今回は出来れば避けて通りたかった話題のうちの一つなので、出来るだけ慎重に書く事にする。
慎重と言うのは、「ブラインドタッチ」という言葉が一般的には「差別表現と認知されている(らしい)」という事もあるし、
僕がそれに敢えて異を唱える立場であるからだ。
また、自分の昔の事をほじくりかえす事にもなるので、どうしてもエキサイトするんではないか、とも思うのだ。
 

実は「『ブラインドタッチ』という表現は差別的表現ではないか?」というのは実は今のインターネットの世代の人達が知っている時よりもはるかに以前から論議されていた。

僕が知っている限りでは@NiftyがまだNifty-Serveと呼ばれていた頃に一度問題になっている。
僕が趣味としてのパソコン通信を始めていた頃なので、多分1985年から1990年には一度論争になっている。
それも一般社会ではなくてあくまでパソコン通信での、はっきり言えば「オタク達」の間で議論が起こっている。
僕はこの時の論争には加わっていないのだが、知る限りでは、この時は最終的な結論は出なかったように思う。
当然である。とういう「差別的表現の是非」というのは大抵は水掛け論で終わってしまうものだ。
互いに、自分が正しいと思うのだから、絶対に折り合うわけが無いのだ。

但し、この頃、僕は幾つか苦い経験をしている。
「僕はまだまだブラインドタッチなんて・・・・」という文章をある掲示板に書き込んだ時だ。
その書き込みに対する返信の最後に「『ブラインドタッチ』というのは差別表現に当たりますから、使わないほうが良いですよ。」と返信されたのだ。
この頃の僕は非常に若かった(笑)カチンと来たのだ。
「まるで俺が差別主義者みたいな言い方じゃないか。」「ブラインドタッチと言う言葉の是非もはっきりせずに終わってしまったのに。」
で、一大論争を起こしてしまった。1対全員である。それでも僕は引き下がらなかった。
結局の所「こんな掲示板、二度と来るものか!!」と言い捨ててそのBBSを退会した。

ま、そういう意味では俺は負け組やね(笑)

で、今回も「『ブラインドタッチ』というのは差別表現に当たりますから、なるべく使わないほうが・・・」と指摘されてしまったのである。
ガーン(爆笑)
10年の歳月を超えて、また言われちゃったよ〜(爆笑)
ただ、10年の歳月は少しだけ(ほ〜んとに少しだけね)僕を大人にしていたようで、言われた人に対して怒りも何も無かった。
指摘された掲示板では僕がPCの事に関しては知識がある、と掲示板のメンバーの皆さんは評価してくださっているらしい。
(俺はここで声を大にしていいたい「そりゃ買いかぶりすぎってもんです!!!」)
それを承知の上で指摘して頂いているのだから、(俺の事を気遣って下さった)という事がちゃんと見えるのである。

ですから、指摘してくださった方に申し上げたい。
「お気遣い、感謝いたします。これからもご指導の程よろしくお願いいたします。」
表じゃ恥ずかしいので、ここで「こそーり」と、ね。(笑)
 
 

さて、ここまでこの話を引っ張ったからには「ブラインドタッチ」という言葉について書かねばなるまいと思う。

暇な時でも良いからhttp://www.google.co.jp/で「ブラインドタッチ 差別」という語句で検索してもらいたい。
他にも「ブラインドタッチ 差別 主張」とか「ブラインドタッチ 差別 根拠」でも良い。
さて、以外に意見が錯綜しているのがわかるだろうか?
中には間違った解釈をしている人達もいらっしゃる。
さて、次に「blindtouch」を検索して欲しい。
海外のホームページで検索はヒットしただろうか?
良かったら「blind touch」での検索も試してみてもらいたい。
まるで見つからないでしょ?
ここまですると予想がつくと思うのだが、
「ブラインドタッチ」という言葉は実は英語には存在しないのである。
※最近は「blindtouch」という呼び方もあるそうです。

一般的には同義の言葉は「タッチタイピング(touch typing)」である。
しかし実際にキーボードを見ないで入力が高速に出来る人の手の動きを見ないと「タッチタイピング」の言葉の意味は掴みづらい。
彼等はまさしく「キーボードを叩くのではなく、キーボードに触れるようにして入力」するのである。
だから「タッチタイピング」と呼ばれたのではないかと思う。
だから「叩き込むようにして入力する」僕は全然速くないのですよ、本当。実際、職場でも遅い部類に入る筈なんです。

でも、多分にキーボード文化(タイプライター文化)を見た日本人はビックリしたんだと思う。
「キーボードを見ないでタイピングできるなんて!」
そこから「ブラインドタッチ」という言葉が生まれたのではないかと思う。
無論、これはあくまで予想であり、絶対に正しいとは思わない。しかしながら出典についてはついぞ見つける事は出来なかった。
もし、どなたか知っていらっしゃったらお教えいただけたら幸いです。

少なくとも僕のような古いオタク達(笑)の殆どは「ブラインドタッチ」が差別的な意味合いを持つとは思っていなかった。
いや、今でも思っていないと思う。
 
 

「ブラインドタッチ」が差別的表現であるという根拠は「ブラインド」という語句にある、といわれている。
いわく「ブラインドという言葉には『目が見えない、盲目、めくら』などの意味を含むので好ましくない」という事らしい。
では当の英語圏の人達はどのように思っているのかというと差別的意味合いを認知していないのだ。
そりゃそうだ、「blind」という語句は沢山の意味を含む。そんな事をいちいち気にしてなんかやっていられないだろうって。
僕はレースをしていた関係上「先が見えないコーナー」をブラインドコーナーと呼ぶ。これなんかも規制の対象か?

ちなみにこれは英語圏の人達が差別に無頓着という事では無いと思う。実際に「ニグロ」という言葉は黒人の差別的表現なので
使わないのが一般的だ。しかし彼らはニグロという言葉を抹殺したわけではないという事には注目しておきたい。
 

ところが、である。
「『ブラインドタッチ』は差別的表現」というのが「古いオタク達」に襲い掛かったのである(笑)
そりゃ青天の霹靂、誰だって今まで慣れ親しんだ言葉が「使ってはいけない言葉です」と言われれば腹も立つ。
という事で血みどろの論争にまで発展したんですわ。

で何度も論争に上がって、擁護派も反対派もはっきりさせる事が出来なかった点がある。
「いったい、誰(何)がそれを主張し始めたのか?」
多分この時に視力に障碍を持つ人が主張していたのならば、多分擁護派もすんなり認めて「ブラインドタッチ」という言葉を葬ったと思う。
ところが主張した人(組織)がはっきりしなかったのですよ。これが余計に混乱を深くした。
結局の所、何回もの論争を見てきたけれど、結果なんて出なかったと思う。
 

さて、ここで僕には疑問がある。
「なぜ『ブラインド』や『ブラインドコーナー』はお咎め無しで『ブラインドタッチ』は駄目なのだろうか?」
今回根気を入れて調べたのだけれど、やっぱり「『ブラインドタッチ』は差別的表現」の出所を見つけることは出来なかった。
ここからは完全な予想である。あくまで私見なので、眉に唾をつけて読んで欲しい。

僕は正直言って「言いがかり」なのではないかと思う。
「ブラインドタッチ」が差別的表現と言われ始めたのは1985年から1990年が最初である。
この時、PCが一般ユーザーも使おうかという所である。
ところが「ブラインドタッチ」という技術は頭が良いだけでは出来ない、どちらかと言うと習字や珠算に近い、体に叩き込んで覚える技術である。
PCを触り始めた一般ユーザーの中でも無論ブラインドタッチをすぐに習得できた人もいるだろうし、僕みたいに出来なかった人もいると思う。
で、他の人が出来ない技術を手にした人(の一部)は往々にして出来ない人を見下す傾向がある。
「ブラインドタッチもできないの?」
ブラインドタッチが出来ない人は面白かろう訳が無い。
だから言い返したんだと思う。
「大体、ブラインドタッチって言葉は目に障碍のある人に対して差別した言葉じゃないか!」と
これが事の始まりではないか、と思ったりするのだ。

実際に、教育(これは学校教育に限った教育ではない)現場のコンピュータ教育について「ブラインドタッチも出来ないものに指導させるな」という、
僕からしてみれば、あまりにも的外れな意見が割と公式なレポートに存在していた点を見逃せない。
だから「目に障碍を持つ人に対する差別云々」ではなくてその言葉自体に憎悪した人がいたんじゃないかと思う。
 
 

また出典には出会え無かったが「『ブラインドタッチ』は差別的表現」としている文書が沢山有った、非常に憂鬱になったのだけれどね。
いちいちリンクなんぞ用意する必要も無いくらいだったからなぁ・・・。
 

1、NHKなど放送関係では「ブラインドタッチ」という言葉は差別を連想させるという事で好ましくない表現とされている。
2、コンピュータのインストラクター業界(いわゆるパソコン教室)では「ブラインドタッチ」は差別的表現として使わずに
  「タッチタイピング」と表現するように指導がなされている。
3、学校教育では「ブラインドタッチ」という表現は差別的表現なので差別的表現なので、「タッチタイピング」と表現するようにされている。
 

ここまで浸透してくれば「ブラインドタッチ」という言葉も地上からなくなるのも時間のだな(笑)
少なくとも俺の目が黒い内は「ブラインドタッチ」という言葉を地上に残しつづけるぞ(爆笑)
誰だ?「既に目が白い」って言っているのは?
いやそれよりもこの人の意見はどう考えるのであろう?

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NHKの大河ドラマ「元禄繚乱」の中に、「かたおち」という言葉がしばしば出てくる。
内匠頭が切腹で吉良にはお咎めなしでは「不公平」という文脈で使われている。
耳なれない言葉なので最初、放送禁止用語に当たる類似語を苦しまぎれに言い換えたのかと思った。
ところが、三省堂大辞林を引くと「かた-おち 【片落ち】として「一方だけをひいきにする・こと(さま)。不公平。片手落ち。」としっかり書いてあった。
以前、他社の記者用ワープロに差別語回避機能なるものがあると聞いたことがある。
記者が不適切な言葉を入力すると、ワープロの方で勝手に好ましい表現に 変換してくれるという。
それを聞いたとき、本来人権の尊重という精神から決定されるべき言葉遣いを機械的な言葉の言い換えで処理しようという安易なマスコミの姿勢に憤りを覚えた。
確かに面と向かって「…蛇に怖じず」などと言われるといい気持ちはしない。
しかし、「ケーキに目がない」、「ブラインドタッチ」などは全盲の私でも当たり前に使っており、身体の部位を含む表現は全部だめという用語規制は人権尊重という本来的な意図を何ら具現するものではないと思う。
大事なのは、使用者がどれだけ読者あるいは聞き手の立場に立ってその言葉を使っているかということではなかろうか。
片落ちの自主規制で日本語の豊かな表現を摘み取ることだけはしてほしくない。
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この方の意見は傾聴に値すると思う。
僕が一番気に入らないのは「差別的表現だから使わない、教えない」というその方針である。
 

さて、みんなは小中学校の道徳の時間で「差別」という事について学んだはずだ。
その時に「こんな言葉は使わないようにしましょう。」と学んだはずだ。
「実際に差別は無くなった」のか?単に「表現する言葉がなくなったので見えなくなっている」だけじゃないのか?
「身体に障碍を持つ人に思いやり」とどこでも言う、しかし歩行者が止まるのが当然のよう振舞う車、バイク、自転車のなんと多い事か?
 

みんな「その言葉は差別的表現だと思います」と言う奴がいる。それもさも偉そうに、だ。
だが、はっきり言っておきたい。
「その言葉を差別的表現と思う貴方はその差別をなくすためにどのような事をしているのか?」
「貴方はその言葉を使わないだけでどの程度の利得があるとお考えか?」
「その貴方は身体に障碍がある人に対して同等に接しているか?」
「貴方は身体に障碍がある人を見下していないか?」
俺はあんた達、そう、偉そうに高説をぶってさも知識人のように振舞うあんた達がいう「差別的表現」という言い方が気に入らないんだ。
その言葉におびえて「使わないようにしなくちゃ」って考えている人達が思考停止している事が判らないか?

ふざけるのもいい加減にしろ。
お前達は言葉狩り以上の事は出来ないのか?
ちゃんとお前達が狩る言葉の由来を説明しろ。
それが差別を起源として持っているものならば、俺も頭を下げて二度と言わない。
だが、言葉尻をとって偉そうな口を叩くな。
 

もっと悔しいのはこれほど煮えたぎる物があっても何一つ変える事の出来ない俺自身の存在だが。
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2003/10/16