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No.5 『夏の総攻撃』


●夏の総攻撃 *
 この夏、カブールの街に動物が増えた。
 動物といっても、家畜のことだ。羊や、山羊や、ロバが壊れた都会の中を
トットットと歩いている。これらの動物はこの地域ならどこにでもいる。しか
し、カブールにはいなかった。カブールはアフガニスタンの首都であり、近代
化が最も進んだ都会だったのだ。

 夏の初め、北方のパンジシール谷に陣取っているマスード派に対するタリバ
ンの総攻撃が始まった。地元の新聞は、両軍の発表する戦果をを刻一刻と伝え
ていた。それがどこまで正確なものなのか誰にも分からない。この総攻撃に際
し、タリバンは最前線にジャーナリストの同行を許可して連れていった。タリ
バンが戦闘中に悪逆非道なことをする、パキスタン正規軍がタリバン側として
戦闘に参加している、などという報道を否定したかったのだろう。どのような
報道が帰ってくるか、僕は待っていた。何も出て来なかった。それ自体が何か
を語っている。ジャーナリスト達は何を求めているのだろう。

 戦闘地になった、カブールとパンジシール谷の間に位置する村々の人達が
カブールへ逃げてきた。タリバンが住民を虐待した、居住地を無理やり追い出
した、家々を焼き払った、というタリバン非難の報道が続いた。タリバンに同
行したジャーナリストはまだ沈黙していた。タリバンはこれまでの戦闘で常に
戦場になる地域の住民に前もって退去するように勧告している。一般人を巻き
込まないためだ。また、同じことをしただけではないのかと、現地で仕事をして
いる人間なら思うだろう。何が起こったのだろうか。

 北方からカブールへ逃げてきた住民でカブールの人口はまた増えた。彼等は
IDPと呼ばれる(Internally Displaced Persons)。日常用語で言えば難民と
いうことになるだろうが、法的には難民ではない。国連内では、彼等を誰がど
のように援助するかが問題になった。IDPの援助を予めその任務としている国
連機関がないから、IDPが発生するたびに同じような議論を繰り返す。議論を
している間にIDP達は旧ソ連大使館跡に住みつき始めた。その敷地には団地の
ような建物が何棟も並んでいる。といっても、建物はことごとく破壊されてい
る。かろうじて残っているのは銃撃で穴だらけになった壁だけだ。その壁だけ
の団地郡に六千人とも一万人とも言われるIDP達が住み始めた。

 旧ソ連大使館跡へ行ってみた。敷地の入り口に毛布、ビニールシート、石鹸
などが積み上げてある。タリバンがそこで整列するIDP達一人一人に順番にそれ
らを配給していた。実に整然と事は進んでいた。ICRC、NGOなどから受け取った
救援物資をタリバンが配給しているのだった。混乱は一切なかった。敷地の中
に入ってよいかと、そこで作業するタリバンにきいてみた。それはもっと上の
人に聞かないと分からないという。そりゃ、そうだろう。しばらく、そこのタ
リバン兵士と話をしていると、周りに人が集まってきた。IDP達の中の誰かが
何か大声で訴えている。タリバンに対する不平だろうか。そうだとしたら、あ
まり良い状況ではない。同行のアフガン人助手が訳すのを止めようかと思った。
後で聞けば、分かることだ。

 しかし、助手はいきなり通訳を始めた。「この人たち(タリバン)はよく
やっている。とても感謝している。それを言いたいと伝えてくれ」と大声で
言っていたそうだ。なんだ、そういうことか。話をしている我々の周りで、IDP
達はこの敷地を出たり入ったりしている。出入りは自由だそうだ。IDPの状況
をもっと知りたければ外に出てくるIDPに聞けば分かるだろう。夜はタリバン
が旧ソ連大使館の回りを警備しているとのことだった。

 作業中のタリバンに何が不足しているか訊いてみた。意外にも、とりあえず、
なんとかやっていけるという返事だった。しかし、団地の方を指さして、あれ
を見ろ、もうすぐ冬がやってくる、冬が来たら大変なことになる、吹きさらし
の中で彼等は過ごさないといけない、それが問題だ、と説明してくれた。
カブールは海抜1800メートルくらいに位置している。冬は厳しい。冬が来る前
に解決すべし、もしそうでなければ、冬越えの準備が必要、と記憶した。後で
書く報告書のストーリーを考えるのが習慣化している。なにか悪い病気のようで
イヤな感じだ。「1万人の戦闘避難民がカブールに逃避!緊急援助の遅れ深刻!」
という喧しい新聞の見出しとは裏腹に、アフガン人たちは逃げて来た者も迎える
者も事態を整然と受け止めていた。20年の戦闘が彼等にそういう対処を教えた
のだろうか。

 カブールに現れた動物たちはIDP達が連れてきたものだった。家畜は貴重な
財産であり、家族の一員であり、収入源でもある。しかし、家畜たちの餌まで
は誰も配給しない。家畜の主人が家畜の餌を求めてカブール市内を徘徊してい
るのだった。


●カブールの「悲愴」
 この夏の総攻撃は一進一退を繰り返し、結局今年も戦火は消えることなく冬
が近づいてきた。冬になると戦闘は下火になる。この間に両陣営とも態勢を立
て直し、弾薬などを蓄積する。和平交渉への期待も高まる。しかし、また雪解
けとともに和平交渉も頓挫する。そして、また戦闘は激化する。この数年そん
なことが繰り返されて来た。

 カブールの冬はもうそこまでやってきた。風の中に冷たいものを感じる。
IDP達はあの壊れた団地群でこの冬を過ごすことになりそうだ。そして、あの
動物たちもカブールで冬を越すのだろう。そんなことを思いながら、僕は
ブラック・ジョークのように快適なランドクルーザーに乗ってカブールの街を
見て回る。なぜだか分からないが、いつも静寂さを漂わすカブールの街を見て
いると、僕の頭の中ではベートーベンの「悲愴」が繰り返し、繰り返し流れつ
づける**。そのような条件反射がいつのまにか成立してしまった。
詳しいことは知らないが、「悲愴」の中に僕は怖いような怒りを感じる。どう
してもあきらめきれない怒りといえばいいのだろうか。それが、どのような環
境でいつ創作されたのか何にも知らないが、カブールの表情とベートーベンの
「悲愴」が、僕の心象風景では重なっているのだろう。

 あの団地群で冬を越す人々の何人かは確実に春までに死ぬだろう。年寄り、
乳幼児、病弱な者から死んでいくのだろう。生き抜く者も、彼等はすべて確実
に途方もない苦痛と困難をもって冬を過ごすのだろう。水道、ガス、電気、便
所、風呂、何もない海抜1800mのところに1万人の日本人が毛布とビニールシー
トだけ与えられて放り出されたら、何割が生存できるだろうか。確実な生命の
危機、確実な不幸が予測され、それを静かに、かつ強く受け入れようとする
人々がここにいる。そして、そこには「悲愴」---あきらめきれない怒り---
が聞こえる。

 「善玉」と「悪玉」の闘争という漫画的なフォーマットに安住するメディア
の報道には、カブールの「悲愴」を伝えようという意思は微塵も感じられない。
聞こえないのだろうか。メディアは(それは我々のことでもあるのだが)、
「悪玉」を探し出し、それを叩き潰すことに熱狂する。しかし、「善玉」と
「悪玉」に明瞭に区分できる世界が現実に存在するだろうか。その境界はどこ
までも曖昧で入り組んでいるということが、歴史から学ぶべきことの一つでは
なかったのだろうか。「善玉」に自己投影し、「悪玉」を発見し、「悪玉」を
叩き潰すと信じて行われる行為が壮大な悲劇を引き起こしてきたではないか。

 争い事は人の心を痛める。そこに、「善玉対悪玉」という構図が現れば、非
常に心地よいものだ。しかし、その心地よさは何も解決しない。対立をいっそ
う深化させ、解決の道をこじらせる。単純な構図が与えてくれる心地よさ、こ
れこそが人間の悪魔性を呼び起こしてきたことを我々は知っている。しかし、
そのようなことが繰り返し行われ、今も行われ続けている。人類にはハリウッ
ド映画なみの知性しかないのだろうか。


●文化としての人権
 メディアにおける人権侵害糾弾がエスカレートするうちに、いつのまにかア
フガニスタンの戦闘は、人権を侵害する「悪玉」と人権を擁護する「善玉」の
間での戦闘にすりかわってしまった。言うまでもないが、人権をめぐっての戦
闘など最初から最後までここには存在しない。政権をめぐる闘争が延々と続い
ているのだ。

 タリバンの人権侵害を非難する国家の行動が明らかにしてきたのは、皮肉な
ことに人権の本質的な軽視のようだ。というのは、そのような国家が一貫して
タリバンと同様な政策をとっている他国の政権を糾弾するかと言えば、そうで
はなく、友好国であったりする。また、反タリバン勢力の人権侵害を同様の基
準でもって非難しているかといえば、これに関しては沈黙している。つまり、
最初にタリバンを政権として認めたくないという政治的意思があり、そのため
に人権が利用されている。人権が政治の道具と化している。結局のところ、彼
らはアフガン人の人権など屁とも思っていないのではないかと思わざるを得な
い。

 アフガニスタンの国土の90%を支配しているタリバンは恐らく今、最も世界
で評判の悪い団体の一つだろう。タリバンをアフガニスタンの政権として承認
しているのは、アラブ首長国連邦、サウジアラビア、パキスタンのたった三カ
国だけである。世界のほとんどの国がタリバンを政権として認めていない。
その理由の一つとして公に表明されているのは、タリバンの人権侵害である。
その中で必ずメディアに出てくるのが、女性の人権侵害である。タリバンは女
性の教育を禁止する、女性の就労の権利を認めない、女性の移動の自由を制限
する、女性の服装を規制する・・・。

 何が人権侵害なのか、これを判断するのはファナティックな人権原理主義が
信仰するほど簡単ではない。

 どの社会もその社会に固有のコードを持っている。それはルールの束である。
慣習、習慣、しきたり、掟など、その社会が「当たり前」、「常識」として日々
実行していることである。この社会のコードは近代的な立法制度が制定す
る法律より、ずっと広く、深く、長く、社会を覆ってきた。しかし、それを執
行したり、違反者を制裁したりする機関があるわけでない。社会の暗黙の了解
によって、それは実現されている。教会に入ったら帽子をとる、畳の間に上が
る時は靴をぬぐ、寿司屋のカウンターでタバコを吸わない、女性はお歯黒をつ
ける、食事をする時には音を立てない・立てる、出された食事はきれいに食べ
る・汚く残す、女性はスカートの下のパンツを見せない・見せる、女性は外出
する時は乳房を隠す・隠さない・・・。これらの決まり事は社会によって異な
る。一つ一つのルールが、なぜ、そうなのかと問うことなく、その社会の人々
は従っている。

 生物が本来持っている精密な制御機構に本能というものがある。人間以外の
生物は本能に従うことで、自然界と調和した生活を送ることができる。しかし、
人間の場合、その本能が壊れたのか、盲目的に従えば秩序が達成されるような
ものとしての本能を持っていない。映画『マトリックス』で、”Human being
is disease or cancer on this planet” というセリフが出てくるが、あれは
そのことを言っている。自然界の有機的秩序から逸脱した我々は地球のガンで
あり、地球に多大な迷惑をかけ続ける厄介者である。せめてものお詫びの印に、
いやそうではなく、自然界の秩序と対応する、擬似的な秩序を形成するため、
個々の人間社会は世界にそれぞれ固有の意味づけを行い、その意味の世界で
ルールの束、コードが発生した。それが、本能の代替として機能している。
つまり、我々はそれによって制御されている。これらのルールは総体として、
その社会の秩序を維持する。一つ一つのルールを、自動車のパーツのように
取り替えたりすることができるわけでない。本能の一部だけ取り替えるという
ようなことが行われば、その生物は狂ってしまうだろう。それと同じことだ。
本能に替わって、人間社会に秩序を与えるルールの束としてのコード、これが
文化の中核を形成している。

 人権と文化がしばしば衝突するのは、それらが出自の異なった二つの互いに
独立した、ルールのセットだからだ(人権はhuman rights 複数形の翻訳)。
人権は、ある固有の社会、西洋社会の発展と平行してそこに妥当する規範とし
て成長してきた。つまり人権には、「文化としての人権」という側面がある。
『世界人権宣言』を読めば、そのへんの事情は分かるだろう。原理的な話をほ
とんどすっとばして、いきなり適用結果の羅列が始まっている。西洋型近代社
会を前提した人権マニュアルとしては非常に便利なものだ。しかし、まるで日
本の中学校の校則のようなさもしさを感じるのは僕だけだろうか。どんな崇高
な言いぐさも原理を失うとさもしくなる。前提とする社会の成り立ちが違えば、
使い方が途端に分からなくなるという、あらゆるマニュアル共通の性質が『世
界人権宣言』にもある。

 人権を全ての社会に普遍的に妥当するものとして、それが成立してきた歴史
を持つ社会の外へ適用して行く時、衝突が起きる。現在、「人権 vs 文化」と
して語られることの多くは、「西洋文化 vs 非西洋文化」として解釈すること
ができる。「人権侵害」という判定それ事態が、非西洋文化の側では「文化の
侵害」であると響く。この文脈では人権はレトリック以上の意味を持っていな
い。人権は、最初に使った方が勝ち、という極めて反人権的な言葉として強烈
な威力を持っている。念仏のように人権を連呼すればたいていの議論にあなた
は勝てる。他文化に対する尊敬、自文化に対する懐疑、その両方が見事に欠落
した「善人」が、狂信的な熱意を持って、人権という刃物を振り回す。その結果、
不幸なことに、人権は『オリエンタリズム』のヴァージョン・アップの一部品
に過ぎなくなっている。

 政治の道具として人権騒ぎを捏造する外国政府は論外としても、ほとんどの
人権に関するレポートが空虚な作文に見えるのは、人権=普遍という無邪気な
信仰に依存しているからだろう。この信仰によれば人権侵害の判定は非常に簡
単だ。人権項目一覧表でも作って、それを基準に各社会の慣行を片っ端に測量
していく。個々の項目間の緊張関係は一切無視される。しかし、ニューギニア
高地人の社会と、ニューヨークの社会に同じ基準を適用して人権侵害を判定す
ることに何か意味があるだろうか。ニューヨークにフィットする人権をニュー
ギニア高地人に適用したら、恐ろしい不幸を招くかもしれないということは考
えられないだろうか。人権が人間社会で果たす原理的機能を無視して、形だけ
の人権唱導の心地よさに狂信的にひたっている人を、「原理主義」の一般的誤
用に従って、僕は人権原理主義者と呼ぶ。


●冬が来た
 夏の総攻撃で戦果をあげたのは、タリバンでもマスードでもなく、人権原理
主義者であった。国際社会は、アフガニスタンを封じ込める制裁を決定した。
普通の人々の生きる権利はいとも易々と無視される。カブールでは、すでに暖
炉が必要だ。凍えるような寒さが目の前まで迫ってきた。旧ソ連大使館跡に暖
炉はない。

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* この節を書いたのは9月初旬であった。
** ピアノ・ソナタ8番

参考文献:
浅田彰『構造と力』勁草書房
レヴィ・ストロース『野生の思考』平凡社
レヴィ・ストロース『構造人類学』みすず書房

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織の見解とは一切関係ありません。