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No.4 「観察と力」


19世紀、現在のパキスタンもインドもバングラデシュもまとめて英領イン
ド(British India)という一つの植民地であった。その西の果てに現
在のアフガニスタンに相当する地があり、その北がロシア(及び後のソ連)
であった。南下して南の温かい海に出たいロシアと、それを阻止してアフリ
カ、アラブ、ペルシァから英領インドまで続く植民地の権益を守り抜きたい
イギリスの間で、アフガニスタンは緩衝地帯を形成していた。緩衝国家と呼
ばれるのはそのためである。

植民地行政官という職は、名誉のある職であった。いや、名誉という言葉が
ふさわしいのかどうか分からない。有能でかつ名家の出であることが多かっ
たようだ。植民地行政官は55歳になると、停年退職して任地から引き上げ
るという慣行があった。「東洋人は、年老いて衰えた西洋人を決して目にし
てはならなかったのであり、西洋人の方は、従属的種族の目に映る自分が、
強健で理性的で、敏捷さを失わぬ若きラージャ(王侯貴族)で」あるべきだ
ったからだ。(1)

植民地行政官は、当時の最高の学識、健康な身体、そして家柄の良さを備え
て、植民地を管理/支配するために派遣されたのだ。彼らは行政という
仕事に加えて、しばしば「探検」をし、「調査」をし、「記録」した。そし
て本国への報告とは別に、紀行文を出版することも一つの慣行となっていた
。彼らは紀行作家でもあり、当時のヨーロッパにおける、非西洋を含む世界
観の形成にほとんど独占的に寄与していたのだ。今でも、何々卿という人達
、つまり貴族の書いた19世紀から20世紀初頭の書物がイスラマバードの
街の本屋で手に入る。もちろんほとんど海賊版だと思うが。

汚くて臭い紙をめくると恐ろしく細かい「記録」の列挙に驚く。地理、歴史
はもちろん、人種、言語、文学、人々の性格、宗教、儀式、結婚、葬式、食
べ物、着物、住居、娯楽、多い病気、農業、果物、家畜、土地所有、地代、
賃金、物価、鉱物資源、芸術、工芸、道路、郵便制度、飢饉、行政区分、立
法、司法、通貨、秤量、軍、警察、監獄、教育、医療・・・等などと延々と
記録が続く。
おもしろい。しかし、これを読み進めるうちに、やはり奇妙な気持ち悪さを
覚え始める。典型的な文章をいくつか挙げてみよう。

「アフガン人種は、良い顔立ちをしており、強健な身体を持っている。色は
白いことが多く、非常に高い鷲鼻である。彼らの歩き方は決意に満ちており
、誇り高く、荒々しくなりがちでもある。幼少時から流血事に慣れており、
死に親しみ、攻撃においては大胆不敵であるが、失敗すると落胆しやすい。
アフガン人は不実であり、復讐に熱狂的になる。自らの命を犠牲にしてでも
最も残酷な方法で復讐を達成する・・・

「アフガン人はリベラルな、歓待をする特性を持っている。客や見知らぬ者
は村の宿で無料でもてなされる。「ナーナンワタイ」として知られる『名誉
の掟』により、アフガン人は誰でも、たとえ敵であっても、庇護を求めてい
る者に対しては、必要ならば自らの生命と財産を犠牲にしても、保護と避難
場所を与えることを期待されている。しかし、この保護は彼の敷地内におい
てのみ賦与される。いったん、敷地の外へ出ると、その保護者自身がその保
護を受けていた者を傷つける最初の敵になるかもしれない・・・」(2)

これは、有名なアフガンの掟とアフガン人の性格を述べている。知っている
人が読めば、そうだなと思うに過ぎないだろう。まったくアフガニスタンに
ついて予備知識がない人が読めば、暫定的にせよ、これがアフガン人に関す
る唯一の「事実」になるのだろう。次にこのような文があったら、どうだろ
う。

「アフガン人は妻を購入する。値段は新郎の状況により、色々であ
る・・・」(3)

・・・これは、はて?と思わないだろうか。
日本人なら結納をすぐに思い浮かべるだろう。だから、「妻を購入する」と
実際の慣習との微妙な違いはすぐに想像がつく。結納を渡したからといって
、「めでたく妻を買いました」と挨拶する男は日本にはいないだろうと思う
。よく読めば、最初に引用した文章にも同じおかしさを気づく。例えば、「
良い顔立ち」、「強健な身体」とは何なのか。観察者の尺度を聞かない限り
分からない。「流血事に慣れる」、「死に親しむ」、「大胆不敵」、「不実
」、「熱狂する」、「残酷」などは、観察者の尺度を使った評価だ。例えば
、あなたは死に親しんでいますか、と訊いたわけではないだろう。もっと典
型的には、「無料で宿をもてなす」という言い回しに「サービスと金銭との
交換」という観察者の風習がそのまま反映されている。

観察者=イギリス人は、徹底的に客体=アフガン人の外部にあり続けている
。それは「科学的客観的」態度を維持するためだろうか。そういう擬装を試
みていたとしても、そうではないだろう。「科学者」の態度は、無反省に自
分の価値尺度を適用しないはずだ。「科学者」なら、そこにいかなる価値尺
度が存在するかを発見しようとするのではないか。植民地行政官のとても平
坦な叙述の連続に僕が感じるのは、「そのようなもの(アフガン人の価値の
尺度)の存在を前提しない、あったとしても無視する、なぜなら、自分の(
西洋の)価値尺度を適用するべきだから」という揺るぎ無い姿勢だ。だから
、まるで昆虫の観察誌のようなのだ。「アフガン人は昆虫ではない」。あれ
だけ詳細に「記録」しているにもかかわらず、この一文が抜けている。

僕が今、若干の不快さをおぼえながら見ている/読んでいるものは、ま
ぎれもなくエドワード・サイードの言う「オリエンタリズム」の一端だ。「
オリエンタリズムとは、西洋が東洋の上に投げかけた一種の投影図であり、
東洋を支配しようとする西洋の意志表明であるということを、ひとたび考え
始めれば、我々は大概のことに驚かなくなるであろう」とサイードは言う(
4)。そう、今さら19世紀の書物を引っ張り出してきて、そこに徹底した
「支配する意志」を発見したとしても、驚くべきことではないのだろう。驚
くべきことがあるとしたら、現在の西洋の言説---植民地行政官の紀行
文という華やかさはなくなったが、マスメディアが貧相な形でそれに取り代
わっている---の中に見出すべきなのだ。なぜなら、今、我々が生きて
いるところの「現実」、それが「観察者と昆虫」の関係を土台にして今も形
成されているなら、それは現在を生きる我々にとっても、「観察者」側であ
ろうと、「昆虫」側であろうと、問題であり続けているからだ。サイードは
「オリエンタリズム」を次のようにも説明している。

「オリエンタリズムとは、東洋的とみなされる問題、対象、特質、地域を扱
うさいのひとつの習慣にほかならず、これを行う者は誰であれ、自分が語り
、考える対象を、ある言い回しによって指示し、命令し、固定する。すると
今度は、その言葉や言い回しが現実性を獲得し、あるいはもっと単純に、そ
れが現実そのものであるとみなされるようになるのである」。(5)

これが、まさに僕が毎日見ているマスメディアの機能であり、その一貫した
力の方向に驚き、抗い、敗北し続けているものなのだ。マスメディアが、ア
フガニスタンを、イスラムを、タリバンを、オサマ・ビン・ラディンを記事
にする。そこにはすでに東洋的(=非西洋的→異質→許容できない)という
視点が常に含まれている。それを読む僕は、ちょっと違うんじゃないかとい
う違和感を持つ。言うまでもなく、「観察者と昆虫」がそこに現れているか
らだ。しかし、次から次に同じ言説のパラフレーズが繰り返され、引用され
、確認されていく。そして、ある任意の一つの視点(西洋)による解釈に過
ぎなかったものが、ただ一つの「現実」へと変質していく。その過程に恐怖
を感じざるをえない。それは、恐ろしく大きな力が生成される過程だ。それ
がマスメディア(=オリエンタリズム)が創り出している空間であり、権力
の一つの形なのだ。

******

しかし、今も僕は他人事のように語ることができた。自分は「観察者」でも
なく、「昆虫」でもないと無意識下で、さもしい安心を掴んでいるのかもし
れない。あるいは、実際それは、他人事であると言える事象であるのかもし
れない。西洋メディアとアフガン人の話ではないか。<探検し、調査し、記
録し、観察する者=支配者 vs 探検され、調査され、記録され、観察
される者=従属者>という既知の権力のあり方を実感し、そして、それは植
民地の消滅にともなって消滅するのではなく、マスメディアが利用できる情
報通信技術の急激な進歩によってますます加速されていることを確認する。
それだけのことではないか。他人事だ・・・と。

しかし、アフガニスタンの土地を歩き、インターネットの発するアフガン情
報を見ては、その二つを隔てる距離の巨大さに呆然とする僕の日常はそこで
終わることはできない。その距離を埋める幾ばくかの努力をしてみようと『
カブール・ノート』などを書いたところで、そこも僕の日常の終着点には決
してなり得ない。なぜなのか?すべての旅人が異国を体験して初めて祖国の
輪郭を知るように、僕の一日も同じように祖国、日本への想いが穏やかに訪
れて、自分の確かな座標に安心して終わるはずではないか?ところが、僕の
一日はそのようには決して経過することができない。時にはぼんやりと、時
には閃光のように強烈なフラッシュバックに襲われ、そして、発見するのは
完全な混沌の中にいる、座標を失った自分であるからだ。

「・・・東洋人ないしアラブは愚鈍で、「エネルギーと自発性に欠け」、「
いやらしい追従」と陰謀と悪知恵と動物虐待にふけり、道路も舗道も歩くこ
とが出来ない(賢いヨーロッパ人なら、道路も舗道も歩行のためのものだと
すぐにわかるのだが、東洋人の混乱した頭ではそれが理解不能なのだ)。そ
して、東洋人は常習的な嘘吐きで、「鈍感で疑ぐり深く」、あらゆる点でア
ングロ・サクソン人種の明晰・率直・高貴さと対蹠的なのである」。(6)

イギリス人は、このように異国を消化し、「現実」を確定し、幾ばくかの満
足とともに、祖国を想いだし、そして自分の座標を確認して一日を終わるこ
とが出来たのだ。当たり前なのだが、僕はこのイギリス人と同じ場所に自分
の座標を見つけることができない。にもかかわらず、現代の日本人の一人で
ある僕は、このイギリス人とほとんど同じであると見まがうかのような位置
に自分たちもいると「想定」していると言うべきなのだろう。なぜなら、上
の引用の「東洋人ないしアラブ」を「パキスタン人」に、「ヨーロッパ人」
と「アングロ・サクソン人種」を「日本人」に置きかえれば、引用した言葉
は、ここ、パキスタンに住む日本人があいも変わらず毎日繰り返している言
葉とまったく同質なのだ。

試みに、「パキスタン人は愚鈍で、「エネルギーと自発性に欠け」、「いや
らしい追従」と陰謀と悪知恵と動物虐待にふけり、道路も舗道も歩くことが
出来ない(賢い日本人なら、道路も舗道も歩行のためのものだとすぐにわか
るのだが、パキスタン人の混乱した頭ではそれが理解不能なのだ)。そして
、パキスタン人は常習的な嘘吐きで、「鈍感で疑ぐり深く」、あらゆる点で
日本人種の明晰・率直・高貴さと対蹠的なのである」と言ってみよう。おそ
らく、ここの「日本人」をそのままにして、「パキスタン人」をどの非西洋
人に入れ換えても、いつかどこかで日本人がつぶやいているのを聞いたと思
えるだろう。

我々日本人がそういう位置に自らの座標を「想定」することは誇るべきこと
だろうか。喜ぶべきことだろうか。満足すべきことだろうか。あるいは、あ
まりに愚かで馬鹿げたことなのだろうか。いろんな日本人がいる、他人のこ
とはほっとけばいいではないか、という解答が「正しい」とされるのだろう
。しかし、問題は、日本人自身がなんと「想定」しようが、日本人の座標は
そんなところには決して存在しない、ということだ。僕はそれを確かなリア
リティとして受け取る。これほど驚異的な勘違いを放置したまま、日本人の
誇りなど議論してもどこにも行きつかないだろう。ましてや、日本のヴィジ
ョンなど、どこからも出てくるはずがない。世界の中に座標のない民族、現
代日本人というものが出来上がったということは確認しておくべきではない
か。これはとても奇妙な現象だと思う。他にそのような民族は思い当たらな
い。座標を失うことに徹底抗戦している民族はいたるところにいるというの
に!

どのようなレトリックを使おうが、相対主義という美名の影に隠れようが、
座標のない民族には一切の発言権も、存在価値も、ましてや尊敬も、黙示的
であれ明示的であれ、存在しない、なぜなら一切の責任から本質的に逃れて
いるからだ。簡単に言えば、「蚊帳の外」であり、「ゲームの傍観者」であ
るからだ。我々が個人のレベルではともかく、集合体としての日本というレ
ベルでは、相手が西洋であろうと東洋であろうと、継続的かつ根本的にコミ
ュニケーションに失敗し続けているのは、そこに原因があるのだろう。文化
を「説明」してみる、「援助」をしてみる、「協力」をしてみる、「謝罪」
をしてみる、これらがことごとく、その本来の目的を達成せず、日本人にと
っては訳の分からない「猜疑」や「嘲笑」や「無視」や「怒り」が返ってく
るのは、歴史の、或る段階で日本人が座標を掴みそこね、かつそれを再探求
するかわりに、見当違いの「想定」にいつまでも無反省に、もしくはあざと
く安住しているからだ。世界の他者にそれは隠せるものではない。

しかし、僕は必ずしも悲観していない。混沌のフラッシュバックに付き合い
、時には「記録」に戻り、時には他者に遭遇し、絶対的拒絶と権力的回収に
抗ううちに、既存の座標のどれかを選択するというよりも、日本人だけに特
権的に用意されている座標が存在し、それを日本人が発見できないに過ぎな
い、と思うようになったからだ。どこにも居場所がないのではない。それは
ある。どの民族もかつてその座標を占めたことがない。そのために、それは
不可視であり、かつ、その発見は唯一日本人にしかできない。その時初めて
、その座標は可視化されるだろう。

私的生活空間における徹底的なリアリティの欠如、主観的にはこれが僕を追
いたてたものであった。しかし、僕は自分に座標を取り戻そうとして、書庫/
日本を出た、とパラフレーズできるのかもしれない。だから、「昆虫観察誌
」が、僕の一日を容易に終わらせないのだ。

(続く)

注:
(1)エドワード・サイード『オリエンタリズム』(上)平凡社ライブラリ
ー1993年、104頁
(2)"Imperial Gazetteer of India",より拙訳。 p.26
(3)op.cit. p.27
(4)エドワード・サイード前掲書、226頁
(5)エドワード・サイード前掲書、168頁
(6)エドワード・サイード前掲書、97頁

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