが、
こいつは、人に言わせると「非常にピーキーだったんだそうです。
が、所有していた本人は分かりませんでした。
だって「まっとうに所有した第一号の乗り物」なんですから、
「こんな物なのかなぁ」と思えば「ピーキー」とも思いません(笑)
でもまぁ、パワーはそれなりに有りまして、車の流れにすんなりついていけました。
・・・・・って50ccでそんな事しちゃいけませんって(笑)<時効だから良いでしょう(笑)<をい(笑)
まぁ、原付免許を取るまでは山の中でカブ走らせていたんで、
おおっぴらに道を走れるのは良い事です。
・・・・・だから、どんな人生を歩んできたの?<まぁ、私も若かった、という事で(笑)<(汗)
でもこのバイク、うるさいって事で家族には非常に不評でしたね。
家族は皆、「バイクは危ない」という事で、原付を取るのをあまり快く思っていませんでした。
じゃあ山の中でカブ乗り回しって・・・・(以下略)
みんながRZ50とかRG50γとかMBX50Fとかの時にまぁMB−50な訳なんですが
ほれ、町乗りはかならいいーかげんな扱いだったもんで、やっぱり空冷のほうが
私にはよかったみたいです。
分解する時にクーラント抜かなくても良いし(笑)
また、この頃はレースに使うバイクには注意を払っても、待ち乗りには全く注意を払わない(笑)
ってんで沢山のコケ歴を作りました。
中でも一番情けないのは交差点のど真ん中で単独でコケた事(笑)
発進と同時にアクセルワイヤーがどこかに引っかかったらしく、
全開状態になったままコケました。
一部始終を見た後輩は
「暴れるバイクにしがみついていた・・・。」
との事です。
とある大雪の翌日、アイスバーンに出くわしてしまい。
180度ターンを経験しました。
いや、スピードは全然出ていなかったんで、事故にはならなかったんですけれどね。
相当恥ずかしい状態ではあったなぁ。
後、このバイクで始めてポート研磨って奴をしましてね。
見事に失敗してピストンのスカート齧るし(笑)
これ以来、エンジンそのものはあまりいじりませんでしたね。
まぁ、このバイク以前、以降もポート研磨はしていたんですが、
それらはどちらかというと段差を減らすとかの研磨だったから
割と控えめに磨いたんですけれどね。
MB−5は「ガリガリ」と削ったんですな(笑)
でも、ポート研磨失敗してもそのまま乗っていたな(笑)
これが最後にはNS500を試乗する人間になるとは
本人も思いませんでした。ホント。
実車は友人がレースで使う、という事で譲りました。
多分今ごろは廃車扱いになっていると思います。
HONDA MVX250F
所有期間は大学2年から22歳まで、
つうか、現時点では二輪の所有履歴はここで終わっています。
これ以降、欲しいって思うバイクがまじめな話、ありません。
しかし、なんでまたMVX250Fなんでしょう?(笑)
まぁ、別の意味でアクは強かったな、確かに(笑)
アニキに強制的に知人のバイトに行かされて、そのバイト代で
購入したのがきっかけです。
確か諸経費込みで20万ちょっとくらい。
本当はトリコロールカラーが欲しかったんだけれども、
どうしても見つからなかったんで、黒のMVXを購入しました。
購入動機はまず「誰も乗っていないから」(笑)
俺、基本的に「流行っているから」という理由では物を買わないんです。
それに車やバイクって嫌なタイプの運転をしている人を見ると、
そのバイクや車まで嫌いになるって所、有ると思うんですよ。
ちょうど僕がそのタイプでね。
車に至っても、トヨタや日産、BMWやベンツは駄目でしてね。
日本車でスッと「この車にしようか」って思ったのが
スズキやダイハツ、スバル、百歩譲ってホンダでしたね。
まま、他にも「ペリカン・ロード」って漫画があって。
その主人公が乗っていたバイクがMVX250Fって所でね。
まだナーバスなバイクって言うのに惹かれたというのがあります。
実際の所、本当にナーバス(笑)
3気筒で走っている時よりも2気筒のバイクとして走っている事が多かったです。
ともかく真ん中のシリンダーがすぐ点火不良になって、
日頃から予備の点火プラグが必要でした。
いろいろとトラブルが発生するので、整備マニュアルを取り寄せたくらいです。
でも不思議に悪態は吐かなかったような覚えがあります。
車体周りはVTを流用していた所が多かったので小さ目でしたから、
街乗りは比較的楽でしたし、
3気筒ある分、2スト特有のピーキーさはあまり無かったですね。
何よりも、運転が面白かった。
このバイク、うまくアクセルやブレーキを使わないときれいに曲がらないんです。
いわゆるトランクションをコントロールするって奴。
たとえば、前輪に荷重を掛けながらコーナーに入っていて、スパンと倒すところまでは
多分だれでもいけるんだけれども、その後にきっちりアクセルを開けていかないと
全く曲がらない、つまり寝ている癖してドアンダーって感じですね。
そういう意味ではかなりレース用バイクに近い部分がありました。
でもその時代は馬力が云々って頃だったからほとんど売れなかったと思います。
確かMVX250Fが40馬力、その直後に出たRZ250Rが43馬力、RG250Γが45馬力。
その差ってそれほどではないのだけれども、それでもマイナスポイントだった。
ましてやハンドリングナーバス、フロントブレーキの効きがわるいとなると・・・。
このバイクは、公道で走るバイクとしては、最初に購入し、そして最後のバイクになってしまいました。
僕が事故起こして、一時的にバイクに乗るのが苦痛(つまり恐くて乗れない)時期が有ったんですが、
その頃に、大学から帰ってくると、無くなってしまっていました。
親父が勝手に捨てちゃったんですね。
んで、他のバイクも考えたんですけれど、どうにも欲しいバイクが無いのと、
車と維持費を両立できないので、それ以来はバイクに乗っていません。
それに排気ガスの問題で日本のバイクから2ストが消えてしまう事になっちゃうんですけれど、
そうなると欲しいバイクはさらに無くなっちゃうんですね。
バイクが面白い時期って80年代だったと思うんですよ。
まさしく鉄騎だった頃。
形だけのレプリカとかでもアメリカンでもオールドティストでもなく明らかに存在していたバイク。
そういうバイクならば今でも買っても良いな、とは思いますが。
☆車
TOYOTA CELICA LB 1800−ST EFI
(この画像はインターネットを放浪していてやっと見つけた同形式車)
兄弟のお下がり車
改造をむちゃくちゃしました。
オヤジにむちゃくちゃ怒られました(笑)
うんと、アニキが結婚した頃に車乗り換えて、その車がアネキにお下がりで来て、
さらにそのアネキが結婚して、さらにお下がりの車(笑)
つまり、我が家では唯一兄弟三人が乗り回したという曰く付きの車
(まぁ、今のアニキにもアネキにも今の俺のレガシイを運転する豪気さは無いといいきれる)
んで、そうなると、逆算すると、俺がレガシイに乗り換えたのが平成元年の末だったから、
その時にこのセリカが車検が切れてしまった(昔は新車登録時より10年以上立つと強制的に1年ごとに車検を受けないといけなかった)
ので大体昭和52年くらいに我が家にきたはず。(この辺りかなりいいかげん)
この車は名車の誉れ高い初代セリカの次のセリカのマイナーチェンジ版
2代目のセリカって非常に不人気で、よく初代を「ダルマセリカ」と愛情込めていわれるのに対し
「ゴキブリセリカ」という有りがたくない名前を頂戴してしまっていた。
マイナーチェンジ前は丸目4灯だったんだけれども、マイナー後は角目4灯に変更されて、
若干精悍さを持たせたが、やっぱり不人気であった。
馬力もそうだったんだけれども、今見ても重たそうですね。
#海外では熱狂的なファンがいるらしく、このセリカだけのホームページも有るんだけれども
俺のところに下がってきた時は、アネキが嫁にいった頃だったから
確か7年目、かなりくたびれていたはず。
でも俺のところに回ってきた、という事はもう誰も乗らない。
つう事で、この車はかなり悲惨な目に有っている。
自損事故3回、物損事故2回、盗まれる事1回(笑)、人をひき殺しそうになる事1回(汗)
この辺りの話は今でこそ笑えるが、当時は真っ青になる事ばかりで、
親父が知っているのはこの中で3件だけである(苦笑)
そのうちに気が向いたら書きますけれど、もう昔の事だから
いつの頃かも思い出せないだろうなぁ。
エンジンをいじくり倒したのもかなり酷い。
最初からつんでいたエンジンを一回ぶち壊して、エンジンを載せかえる事2回
(車屋談:オートマのくるまでどうやったらエンジン壊せるの?)
その中の一回は「シボレーの7リッターはあろうかというエンジン」を無理矢理載せた(爆笑)
無論収まらないので、ボンネットからエアインテークーは突き出すわ、
ラジエターは干渉して元の位置に収まらないから、位置は変えるわで大騒ぎだった。
しかし7リッターのエンジンは非常に強力で、
「直線ならばソアラにもスープラにもZにも負けない」のだが
止まる事ができず。すぐにブレーキパッドを焼いた(滝汗)
さすがに命が幾つ有っても足りないので、しばらくして元に戻したが・・・。
また、この頃はカーオーディオが大流行した頃で
おれもご多忙にもれずハマッていた。
最初はパイオニアのロンサムカーボーイ、次にSONYのエルゴデザイン
最後にJVCのマルチスピーカーシステムを塔載した。
しかし、すればするほど、面白くなくなったので、途中で止めてしまった。
ちなみにJVCのコンポ部分はレガシィに搭載されつづけている。
ただ、いまだにロンサムカーボーイの音の良さは記憶している。
確かFMでサミー・ヘイガーの「オーバー・ザ・トップ」を聞いた時に
「FMってこんなに良い音するんだ。」と思って感動した事を覚えている。
その後にいろんなコンポを聞いたけれど、FMであそこまで良い音をしている
車やコンポには出会えていない。
あれはなんだったんだろうね。
CDやMDならきれいな音は出るんだけれども、
迫力のある、パンチのあるカーコンポには出会えていない。
この車は、俺の迫害にもめげず、天寿を全うして廃車と相成った。
というか、この車もおれが帰ってきたら無くなっていたんだな(笑)
SUBARU LEGACY RS Type RA (Ver.B)
(つい先ほどデジカメでとった映像、夜にしたのは汚れが目立たないから(汗))
自分がどうしても欲しくて購入した車。
現時点まで、期待を裏切らずに稼働中。
しかし、こいつを購入できたきっかけは
親父をだまくらかしたからである。
現在はチャイルドシート常備。
だが、エアコンの壊れた車に赤ん坊は乗せへんでしょ?(爆笑)
☆さて・・・・
次の乗り物は何にしよう・・・?
無かったりして(笑)