最近表のコンテンツって文章だけで写真を掲載していないでしょ?
実はデジカメが放置プレイ状態なんですよ(苦笑)
っていうか、手抜きですな、ごめんなさい(ぺこり)

んで、文章も材料(メーリングリストや書物)をまともに見てないなら
無論、書く事なんか出来ません。
この所「ダーク」でも「お気楽」でもない中途半端な文章が続いたのは
そのせいですね。
ここでは「書きたくない時は書かない」って言っておきながら、
やはり心の奥底では「いい加減に更新しなきゃ」って、
思っていたんだと思います。

さらに、会社(まぁ、サラリーマンですから)報告書の類を書くんですが、
注意を受けたりしてね(苦笑)。
いや、リーダーの言う事はまったく文句は無くて、おっしゃる通りなんですが、
うまく自分の実績を表現する手法を、多分どこかに置き忘れたんだな。
物を書くジレンマみたいな物には常々悩まされています。
(注意:お願いだから会社では不問にしてちょ>関係者各位)

いろんな事を書きたいのに欠けているので書けない。
だからちょっと今日は視点を変えました。

僕は元々はものすごい筆無精です。
理由は、知っている人はみんな知っているんだけれども、ものすごい乱筆なんですね。
字が汚い、漢字をまるで知らない、平気で当て字はする。
つまり、自分で読むのも苦痛な文章しか書けないんです。
人に見せるのが恥ずかしい文章しか書けないのでしたら、やっぱりあまり書きませんよね。
そのため筆記用具で文字を書く事にはかなりの抵抗が有るみたいです。
でも、もっと抵抗が有るのがMS-Wordで文章を書く事なんですが(爆笑)
せめて一太郎Liteでまからんでしょうか?(苦笑)

僕がこんな風に文章を書く様になったのはPC通信を知ってからです。
PCでテキストを書く、という行為は、僕にとっては非常に都合が良かった。
字の汚さを意識しなくて済むし、漢字を知らなくても書く事が出来る。
当て字をする事もほとんど無い。
しかし、これは実はWX2という性能の良いFEPが有ってこそ、と
今になって思います。
MS-IMEになってからは自分でも「う゛」って思う変換をしますから(笑)
あ、でも助詞を間違えたりしているのは本人のスカタンです。
そこまでMS-IMEのせいにするつもりはありません。
文章をしくじっても全部消す必要は無い。
明らかに「文章作成の能力」に欠けている僕にとっては、
福音のように思いました。

インターネットが一般化する前は
個人のBBS(草の根BBSと呼んでいました)が華やかな頃でして、
僕は沢山のBBSに出入りして、駄文を沢山書いていました。
丁度今のように。
という事は私はまったく進化していない、という事ですな(笑)

所で、駄文を書くのもちょっと極端過ぎて、
一日に何百と書く事もありました。
但し、これって全部が内容のある文章じゃ無くて、
例えば新しいメンバーがBBSに入ってきた時に
「よろしくねー」って書いてあるだけとか、
「だれだれさんの意見に一票」という、
おおよそ文章とはかけ離れた・・・そう、
今のiモードでやり取りしている文章に近いんですよね。
本人は「(自分が書きたいと思う文章とは)ちょっと違うな」と思い始めてきました。

自分がしたいと思う事と違ってくると熱はさめる物です。
その時に一度PCをぶち壊してしまったので、
それを境にPC通信とは一時的に疎遠になってしまいました。
また、この時に他のBBSでの対人のトラブルに立て続けで首を突っ込んでしまった、
というのもあります。
また、悔しい事に自分が渦中ではなかったのに首を突っ込んでしまいました。
この時の事が仕事にも影響を出した事もあったので、その頃から草の根BBSとは
疎遠になってしまいました。

多分同時期ぐらいだったと思うのですが、この頃にゲームセンターで鉄拳2という
対戦格闘ゲームが流行しまして、
その時にその話題が一番多いのはどこだ?そりゃNifty-Serveだ、ってんで
Nifty-Serveに出入りする様になりました。
何回かオフミ(オフラインミーティング)にも行きました。
ただ、他人達の楽しみ方と私のそれとは「少し違うな」という違和感を抱いたのもこの時でした。
ただ、その「違和感」は一部の会議室ではまったく無くて、そこに安住の地を見つけた気持ちには
なりましたが。

但し、ここでも沢山のトラブルに出会いました。
特にある一件では何人かの職を失ったかもしれないほどの失敗をしでかし、
以降は書く事に恐怖を覚えた時期も有りました。

現在ではNifty-Serveという名称も過去の物になりました。
書く人もまばらになり、残るのは過去の資産だけです。
実はこの「資産」こそが現在では得難い物なのですが。

息子が生まれ、それを機にこのページを立ち上げたんですが、
その時に同時に、「書きたいなぁ」って思ったんです。これは以前からも書いている通り。
でも未だに「何を書きたいのか?」と問われると、恥ずかしい事に返事できません。

ただ、最近書物を読んで知ったんですが「書く」という行為は今の所「人間のみ」が持つ
表現手段なんだそうです。
そういう事で文章を書く事は「自分の思った事を文章で表現する練習」である、と
考えておく事にしました。

いろんなホームページに出入りして、「この人の文章は読みやすい」とか
「この人の文章は読みづらい」というのが良くあります。
多分に僕の文章は読みづらい部類に入る筈です(笑)
まぁ、「書かされる文章」については多分にまだまだ沢山の努力をしないと
まっとうな文章は書けないと思うんですが、
せめて「自分の書きたい文章」はうまく表現できるようになりたい物ですな。
 
 

そう言えば、文章からみの事を書いたので、もう一つ。
僕に珍しい芸能関係に近い話なんですが、
現在盗作疑惑で持ち切りの某女流作家Tさんのお話です。

彼女の存在を知ったのは、実は東海村の原子力事故の時にその会社に勤めていた
社員とのメールでのやり取りをWEBで読んだ時です。
少なくともこの文章は(というよりは「元社員」の方の受け答えは)私の
知りたい事を書いていらっしゃって、非常に貴重な文章であったと感じました。

その時から、作家Tさんの文章をWEBで読むようになったのです。
でも実は当初は面白く読んでいたのですが、途中からあまり読まなくなりました。
これは「盗作疑惑」が噴出する以前の話なので、「盗作しているから読まない」
という事ではないのです。

当初は視線が私たちにかなり誓いレベルの文章なので、うなずいたりする事も
多く、面白く読んでいました。
ただ、Tさんのエッセイが「兄弟、父親」の話になると、どうも気に障ります。
どうも見下した文章になりがちだったからなんです。
(Tさんの兄や父が書いている通りの人ならば、確かに問題なのですが)
それでも「肉親を書く文章ではないなぁ」と思いました。
その文章から、Tさんのエッセイからは疎遠になったのですが・・・。
 

あるメールマガジンでTさんの事を評するに
「書くということは、なにかとっても特別な職業だと、
だから作家は許されるべきだとTさんが思っていらっしゃるようだ」
というのを聞きました。
ちょっと首をかしげます。
「書く」という行為は人間固有の行動であるならば、
「書く」行為は別に特別な作業では無い筈です。
 

「書く」という行為は「自分を表現する事」と僕は考えます。
カウンセラーが、被験者に日記や感想文を書いてもらうというのは
まさしく「自分を表現してもらう」に他なりません。
カウンセリングの場合「自分の心情を自覚してもらう」という狙いが有るそうです。
つまらぬ事しか考えていない人にはつまらない文章しか書けないでしょうし、
日頃からいろいろな事を考え、思考の海にひたる人ならば、
評論家も驚く文章を書く事だってあるでしょう。

作家はまさしく「自己を表現する人達」という事になるんでしょうが、
あえて言えば「他人の独り言にどれだけの価値がある?」とも言えます。
逆説的に言えば、僕の文章も人には何の価値も無い筈です。

僕自身は創作の小説は殆ど読みません。
実際の所、沢山のレポートを読みますが、創作小説は殆ど読みません。
ま、最近ではこんな所でしょうか(苦笑)
但し、最近になって刊行された広瀬隆の「カルロ橋の1ユーロ」はにやりとしましたが。
自分の精神行為に何らかのアクション(それがネガティブであれポジティブであれ)
例えば読んでいる時に面白いと感じたり、少し考え込んだり、悲しんだり、
反省したり、感情を揺さぶる物であるべきだと思うんです。
そういう物を起こさない小説は私にとってはあまり意味が有るとは思えません。

最悪なのは「読者との共感」を求める小説です。
読者が「うんうん」とうなずいて終わる小説に何の意味がある?
はっきり言ってしまえばTさんの現在の著作は、まさしく「読者に共感を求める」
タイプの小説なんで好きではありません。
考えるにこれが「癒し」という物なのかもしれません。

書き物として読み手に何らかのアクションを起こせない文章はあまり良いとは思えません。
「Power Of Words」という言葉があります。
子供の言葉にがんばるお父さん、お母さんがいます。
両親の言葉に救われる子供がいます。
言葉には力があると思います。
だから「書く」事を生業とするならば、
読者にその文章を以ってパワーを与えて欲しいと思うのですが・・・。
 
 

僕が作家として敬愛する人に城山三郎氏がいらっしゃるんですが、
この人は殆ど創作の小説は書きません。
必ずといって良いほど実在の人物をモデルにして、小説を書きます。
「こういう生き方が有るんだよ」という事なのだそうです。

また、瀬戸内寂聴氏も忘れたくありません。
氏は御年を召していらっしゃるにも関わらず、非常に行動的な方です。

つうか、
緒方貞子氏も見るにつけ、今の日本でエネルギッシュな人は
バアサン(NOTオバサン)」しかいないんじゃないか?
そう思ったりします(苦笑)
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2002/03/06