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No.1 「アメリカの一撃」


カブールに来るのは、いやカブールどころかアフガニスタンに入るのは8ヶ月
ぶりだ。去年の8月19日、僕は現在アフガニスタンの90%を支配しているタリ
バンの本拠地、カンダハルという街にいた。

その日、朝から僕は混乱した情報を受け取りつづけていた。メッセージは単純
だった。

「非イスラム教徒になんらかの危険が迫っている」

というものだ。ウルトラ原理主義と呼ばれているタリバンの本拠地にいる、
我々にはそれはジョークにしか聞こえなかった。プールで泳いでいる人に、
雨が降りますから濡れないように注意してくださいと言っているようなもの
だ。

しかし、情報源が在パキスタンのフランス大使館やオランダ大使館であること
が分かり、我々は少し冷静に考えてみることにした。国連事務所の無線室に行
ったが我々には何もメッセージが届いていない。その間にもいろんな情報・話
・噂が入ってきていた。イランがアフガニスタンに攻撃を始める、北部の反タ
リバン連合が一斉反攻に出る、タリバンが非イスラム教徒を拘束する、あるい
は処刑することにした・・・

どれもこれも、可能性のある話ではあった。しかし、今この時に何故?という
問いにぴったり当てはまるものではなかった。アフガニスタンは内戦中の国で
ある。いろんな噂はいつもある。そこで働く人達は、噂にいちいち振り回され
ていたら仕事にならない、そういう感覚を共有するようになる。
そして、それはたいていの場合、正しいのだが、正しくないこともある。そう
いう時、生命に危機が迫っている。

我々が国連の現地本部があるイスラマバードに無線連絡をとることにしたのは、
非常に単純な事実を知ったからだ。ICRC(国際赤十字委員会)とMSF(国境な
き医師団)がアフガニスタン出国の準備を始めた、という情報だ。

世界のどこかで災害・紛争などで人道上の救援が必要になった場合、真っ先に
駆けつけるのは必ずICRCだ。この組織の機動性にかなう組織は存在しない。そ
して何日か何週間か遅れて、国連機関やNGOなどがやってくる、というのが普
通のシナリオだ。

人道援助機関といえども、自分の身の安全が「ある程度」保障されないと活動
できない。そして、それはしばしば保障されない。良くないことにその傾向は
強くなりつつある。国連機が撃墜される、ICRC、NGO、国連職員などが拘束さ
れる、射殺されるというようなことが珍しくなくなってしまっている。
一般的に言って、危険が迫れば、その場を去るというのが最高の防御だろう。
だから、たとえ人道援助活動中であっても、撤退という事態はしばしば起こる。
しかし、よく考えてみたら、そういう事態の時こそ、もっと悲惨な出来事が起
こっているのだ。元々そこに住んでいる、何の罪も落ち度もない一般人が
「撤退」する場所も方向も見出せず、大量に生命を失うのはそんなときだ。
「外から」やってきた援助者は、たとえ限界までそこに留まっていたとしても、
ある限界を超えたら「撤退」するのだ。そして、その限界は援助機関によって
まちまちである。

こんなジョークがある。
「ある国での援助活動中に紛争が激化した。国連・NGOなどが一斉に撤退を始
めた。ところが、それとは逆方向に紛争現場に突進していく車がある。それが
ICRCとMSFだ。」

必ずしもいつもそのとおりではないかもしれないが、これはICRCと、そして
ICRCと活動をともにすることが多いMSFの二つの組織の性格をよく表している。
彼らの危険の限界は国連より非常に高いところに設定されているように思われ
る。そして、それは国連よりも高い機動性、政治的中立性などによって可能に
なっているのだろう。

話を元に戻そう。

「ICRCとMSFが撤退する?!」

この情報は我々を緊張させるに十分な話だった。何かが起こる、それは確実な
ことに思えた。

イスラマバードへの無線連絡。今、電報を書いているところだ、という返答。
うんざりする返答だが、もうみんな慣れてしまっている。それで、その内容は
なんなんだ?何項目にも渡っていたが、肝心な点は次の二つだった。アフガニ
スタン内出張者は即時出国すること。アフガニスタン内赴任者は国連のスタッ
フハウスに集結して外出しないこと。

で、何が起きるんだ?それは特定できていない。極めて信頼できる筋から国連
ニューヨーク本部に情報が入った、それだけしかいえない、ということだった。
おそらく、フランス大使館やオランダ大使館の情報源も同じだろう。

これはアフガニスタン全土に適用されるのか?そうだとすれば、みんなどうや
って出国しろというのだ?国際職員だけでアフガニスタンに入っているのは200
〜300人。アフガン人職員を入れれば5000人を超えるだろう。特別機を送ってく
れるのか?車でか?

その時点では国連には何も用意ができていなかった。翌日、特別機がアフガニ
スタン内を巡回して職員を拾って回るということだった。とりあえず、我々の
うちの何人かはその日、カンダハルにやってくる国連の定期便で出国すること
にした。カンダハル空港に向かう途中、何台ものNGOの車がパキスタンとの国
境を目指して走って行くのを僕は目撃した。その頃には誰もが何かが起こると
いうことを確信していたのだ。

翌日、アメリカのミサイルがアフガニスタンに撃ち込まれた。一瞬そんな、ア
ホな、という言葉が頭に浮かび、そしてカンダハルで見送ってくれた同僚の顔、
声、話、がとてもリアルに頭の中で舞い始めた。

直撃されるような場所に同僚はいなかったということが確認され、イスラマバ
ードでは一安心していた。しかし、現地から次々入ってくる電報はそんな後ろ
めたい安心を吹き飛ばしてしまった。

カンダハル、ジャラバード、カブールなど主要都市で群集が国連事務所を包囲、
一部は侵入し、破壊行為も始まっている。街は非常に敵対的な雰囲気だ、とい
うことだった。そんな状態で出国できるのだろうか?タリバンがその群集を抑
制するために動いているという情報は少し希望のある話だった。しかし、とう
とうカブールで国連の車が銃撃され、国連職員一人死亡、一人重傷という情報
が入ってきた。イスラマバードでは、我々国際職員は外出禁止になり、国連事
務所は24時間体制に変わり、BBCはイスラマバード空港に到着する国連職員の
遺体を運ぶ映像を繰り返し、繰り返し映していた。

アメリカの一撃。
これの持つ意味を日本人の僕が核心まで入って理解できるだろうか。帝国主義
国家がアジア、アフリカ、南米を植民地化していった歴史にまで遡らなければ、
表層に触れることさえできないだろうという予感はある。アメリカの一撃。
それが僕の住むパキスタンで引き起こす現象面だけをてっとり早く書くなら、
「反西洋」という情念が叩き起こされたかのように、反米デモ行進や反米集会
が開かれ、政治家の反米演説が始まり、反米論説が新聞をにぎわし、やがてそ
れらは「反西洋」、「反外国人」、「反国連」との境界線を失って行く。
「イスラム原理主義」がその情念をとりこもうとしても不思議ではない。


その日から、約8ヶ月間、僕はアフガニスタンに戻ることはなかった。簡単に
いうと、タリバンが国連職員の安全を保障しないかぎり、国連の国際職員はア
フガニスタンに戻さないという方針がニューヨークの国連本部から出されたか
らだ。9月、10月が過ぎれば、アフガニスタンは寒くなる。アフガニスタンの
冬は厳しい。皆が自分の担当プロジェクトのことを思い、その住民のことを案
じ始める。いったい、いつになったら戻れるのだろう?その間にもタリバンと
反タリバンとの戦闘は続き、また地震が起こる。

アフガン人職員はその間もずっと援助プロジェクトを継続していた。言うまで
もないが、ICRCの外国人職員もアフガニスタンにすぐ戻り、活動を続けた。
彼らはアフガニスタンの治安は悪くないという。そもそもアフガニスタンにお
ける治安の回復というのはタリバンの最大の功績であったのだ。そのために
とったタリバンの厳罰主義が世界中から非難されることになるのだが。

とうとう国連の国際職員はアフガニスタンに戻ることなく、この冬を越してし
まった。この国連の対応をめぐって、8ヶ月間、援助関係者、国連、国連加盟国、
ジャーナリズムの間では様々な議論が続いた。今も続いている。いくつかの意
見を拾ってみよう。
「危険だから戻らない」というが、その危険とは何を指しているのか?

(1)アフガン人が国連の国際職員を攻撃するということなのか、
(2)それともアメリカのミサイルに国連職員が当たってしまうことなのか?

たとえ(1)だとしても、アフガン人の国連襲撃の発端はアメリカのミサイル
攻撃ではなかったのか?そもそも一人のテロリストと目されている人物を追い、
他国にミサイルを撃ち込むことが許されるのか?

そして(2)だとしたら、国連はアメリカのミサイル攻撃を是認していること
にはならないか?
国連内でも意見は激しく衝突した。しょせん国連はアメリカのもんじゃないの、
しょうがないよ、というものから、国連職員がアフガニスタンに入って、人間
の盾になればいいのだ、そうしたらアメリカもミサイルを撃ち込まないだろう、
というものまであった。

しかし、国連職員は盾にもならないのだということは、今年に入ってアメリカ
の立場の表明ではっきりした。

アメリカは言う。
「自衛の問題として、アメリカ合衆国はテロリストの施設及びテロリストを匿
っている者の施設に対して、軍事的行動を起こす権利を留保する。アメリカが
軍事行動を前もって国連に警告する立場にないことを国連は理解するべきであ
る。」

非常に明瞭である。アメリカは国連に警告なしにいつでもミサイルを撃ち込む
用意があるということだ。ここまではっきりしていると、例えば誰でも自分の
部下をアフガニスタンに送り出すことに躊躇するだろう。たとえ、あらゆる議
論がアフガニスタンへの復帰を妥当なものだとしてもだ。

そもそも人道援助とは何だったのか?「条件付き人道援助」などという概念は
成立しない。「ゆっくり効く特効薬」みたいなもんだ。
意図はどうあれ、国連の8ヶ月間の撤退が送るメッセージを考えればひどいも
のだ。

<アメリカにオサマ・ビン・ラディンを引き渡せ!
                         そうすれば人道援助を再開する>

というものではないか。これは完全に人道援助の本質から逸脱している。そう、
我々はいったい何をしているのだ?という疑問がここのほとんどの国連職員を
悩ませただろう。アフガン援助関係の国連職員20名近くが辞めた。それらの多
くは、何かおかしい、ということへの抵抗の一つの形だったろうと思う。

オサマ・ビン・ラディンの行方はまだ分からない。アメリカはいつでもミサイ
ルを撃ち込める。しかし、国連は徐々にアフガニスタンに戻る決意をした。
辞めなくて良かったと思っている。
                               (続く)

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本文で表明されている見解はすべて筆者個人のものであり、筆者の所属する組
織の見解とは一切関係ありません。