僕はスポーツとしてはラグビーとモータースポーツしか知りません。
但、僕はこの二つのスポーツを経験した事を誇りに思っています。

ラグビーの選手の殆どが好きな人達ばかりです。
彼等の多くはその風貌に似合わず非常に知性的な人達ばかりです。
多分、ラグビーは他のスポーツに比べて著しく儲かりませんし、
引退後は解説とかでメシを食えるほど需要が有りませんから
皆「第二の人生」を意識しているんでしょう。

モータースポーツは正直に言えば「ハンディが公式に認められているスポーツ」です。
良いマシン、良いタイヤ、良いチーム、全てがそろわないと勝利におぼつけません。
それを承知で没頭して、一度人生を踏み外しています(笑)それでも後悔していません。
たいしたライダーではなかったけれどそれでも「好きです」といってくれる人達が居たからです。
でもみんな小学生だったんだけれどね(笑)

僕はサッカーや野球のプレイヤーを少し蔑視している所がありました。
一つはファンに支えられている部分が多くあるのに関わらず、それを軽視する人達が多い事
彼等の名声は、当然彼等の実力の上に成り立つのでしょうが、
彼等の収入を支えているのは多くのファンで有る事を忘れているような気がします。
また、プレイヤーの何人かの振る舞いがあまりにも見苦しい物だったりするからです。

一人のサッカーのプレイヤーを知りました。
僕は彼のファンになりました。
今までの私の考えを戒めたいと思います。

そのプレイヤーの名は「ヨン・ダール・トマソン」、2002年W杯デンマーク代表の選手です。

ここからはすべてコピペです。
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キャンプ地に感動残す デンマーク代表が帰国

 W杯1次リーグA組でフランスを破り1位通過したデンマーク代表。決勝トーナ
メントではイングランドに敗れたが、キャンプ地・和歌山に感動を残し、17日、
日本を去った。
 チームが事前キャンプで和歌山市に滞在していた5月。練習場から帰る選手のバス
を追う2人の小学生の姿があった。1人は母親がこぐ自転車に乗り、1人は走って追
い掛けた。練習場でサインをもらい損ねた親子だった。
 子供らが3キロ近く離れたホテルに到着したとき、バスにはすでに選手の姿がなか
ったが、2人に気付いたオルセン監督が笛を吹いて選手を呼び集め、全員でサインを
プレゼントした。子供は大喜びし、母親は感動して涙をこぼした。
 「子供に頼まれたら応えるのが当然」という監督。「和歌山で素晴らしい環境を提
供してもらったお返し」とすべての練習をファンに公開し、選手も気軽にサインに応
じた。ファンは日増しに増え、最後の練習となった13日には、2500人もの市民
が練習を見守った。
 チームは17日朝、和歌山市のホテルを出発、帰国の途についた。早朝にもかかわ
らず大勢のファンが「感動をありがとう」と見送り、選手らは手を振って最後の声援
に応えた。
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代表グッズを移植費用に デンマークが提供

 心臓移植手術を希望している和歌山市の高校生の手助けをしようと、同市でキャン
プを張ったW杯デンマーク代表が提供した「代表グッズ」の慈善オークションが29
日、始まった。
 キャンプ中、チームのドクターがたまたまホテル近くで募金活動を見かけ、和歌山
県キャンプ実行委員会の職員が趣旨を説明。チームは帰国前、実行委に「ぜひ協力し
たい」と申し出、トマス・ヘルベク選手が試合で着たユニホームやシューズ、選手や
コーチのサイン色紙など代表グッズ約120点を提供した。
 高校生は竹井俊隆君(18)。重い心臓病で渡米して手術を受けるため、支援者ら
でつくる「としたか君を守る会」が費用約9000万円を募金活動中。実行委は同会
に収益金を寄付する。
 オークションはインターネットのホームページ(HP)で告知。入札は7月15日
までファクスか電子メールで受け付ける。実行委は「チームの心温まる支援は、竹井
君にも大きな励みになるでしょう」と話している。
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以上、共同通信より
何度も書くようにデンマーク代表はその紳士的な振る舞いから、
キャンプ地では非常に好感を持って迎えられ、そして帰国した。
そのチームのエースがトマソン選手です。
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今日の日記はちゃんとワールドカップのお話を語りたいと思う

あのワールドカップという宴が終わり、はや数日
皆さんも一度は見たと思う、いや必ず見たと思う

その中で、皆さんが印象に残ったことは何ですか?

ブラジルの優勝ですか?
お隣・韓国のベスト4という躍進ぶりですか?
『青の戦士』たちの16強の活躍ぶりですか?

「誤審のひどさばかりが印象に残った」という人もいるでしょうが、
この件に関しては後日語りましょう・・・

かく言う私が印象に残ったこととは、あの国のことである
 

デンマーク、皆さんはこの国をご存知ですか?

まずは簡単にデンマークという国の紹介をしましょう
 

デンマーク・・・
正式国名「デンマーク王国」
北欧の端に位置し、面積は43000平方キロメートル、北海道の半分ぐらい
首都はコペンハーゲン、人口は531万人
いたって小さな国である
言語は通常語はデンマーク語、英語でもほぼ通用する

これはボクの経験なんですが・・・デンマークをはじめとした北欧の国々は
異様なほどに税金が高いんですよ。まずは日本でいう消費税が最低20%はかかる
『サービス税』なんてものも含めるとたいてい30%〜40%近くの税金が課税される

ですからね・・・北欧に旅行に行ってショッピングしようと思うなら
アメリカとかの感覚で行くと『えらい目』に合いますから^^;

ま〜〜税金高い分いい面も、もちろんあります
これらの国は福祉の充実度が世界トップレベルなんですよ
税金高いのは福祉のためなんでしょう
老後に住むにはこれ以上ない環境の国ばかり^^;

余談を入れちゃいました・・・・話をデンマークに戻そう・・・(・。・)
 

かのデンマーク、サッカーについては他の欧州国に遅れをとった
デンマークサッカー自体の歴史は古いのだが・・・
世界に躍進しだしのは、つい最近のことである

欧州選手権に84年初出場、ワールドカップ初出場は86年
この80年代から、世界がデンマークのサッカーを認めだした

このころから、彼らの躍進ぶりとスタイルから世界のサッカーファンは彼らのことを
ダニッシュ・ダイナマイトと呼びはじめたのである
 

そんな彼らが今大会、2002年日韓ワールドカップに出場することとなった
2大会連続、3回目の出場を決めたデンマーク

(↑ボクのデータですから・・・間違えてたらゴメンです^^;)
 
 

そして、このデンマークが今大会のキャンプ地を和歌山県に決めた

キャンプ地の説明は今ここではしませんよ^−^;
テレビでキャンプ地のことは何度か流れていたと思うし・・・

例を上げれば・・・そうですね
遅れてばかりで有名になったカメルーンと中津江村
ベッカムフィーバーでわいたイングランドと淡路島
これらが有名でしょう・・・

そして、和歌山県であるが・・・他の立候補地と同様に和歌山県側も誘致に必死であった
デンマークへ何度も訪れた。この苦労が実りキャンプ地決定の知らせを受けた
この一報に和歌山県の関係者は涙したという

和歌山に決めた理由は「日本のほぼ中心地であり、関空に近いから」という
それだけの理由だった・・・(・。・)
 

お茶らけはこれぐらにして、ここからは少しまじめに語ります
デンマークと和歌山県民の交流をまじめに語りましょう

それらを見てきた私の感想なり、想いを入れて書きたいと思う

ですから・・・今日は『落ち無し!』で参ります♪^−^;
 

では!真剣に書いていきましょう
 

読者の方々でもデンマークってどんな国?と普通は思いますよね?
「どこにあるの?」「デンマークのサッカー選手で有名な人は?」と
思うでしょう・・・これが普通ですよ^^;

アメリカ、イングランド、イタリア、スペインほど日本に名前通ってないし
デンマークという国の存在自体は知っていても
どんな国民性なのか?どのような人種なのか?って普通は誰も知らないものです
 

もちろん、これは和歌山県民のほとんどが同じであった
和歌山の街中ではこんな会話が交わされたという

「今度のワールドカップでデンマークって国が来るらしいけど知ってた?」

「それは知ってるけど・・・誰か有名な人いるの?
イングランドのベッカムとかイタリアの男前集団みたいに有名な人いるの?」

「う〜〜ん・・・知らない。
だけど世界で有名なんやったら、一度は練習見に行こうか?」
 

デンマークの練習を訪れた人は『この手の会話』がきっかけとなった人たちばかりであった
最初、いわゆる『野次馬』的な人が多かったのは事実である

最初の見学者は数百人程度であった、しかしこの数字が日々増えていった

この数字が増えた理由には以下のことが一番大きかったと思う
 

ワールドカップ出場国のキャンプ地での練習というものは
非公式、非公開が通例であるが、デンマークは違った
(イングランド、イタリア、スペイン、ブラジルといった強豪国はほとんど非公開でしたね^^;)

練習初日からデンマークチームの意向で全ての練習を公開した
さらに練習後には見学に来ていた地元サッカー少年たちを招きいれ
一緒にミニサッカーを行ったりもした

この評判を聞きつけ、デンマークというチームが
「むちゃくちゃフレンドリーで気さくな人たちばかりやで!」という口コミも相当あったという

そして、この翌日から見学に訪れる人が徐々に増えていった
初日はわずか数百人だった見学者が翌日には2000人
その翌日には2500人、そのまた翌日には3000人が訪れた

練習後には気軽にサインに答える選手たち

監督も練習後にはサッカー少年たちを招きいれ練習を指導したりもした

この監督にある記者が聞いた

「他国は練習を公開しないで、試合に備えていますけど
デンマークはこれでいいのですか?」と聞いた

すると、このデンマーク・オルセン監督はこの記者にこう答えた

「我々の強さは練習を秘密にしたところで変わらない
絶対的な自信をもって試合にのぞむだけだ
何より、キャンプ地を提供してくれた和歌山の人たちが
喜んでくれることはどんどんするべきなんだ・・・
試合も大事だが、この交流も大事にしたいと選手全員も言っている」
 

このオルセン監督、この発言だけでも『いい人』をかもしだしているのだが
彼のエピソードをもう一つ語ろう

ホテル入り初日のことである

デンマークチームが来日し、ホテルでの歓迎セレモニーを受けた後
再度、宿泊先のホテルの支配人と料理担当のコック長が監督の部屋へ挨拶に訪れた

「これからの数日よろしくお願いします」という言葉とともに
彼ら、支配人とコック長にはもう一つ言っておきたい・・聞いておきたいことがあった
彼らにはもう一つ『心配のタネ』があった・・・

それは食事の問題であった

ホテル側も選手たちには万全の状態で試合に臨んでほしかった
食事が口に合わない・・・それが原因ということだけは避けたかった

他国の宿泊先ホテルに連絡をすると、食事でかなりもめたという事を聞いていた
「口に合わない」「母国の材料で調理してくれ!」といった文句を
言われたという事を彼らは聞いていた・・・
 

デンマークが宿泊したホテルの支配人はこう言った

こういったトラブルだけは「どうしても避けたかったんですよ」と
それゆえ「最初に監督さんに聞いて、チームの意向を聞こうと思って
挨拶にいったんですよね」と言っていた

その想いから、支配人とコック長は監督の部屋を訪れた

そして通訳を介し、監督に聞いた
 

「食事で何かご要望とかはございますか?」と支配人は聞いた

するとオルセン監督はこう答えた

「一切お任せします そちらが用意される料理を我々はご馳走になります」と・・・

この言葉に驚いた支配人とコック長

「いや・・やはり母国デンマークの食事の方がいいんじゃないでしょうか?」

「こちら和歌山をキャンプ地に決めたときから、食事も
そちらにお任せしようと私と選手たちは言っていた。選手も理解している
全てをあなたたちにお任せします」

「あの〜〜他の国とかのホテルにお聞きすると・・・
食事はやはり母国のほうが好まれると聞いたものでして・・・」

この言葉にオルセン監督はこう言った

「他国は他国、我々は我々です」

この言葉に支配人は
「あの言葉で本当にホッとしましたよ・・・滞在中は無事に過ごせていただけると
あれで思いましたね」と言っていた

さらに、オルセン監督はコック長に向きなおし、言い出したという

「我々は料理をあなたに全てお任せします。よろしくお願いします」

緊張しながらも「はい!こちらこそよろしくお願いします」と答えるコック長

そして、コック長に聞くオルセン監督

「和歌山で有名な食材は何ですか?」と彼は聞いた

この質問の真意がわからずもコック長は監督に答えた

「和歌山では魚が有名です、カツオという魚が特に有名です」と・・・
 

するとオルセン監督は微笑みながらコック長に言った

「それでは、そのおいしいカツオを我々に食べさせてください
あなたが腕をふるって、おいしいカツオを選手たちに食べさせてやってください」と言った

この言葉にコック長は大変感激した

「世界の代表監督が、あんないい人だったからね〜〜
いっぺんでデンマークのファンになりましたよ!」と言っていた

この食事に対する『良き姿勢』は監督だけではなった
選手たちも同様だった

最初の食事を迎えた時、ある選手が通訳に聞いた

「デンマークでは食事するとき神への祈りをするのだが
日本では食事始める時に何かするんですか?」と聞いた

デンマークは国民の9割がプロテスタントである
神への祈りを終えてから食事を始める

この選手は日本ではこれの代わりに何かするのか?と聞きたかったのである
これに答える通訳

「日本でもキリスト信者は神に祈ってから食べるけど
たいていは手を合わせて『いただきます』と言ってから食べます」と答えた

すると彼は・・・
「こうやるの?」と通訳に聞きつつ、手を胸の前で合わせた
これに通訳は「そうそう!その両手をもう少し上に上げて!」と言った

その言葉に彼は顔の前まで手を上げる
「そうそう!」と答える通訳

そして彼はその姿のまま、コック長の方へ向き頭を下げた
それを見ていた他の選手たちも彼にならい、手を顔の前で合わせた
この時から、食事のたびに手を合わせる選手たち

コック長は言った
「今の日本人でも『いただきます』『ごちそうさま』言えないヤツが多いのに
外国の人にあんなことされたらね〜〜むちゃくちゃ嬉しかったですよ」と・・・

この最初に手を合わせた選手の名を・・・
 

トマソンといった
 

このトマソン選手・・・今大会では4得点をあげ
デンマークを決勝トーナメントに進出させた立役者である
あの日本代表・小野選手と同じオランダ・フェイエノールトに所属することでも有名な彼

彼は少し神経質の面を持ちあわせているのだが、非常に心優しい青年だ
 

トマソン、彼の優しき一面をもう一つ語りたい

それはある握手会でのことである

デンマークというチームは前述したように
練習を公開し、和歌山県民との交流を積極的に行った

練習後は地元サッカー少年たちとミニサッカーを行い
握手会、サイン会もたびたび行った

そのひとコマの話である

あの日も、いつものごとくサイン会が行われた
気さくなデンマークの選手たちを県民も大好きになった

あの日もデンマーク選手たちのサインを求め長蛇の列が出来上がっていた
気軽にサインをするデンマーク選手たち
もちろんトマソンもその中にいた

その最中のことである

トマソンの前にある少年が立った

彼はトマソンの前に立ちつつも・・・少しモジモジしていた

後ろに立っていた母親らしき人が彼を促す
「ほら!早くしなさい!」と彼に言っていた

トマソンも少し「変だな」と思ったのでしょう
通訳を通じ「どうしたの?」と彼に聞いた

意を決した少年はポケットから一枚の紙切れを出し、トマソン選手に渡した
それは学校の英語の先生に書いてもらったものだという
英語で書いた、その紙切れにはこう書いてあった
 
 

「ボクは小さいころに、病気にかかって
口と耳が不自由です・・・耳は聞こえません、話せません・・・
だけどサッカーだけはずっと見てきました、大好きです
デンマークのサンド選手とトマソン選手が好きです
頑張ってください」と・・・
 

その手紙に通訳も・・・その場にいた我々記者も驚いた
言葉が出なかった・・・
 

だが、トマソン選手はニッコリと微笑み少年に・・・
「それなら君は手話はできますか?」と・・・
 

手話で語りかけた

その『言葉』に驚く少年と母親

再度聞くトマソン・・・

「手話はわかりませんか?」と・・・

それを見ていた私はトマソンに英語で言った

「ミスタートマソン、手話は言語と同じで各国で違うんですよ」と彼に言った

手話を万国共通と思う人が多いのだが
国によって違う、ましてや日本国内でも地方によって違う

「そうだったのか・・・」という顔をしたトマソン

そして彼は通訳にこう言った

「ボクは彼と紙で、文字を通して話をしたいのですが手伝ってください」と言った
微笑んで「わかりました」と答える通訳

トマソンは「後ろの人たちにも彼と話す時間をボクにくださいと言っておいてください」とも言った

後ろで順番を待つ人たちは何も文句を言わなかった・・・一言も文句を言わなかった・・・
彼らに「2人の時間」をあげたいと他の人たちも思ったのでしょう

そして通訳を介し、少年とトマソンの『会話』が始まった
 

「君はサッカーが好きですか?」

「はい。大好きです」

「そうですか。デンマークを応援してくださいね」

「はい。あの聞いていいですか」

「いいですよ。何でも聞いてください」

「トマソン選手はどうして手話ができるんですか?正直、ビックリしました」
 

この少年の質問に彼は答える
 

「ボクにも君と同じ試練を持っている姉がいます
その彼女のためにボクは手話を覚えたんですよ」と・・・

その彼の言葉をじっくりと読む少年
そしてトマソンは少年に言った

「君の試練はあなたにとって辛いことだと思いますが
君と同じようにあなたの家族も、その試練を共有しています
君は一人ぼっちじゃないという事を理解していますか?」

この言葉に黙ってうなずく少年

「わかっているなら、オーケー!
誰にも辛いことはあります。君にもボクにも
そして君のお母さんにも辛いことはあるのです
それを乗り越える勇気を持ってください」とトマソンは言った

このやり取りに涙が止まらない母親

この光景を見ていた我々記者も涙した
その場にいた人たち、その2人を見ていた人たちも涙した

そして、トマソンは最後に少年にこう言った

「ボクは今大会で1点は必ず獲ります
その姿を見て、君がこれからの人生を頑張れるように
ボクは祈っておきます」

この言葉に・・・この少年は初めて笑顔を浮かべた

「はい!応援しますから、頑張ってください」と少年は言った
そして、サインをもらい、その場をあとにする少年と母親

ボクの取材に母親は目に涙を浮かべて言った

「あんなことされたらデンマークを応援しないわけにはいかないですよ
日本と試合することになっても、私らはデンマークを応援しますよ」と
涙を流し、笑いながら言った・・・・
 

そして、このトマソン・・・少年との約束を守り、得点を決めた
1点どころか、彼は4得点という大活躍だった

こんなトマソン、デンマークを見た私も
いっぺんにファンになってしまった^^;

1次リーグ、フランスという前回覇者と同組だったデンマーク
彼らをボクは応援した・・・

もちろん和歌山県民も応援に訪れた
試合が韓国であろうとも彼ら和歌山県民は応援に駆けつけた

オルセン監督は言った
「試合会場が韓国であっても、和歌山の応援はわかった
あれが我々の力になった」と・・・

和歌山県民の応援も実ったのであろう
フランスと同組のA組みながらデンマークは2勝1分け
見事1位通過を決めたのである

そして、向かえた決勝トーナメント1回戦
場所は新潟スタジアム、相手はあのイングランドであった

スタンドからは「ベッカム!!!!」という声が至るところから響いていた

その声に私は叫ぶ

「ダニッシュ・ダイナマイトで・・・にわかイングランドファンを黙らせろ!」
「ベッカムがなんぼのもんじゃ!頼むぞ!デンマーク」と叫んでいた^^;

だが・・・この応援も届かなかった
和歌山県民の想いも通じなかった

デンマークはイングランドに0−3という予想外のスコアで敗れてしまった
その日の和歌山県には雨が降ったという
 

県民の涙雨だったのかもしれない・・・・
 

負けはしたが、和歌山県民はデンマークというチームを誇りに思っていた
「よく頑張った!」「後は快く母国に帰ってもらおう!」という言葉が彼らの合言葉になった・・・

だから、彼らは行なった

デンマークお疲れさま!会なるものが宿泊先のホテルによって仕切られた
そこに駆けつける多数の県民
会場にはあふれんばかりの県民が駆けつけた

その催しに「ありがたいことだ」と言ったオルセン監督
もちろん選手たちも全員出席した。あのトマソンもその場にいた

そこでトマソンは見つけた・・・『あの少年』を見つけた

少年と母親もその会に出席していた
少年と母親の元に、通訳を携え近寄るトマソン
トマソンの姿に気づいた母親は頭を下げる
少年はトマソンへ笑顔を向ける

そして、トマソンは少年にこう語りかけた
 

「せっかく応援してくれたのに負けてゴメンね」と『紙』で語りかけた

これに少年は答える

「お疲れ様でした。負けたけどカッコよかったです
それに約束どおり点獲ってくれたからボクは嬉しかったです」と・・・・

「ありがとう」と言うトマソン

そして、この少年にトマソンは言った

「ボクから君に言える言葉はこれが最後です。よく聞いてください」

「はい」

「君には前にも言ったとおり、試練が与えられている
それは神様が決めたことであり、今からは変えられない
ボクが言いたいことわかりますか?」

「はい」

「神様は君に試練を与えたけど、君にも
必ずゴールを決めるチャンスを神様はくれるはずです・・・
そのチャンスを君は逃さず、ちゃんとゴールを決めてください」とトマソンは言った

この言葉に少年は笑顔満面の顔でトマソンに「はい」と言った

そして2人は・・・

「さようなら」

「頑張って」

という言葉を残し彼らは別れを告げた

最後に2人は仲良く写真におさまった
飛びっきりの笑顔を浮かべファインダーにおさまる2人

この写真は少年の宝物になることだろう

トマソンに出会ったことによって少年は『前へ進む』に違いない・・・
彼の転機になることを私は祈ってやまない

小さな少年、心優しきトマソンに
これからも栄光あれ。。。
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某所のホームページより、
↑残念ながら現在はこの文章は諸理由により削除されている。
また、このコピペで本人に迷惑が掛かるといけないので、文章を書いた人が
明らかに特定できる部分は修正している。申し訳有りません>氏
一部ではこのホームページの管理者の創作ではないか、と言われているが、
こちらにトマソン選手のプロフィールがある
これを読むとその人と成りから前述のホームページの記事は
決して創作という訳でもない。
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5月17日
 フェイエノールトがUEFAカップ優勝を果たした2002年5月8日水曜日の夜、ヨン
・ダール・トマソンは、UEFA会員とジャーナリスト団体から、決勝戦の最優秀選
手に選ばれた。

 欧州のビッグタイトルを賭けた、オランダのフェイエノールトと、ドイツのボルシ
ア・ドルトムントの1戦でも、トマソンは終始その存在の大きさを印象づけていた。
彼は、味方FWの背後の2列目に近い位置から、チャンスを捉えて一気に飛び出すプ
レーを得意とする、相手チームに最も恐れられる存在である。この日の1戦でも、ト
マソンの粘り強い闘志によって、最初の決定的チャンスが演出され、それがゲーム全
体の流れを決めるものとなった。

 先制点は、彼の攻撃を阻止しようとしたドルトムントのコーラーの反則から生まれ
た。フェイエノールトは前半の終盤に追加点をあげ、2−0とリードした。後半戦では
ドルトムントも反撃を見せて1点差と追い上げたが、再びトマソンがドイツの守備を
突破して、見事なシュートを決めた。
 トマソンは、こうした活躍により、さらに大きな注目を集めるプレイヤーになっ
た。またこの勝利は、彼の才能を開花させたフェイエノールトへの、素晴らしい最後
の贈り物となった。

 オランダの小さなクラブ、ヘーレンフェーンで、プロ選手としてのキャリアをスタ
ートさせたトマソンは、かねてからオランダのサッカーが好きだと話していたが、他
リーグからの誘惑には勝てなかった。イタリアのビッグクラブ、ACミランが豪華な
契約を提案してきたのだ。この移籍には1100万ユーロ(約12億7600万円)が提示され
たと言われている。その金額なら彼も拒否できないだろう。
 今後、ヨン・ダール・トマソンは、より厳しい戦いが繰り広げられるセリエAで、
そのキャリアを積んでいくことになる。しかし、25歳となった彼は、身体的・精神的
に円熟期を迎えており、どんな試練にも立ち向かって行けるほどの充実ぶりを見せて
いる。

 もっとも、彼はすでにオランダ以外のクラブを経験していた。'97−'98シーズン
に、イングランドのニューカッスルでチャンスを掴もうと試みた経歴があるのだ。だ
が、その挑戦は失敗に終わった。3ゴールを決めただけで、確固たる自分のポジショ
ンを獲得することもできなかった。その前に所属していたヘーレンフェーンでは、1
シーズンに平均15ゴールは決めていただけあって、彼は失望し、オランダに帰ること
にした。オランダでも3本の指に入るロッテルダムの強豪クラブ、フェイエノールト
の一員になったのは、この時のことだ。そこでようやく、試合に出場し続け、ゴール
を決める喜びを取り戻すことができたのである。

 その頃から、彼はデンマーク代表選手としても活躍するようになった。ユーロ2000
の対イスラエル戦で3ゴールを決め、大いにその名を高めた。彼は、同じデンマーク
のスターであるエッベ・サンドと比べ、あまり目立つプレイヤーではないが、その実
力は引けを取らず、やはり恐るべきストライカーと言える。
 時に彼は「決めたシュートと同じだけ、チャンスも逃している」と言われる。確か
にそれも事実だろう。だがそれは、ゴール付近の “勝負ゾーン”に突入する回数
が、圧倒的に多いという意味でもある。

 トマソンは、フィールドの外での紳士な姿勢でも高く評価されている。ユーロ2000
ではフェアプレー賞を受賞した。対フランス戦で、デンマークが攻撃している時のこ
とだった。フランスの選手が負傷したのに気付いたトマソンは、ボールをフィールド
の外に出し、救護スタッフがすぐに駆けつけられるようにした。その行為を見届けた
UEFAの役員や多くの観客から、その騎士のような気高い精神を賞賛されたのだっ
た。

 また、以前フェイエノールトでは、トマソンを含めた数選手とクラブ側とで、特別
手当に関して長い交渉が行なわれたことがあった。結果、選手側が勝ち、トマソンを
はじめとした数選手は特別手当を得ることができた。その時、彼はロッテルダムの小
児専門病院に赴き、その特別手当の額に相当する小切手を寄付することにした。この
多額の寄付により、病院の関係者は念願の“インターネット計画”を実現することが
できた。それは、病室に設置されたWEBカメラを使って、子供たちが遠く離れた家
族と映像を見ながら話ができるようにするというもので、トマソンは、この素晴らし
い計画を支援したいと願っていたのだった。

 心温まる行動とその美しく澄んだ目で、女性たちの心を揺り動かす青年は、ひとた
びフィールドに入れば、相手チームから恐れられるゴールハンターとなる。
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あと、アイルランドのW杯のサポータHPより、やはり彼等はすばらしかった。
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2002/07/17