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2010年09月20日

思い出話〜電子レンジ〜

今ではどこにでもある電子レンジ、これが日本では高根の花だった。 一般家庭では一部にしかない1960年代の話であるが、業務用にはすでに使われていた。 初任給が2万円のころ、一番安い製品でも20数万円。 みかけは今でいう簡単レンジみたいな製品。 これが、仙台の繁華街東一番丁の(当時の)丸善ビル隣の小さいビル2Fの「カレーショップさかい」では、客の目の前にあった。 高価家庭用を業務の補助に使っていたのである。

経営者のおじさんは、山形工専(現山形大工学部)出身の技術屋さん。 会社勤めをやめてカレー屋さんを始めたわけで、当時はまだ珍しい「脱サラ経営」だった。 店はカウンタのみで、10席程度の小さい店。 ビル横の階段をちょこっと昇るので、隠れ家的でもあった。 そうこうしてるうちに、ここがバンドの溜まり場になった。 ケータイのない時代だから、レンラク先にも使わせてもらっていた。 (私のつぎのバンドリーダーYさんも脱サラして、カレーショップを始めるきっかけになった店でもあるが、今回は省略。)

電子レンジの基本部品はマグネトロン。 このマグネトロンは、岡部金治郎さんが1927年に東北大学で発明したもの。 真空管にコイルを巻きつけると数千MHzの電磁波を発生するのが原理。 電子レンジの場合は、2450MHzが国際規格になっている。 このコイルが曲者で、細い線を太い束になるくらいぐるぐる巻きするが、寿命がある。 カレーショップのおじさんいわく、いいとこ2年くらい。 家庭用の10倍くらいの使用頻度だから、仕方ない。 小さい店だから、修理に出していたし、その間は「電子レンジなし」ですませていた。

このマグネトロンに細い線を、コイルを巻くような機械で、ぐるぐる巻きつける作業をしてたのは、大阪のある中小企業。 手作業で巻きつけるが、作業が正確で故障が少ないというのが、評判の会社だった。 もちろん、アメリカへの輸出品である。 1ドル300円台の時代だから、20数万円というのはアメリカでは、7万円程度。 当時の日本は、ナイキの製品をつくるインドネシアみたいな立場にあったのである。

1万円以下でも電子レンジが買えるのはスゴイことである。

投稿者 tadashi : 2010年09月20日 08:29

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