壊れた建物が延々と続く、と書けばいいだけかもしれない。 しかし、その言葉と目の前にあるものの間にすっきりとした関係を見出せないでいる。
「壊れた建物」という概念も「破壊」という概念もずっと前から知っているものである。僕はそれを利用して今、目の前にあるものを了解しようとしている。
しかし、それがうまくいかない。
最近見たビデオに僕の嵌っている事態を象徴するかのような話があった。(*下記参照)
こんな話だ。生後ほとんどすぐに視力を失い、何も「見た」こともなく育った青年が
手術を受けて視力を取り戻す。しかし、彼はパニックに陥った。目の前にあるものが、つまり今、視覚で認知しているものが何であるか彼には分からないのだ。りんごを差し出される。彼はりんごを「知っている」はずだ。何度も食べたこともあるだろう。しかし、彼はそれがりんごであるとは、触ってみるまで分からなかった。これま
で彼は触覚によってすべての物体を認知していたのだ。だから、今突然、映像として
入ってくる情報---りんごの姿・形---は、彼にとって意味をもたないのだ。今、目で見えるものを、彼がこれまでに蓄えた知識と「関連づける(associate)」ことができれば、彼はそれを「知っている」ものと了解できる。しかし、触るまで彼にはそれができない。彼の知っているすべての物体に関してその作業が終わるまで、彼は意味のない膨大な視覚情報に困惑し続けざるを得ない。
おそらく僕は、膨大な言語情報(正確には言語というより、音の羅列でしかない情報
なのだが)を「知っている」と思っている。しかし、それらを触ったことも食べたこともない。より根本的には考えたこともない。僕はこれまでほとんどすべての情報をその実際と関連づけることができなかったのではないだろうか。
カブールの風景、それは端的に言えば、破壊の姿だ。その「破壊」という言葉と僕が
見ているものの間には、途方も無く距離があり、そしてそれは直線ではなく、非常に
ねじれた距離でもあった。概念としての「破壊」と現実の「破壊」との圧倒的な差は、その二つを関連づけることをほとんど不可能にしている。だから、僕は頭の芯が歪んでしまったような感触を持ったのだろう。りんごのようにはうまく行かないの
だ。
僕が知っている言葉というのはほとんどがそのようなものではないか。
初めて外国の教育機関に所属し、外国人と生活を共にするようになった時、僕はすぐに気がついた。自分は彼らに比べて圧倒的に広い範囲で大量の言葉を知っている、と
いうことにだ。
僕が日本で特別モノシリだったわけではない。すべて教科書に出てく
るような言葉に過ぎない。程度の差はあれ、日本人なら誰もが通過してくる言葉の群れである。しかし、どの言葉一つをとっても、僕が言えるのは「ああ、それ知っている」以上のものではなかった。議論にもなんにもならない。知っている、というだけである。それが果たして「知っている」ということに値することなのだろうか。言葉一つをきっかけに延々と議論を続ける彼らとの間に、僕は途方もなく分厚い壁があるのを感じた。
アフガン人の10歳の少年が書いた、こんな文章がある。